「とてもよかった。久しぶりに素直に感動した。 この「好転・改善・解決...」ステージ・マザー ナスビームさんの映画レビュー(感想・評価)
とてもよかった。久しぶりに素直に感動した。 この「好転・改善・解決...
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とてもよかった。久しぶりに素直に感動した。
この「好転・改善・解決」が、全てリッキーが死なないと起こらないことなのが切なかった。
リッキーが死ななくても起こせた人はいたけれど、起こったかもしれないけど、でも現実問題起こらなかった。これは別にリッキーが可哀想だというよりは、「人は勝手に救われる」ということで、そこに死者目線で切なさを覚えるのは無意味なのだが。でも、死んだ理由が、死によって、あるいは死後無関係な要素によって解決したとて、生きていく理由や死ななくてよかった理由にはならない。むしろ死を選んだことの正当性を強化してしまうとすら思う。人が死んだくらいで解決できる問題を、それでも彼が死ぬまでは誰も解決しようとしてくれなかったし、彼自身も解決できなかった(自死の理由が明確ではないので─そこもこの映画の優れた点だと思う─この「問題」が自死の理由かは傍論に置く)。リッキーが死んだ、悲しい、それはそれとして明日も生きていく、という、この映画の「主観」から外れると、ふいに救われなくなる。私が。
でもこれでいいと思う。だから素晴らしい映画なのだと思う。
なんというか、死を選んだ理由が明確でないからこそ、「弔い」という行為が純度の高い愛によるものだと納得しやすい。そんな感じ。
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