浜の朝日の嘘つきどもとのレビュー・感想・評価
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薄っぺらく、内容が無い
多くの方が絶賛、高評価の作品だったのでとても期待して観に行きましたが非常に残念でした。
台詞のほとんどが「話しの内容」と「自分の感情」の説明ばかりでとても退屈。
全体的な内容も薄すぎる。
高校生の時の高畑充希と現在の高畑充希が同じ人間に見えない。
吃音のあるような人間が、初めて会う人をじじいと罵れるようになるとは思えない。
家族間の確執もラストまで解決されていないのに、この人間性の変化は疑問でしかない。
(大久保さんの先生に影響されてるのかもしれないけど、警察に捕まったときにはまだ吃音が残ってるのに、次に病院で会う時には治っている。それを「垢抜けたねぇ〜」だけで説明するのは無理があるし、これも終盤なので終始違和感を感じずにはいられない)
経営難で苦しむ映画館を救うお話かと思ったが、世間を舐め過ぎてる。
テレビに取材を受けても、クラウドファンディングで115万しか集まっていないのに急に町民の寄付と併せて450万円集まるのは謎。
しかもこれは映画館を手放さなくてはならなくなった基本の借金で、それが出来るなら最初からそうすればよかったのにと思う。
父親との確執はずっと描かれていないにも関わらず、終盤に出資を頼みに行った際に急に現れる。
ここの感情と関係性も急に形になったものなので、台詞で説明される。
父親に対してそんな風に思ってたの?と思わざるを得ない。
先生の遺産の500万円もそれがあるならそもそも論。
あさひに映画館再建を依頼するなら多少出資しといてくれよと。
と、映画館再建における物語の障害はラスト15分で主人公の活躍は全くない形でご都合主義的に解決してしまう。
ただ親の脛を齧っただけ。これじゃあ感動できない。
むしろ、本当に苦しんでる映画館の人達の努力や苦しみを全く汲んでいない。
特に残念だったのは大久保さん。
なんでこの役は大久保さんなんだ。
あて書きのようなキャラクターを作ってまで大久保さんがやる意味がわからない。
何故、朝日座の再建に拘ったのかのバックボーンもない。
亡くなる寸前、その姿がとても癌に侵された人間には見えない。
そんな元気な姿で死の直前に何を言ってもコントを見ているようにしか思えない。
病に侵されて、ガリガリで見てられない姿になっても、いつも通り下品な笑いを持って映画愛やバオ君、あさひに愛を伝えてくれたのであれば感動できるし、あさひやバオ君のバックボーンにもなるだろうが、このエピソードではただのコントだ。
支配人の弟が朝日座で映画を見てから自殺した事を受け止めて、「映画で人は救えない」と言っておきながら、こんなに人の死を軽く扱うのはなんなんだろう。
問題提起のように思えた地方における雇用と生活環境の改善の問題に関しても、お金が集まればそれでOK。
そこに葛藤もなく、まぁいいじゃん的な終わりでカタルシスが無い。
震災、地方再建、コロナ禍というテーマが右往左往しており結局何も解決しないまま、謎にお金が集まってハッピーエンド。
やっぱり映画っていいよね!というありきたりでうすっぺらい綺麗事をならべただけで、とても映画が好きな人が作ったとは思えない。
また↑の要素に加えて、吃音、いじめ、外国人差別、愛する人の死、排他的な地方経済など、多くの問題提起を「いわゆるこういう事でしょ?」的なアイコンとしてしか使っておらず、実際に苦しんでいる人間に対してとても失礼だと思った。
ただ、高畑充希のおかげでなんとか最後まで観れた。
高校生時代はとても可愛くて、大人になってからも美しさとキュートさを持ち合わせていて、彼女だけを追っていればそれなりに見ていられる。
それでも約2時間は長すぎるが。
明日のために。
もうしんどいという時、
明日のために
背中を押して欲しい…
そんな時
なんとかのりきれたのは
あの人、あの出来事、あの言葉
と出会ったから。
そういう経験ないでしょうか。
本作はそんなメッセージを
感じます。
ストーリーは、
福島の閉館しかけの映画館を
立て直すために
奮闘する女の子の成長記でした。
なかでも、
孤独な学校生活を送る
主人公のあさひが出合う
茉莉子先生のエピソードに
ひきこまれました。
たくさんの出会いの中で、
彼女のような人と知り合えるのは
幸運です。
本作で、一番よかったのは
茉莉子先生の人をやらかくする
雰囲気ですね。
あさひも壊れかけた心が
修復して逞しく育っていくのが
スクリーンを通してわかりました。
本作に凄く共感したのは、
忘れかけていたかけがえのない
当時の日々に
私を連れていってくれたからです。
はじめのデジャブは
つまらなそうなDVDを視聴覚室で
一緒に視聴しているシーンでした。
彼女達が
友達のようにあまりにも
自然にみえて
羨ましかったんですが
その時、
ふと自分の過去の恩人を
思いだしました。
小学校の頃、
凄く荒れていた学年の担任教師で
熱心な先生でした。
当時学級では、
月単位でいじめの対象がかわり、
誰もが傷つけ、傷つく毎日のなかで
先生のアパートで
色御飯のおにぎりをたべさせてもらって
過ごした事が脳裏に浮かびました。
別にやっかい事が解決しなくても
一人じゃない事を感じさせて
もらった事がどれだけ嬉しかったか。
鼻が熱くなって泣けました。
あぁ あの時のような時間が
目の前にある…
もうそこからは、
スクリーンの茉莉子先生から
ずっと目が離せなくなって
しまいました。
「やっとけば…」のシーンは、
もう泣けて、笑えて。
なんというか
あさひとおっさんの
距離感もいいし、
世間が皆親切なわけでもないことを
みせながらも、
どうにもならない事のおとしどころを
出来る限り自分達の意思で
切り開く姿がいいと思いました。
そう、
明日やっていく
ガソリンを
いれてもらえます。
おすすめ。
誰もが繋がりを求めて
福島県
関東と東北の間にあり
県を縦に三分割して西から
会津・中通り・浜通りと良く分けられ
浜通りは特に東日本大震災による
原発事故の放射線被害が大きく
震災から10年経った今も処理水や
放射能の風評被害
故郷を追われた住民の動向など
問題が続いている
この映画はそんな浜通りの原発のあった
南相馬市に100年前からあったが
シネコン・震災・コロナなどの影響も
ありほぼ廃業状態の映画館「旭座」
(実在する映画館だったようです)を
思いを持って救おうと画策する
「茂木莉子」こと「浜野あさひ」の
そうなるに至った回想録とこれからの奮闘劇
タナダユキ監督の映画は前作の
「ロマンスドール」も観ましたが
主人公の目線位置が絶妙で面白かったので
これも期待して観に行きました
で感想としては期待通り面白かった
テーマ的に映画のうんちくがちりばめられた
気取った作品になりがちですがむしろ
震災などの要因で家族の絆が壊れた
登場人物たちが映画・映画館という存在を軸に
つながっていく話となっていました
また今作はコロナ社会を取り込んだ作品となっており
震災では福島県が原発事故を含めとりわけ困難に
さいなまれましたが今回は世界全体が
苦しんでいる状況下をうまく重ねている
感じです
とにかく大久保佳代子が素晴らしいです
真面目で面倒見も良く生徒に人気のある
教師でありながら男にはまるでだらしなく
大の映画好きで同じところで何回も泣く
男運のない所は持ちネタのまんまで
当て書きしたとしか思えない配役です
このキャラのおかげで悲しいシーンの
はずが笑えてしまうシーンになってしまう
所はこの映画の巧みさの象徴的な
部分でした
結末もそれまでのエピソードが噛み合い
不思議と意外性を持ったものになります
その前に主人公が言ったセリフ
「いつまでもあると思っているとなくなってる」
これはコロナ下で行けなくなった店が
どんどんなくなっている状況も
示したものだと思いました
コロナ社会が徐々に映画にも取り込まれて
きていますが映画をも超える規模の環境下で
あるだけに映画の中でのリアリティに与える
影響は殊の外大きい気がします
今後どういった映画が作られていくのでしょうか
現像に心動かされる根暗な映画オタク
時代の流れに逆らえず閉館が決まった映画館「朝日座」を何とかもう一度立て直そうと南相馬にやってきた浜野朝日とその町で出会う人々の話。
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今年はコロナも関係してか映画愛映画が多い。『ポンポさん』に『キネマの神様』に『サマーフィルムにのって』に。。それぞれ良さが会って映画好きとして全部に共感したけれど、本作は中でも1番「私たちには映画館は必要だ」だというメッセージが強い。
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「真っ暗闇でたった2時間でも現実の嫌なところを忘れられる」「知らない人達が集まってバラバラな感想を持つ」「どうしようもなく辛い時映画に心を救われてる人がいる」どの言葉も映画ファンの心を刺激しやがる。
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劇中で映画館を潰してスーパー銭湯を作るように、今のように未曾有の状況に陥った時どうしても映画(だけでなく音楽や舞台や色んなカルチャー)は疎かにされる。スーパー銭湯なんて家族でワイワイ行くんだから映画館より感染リスクは高いはずなのに、それでも銭湯の方が皆行くし雇用も創出する。悲しいなぁ。
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その他、映画についての話だけでなく、家族についての話でもあり、終始血の繋がりという幻想について登場人物から語られる。でも最終的に朝日は血は繋がっていなくても本当の家族のような関係を築いた先生と血の繋がりのある家族両方に助けられる。
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血が繋がっていてもいなくてもその関係は何かの拍子に簡単に崩れる。血縁に甘えてちゃんと話し合わないと、自分の中で家族への違和感が募るばかり。血が繋がっていれば分かり合えるなんて私も幻想だと思う。もし子供が出来たら、子供を自分の分身だと思っちゃわないように気をつけよう。
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朝日とパディントンみたいな館長のやり取りがとても良かった。
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「喜劇 女の泣きどころ」を観たくなる
田中茉莉子を演じる大久保佳代子さんがとにかく良い。彼女以外だと下品に感じたり、チープに思えそうな絶妙のキャスティング。大久保さんありきでキャラメイクしてるんじゃなかろうか?
古き良き邦画の人情モノ+映画好きへのサービスと言った感じで、わざわざ気になって映画館まで足を伸ばす人には必ず刺さる内容。
実話を元にしてるとか、福島中央テレビ開局50周年とか、震災やらコロナやらてんこ盛りだが、映画を観る習慣のある人で大久保さんが嫌いでなければ、観て損はない映画だと思う。
映画という新しい嘘
映画館で笑いながら観て、最後には拍手も起きていたような作品。テーマ的にも映画館で観るべき!!
前情報なしで映画を見て、その後ドラマの存在も知り当日中に見た感じですが、以下はネタバレありでの感想。
今回の劇場版では家族の「血縁」を「嘘」と見る所に面白さがあります。通常、血縁とはよそ者との付き合いなどと異なり確固たるものとされるからです。
ではなぜ「嘘」と言えるか。それは、南相馬という地域が東日本大震災・台風・コロナ禍という「災害」と、さらに過疎化・高齢化により「傷ついた地域」となり、確固たる血縁ですらもはや自明性が疑われる地域となっているためです。
だからこそ人々は血縁が「ある」と信じたい=「嘘」を信じたいということなのでした。
上記のような全体構図により、不動産会社との対立も生じます。
劇中ではこの「嘘」への抗いに、映画という「新しい嘘」を対置します。家族の辛さや地域の過疎、さまざまな問題をいっとき忘れさせてくれる2時間の時間。大久保佳代子演じる先生の言う「半分は暗闇を見てる」は、この暗闇半分の「新しい嘘」にこそ希望を見て、茂木莉子を励ますのでした。
しかしそんな先生も恋愛ベタで、恋愛という嘘の前では「ヤっとけばよかった」と言うのがまた面白い。。
映画にできることはまだあるという主張は、ちょうど『サマーフィルムにのって』とも通じているように思います。
栞
ドラマ版の前日譚ですが、ドラマは未視聴です。高畑充希さん主演の作品としては超小規模だなと思いつつも鑑賞。
閉館寸前の映画館をとある女性が救う為に奔放する物語です。初っ端から高畑さん演じる浜野あさひ改め茂木莉子が柳家喬太郎さん演じる森田保造がフィルムを燃やすのを全力で阻止するところから場面が始まります。ここがとっても笑える場面で、茂木莉子が楯突いていくので、それに対抗する森田が圧倒的に押されていく展開がずっと面白いです。
そこから不動産に行ったり、ビラを配ったり、クラファンをしたりと、悪態つきながらも誠心誠意働く彼女の原動力は恩師の願いでした。あさひの高校生時代に描写が移り、東日本大震災の影響で人助けに奔走してしまったが故に父親のせいで、友人関係が崩壊してしまったあさひの心境を支えてくれたのが大久保さん演じる田中先生でした。生徒に寄り添ってくれる人かと思いきや、割と厳しめのことを言う先生で、良いことばかり言う大人は信用できないでしょと、真っ当なことを言っているあたり、人生経験豊富でとっても教養のある人だなという印象がつきました。
そんな先生の元へ家出したあさひがやってきて、一夏の生活を過ごす描写が擬似家族でありながら、本物の親と娘のようで微笑ましかったです。途中から彼氏のバオくんがやってきた後も楽しい時間が過ぎますが、その中で外国人留学生の闇をさらっと重く描くので侮れません。
ただあさひの母親が田中先生を未成年誘拐容疑をかけて、あさひは実親の元へ戻ることに。母親は一切登場しないのですが、弟にだけ気にかけたり、ノイローゼになったりと、震災が生み出した毒親という感じあり、良い意味でとても不快でした。ただ田中先生、とってもとっても優しいことに、あさひが渡した生活費諸々を増やして、学費の足し、そしておまけに映画代を渡すという聖人な行動をしてくれます。厳しいことを言いながらも、心の底から優しい人で、現実の大久保さんととってもリンクしていて素敵でした。男にだらしない場面も笑
そんな先生が乳がんで余命宣告され、虫の息になった時に、バオくんが心からの好きを伝えて「ヤッときゃ良かった」と遺言を残して死ぬシーン。不謹慎ながらとっても笑ってしまいました。「ザ・スーサイド・スクワッド」の爽快な死の笑いとはまた違い、言葉で笑わせてくるあたり、とっても悲劇的なのにとっても喜劇的に仕上がっているのはさすがだなと思いました。
結局クラファンは集まらず、映画館は解体となり、2人とも諦めてご飯を食べに行こうとしますが、住人だったり、バオくんだったり、あさひの実親がお金を出資して助けたりと、なんやかんやで映画館は存続することになりました。正直、ここでたくさん人が集まって、なんとかなるという流れは微妙でした。バッドエンドはバッドエンドでも、前に向けるバッドエンドだったので、ここでハッピーエンドにするにはお門違いかなと思ってしまいました。あとコロナ禍を交えてはいるのですが、登場人物全員マスクをつけてないので、現実と空想がリンクしてないなと思ってしまいました。
とはいえ、役者陣の演技は素晴らしく、高畑さんの闇と光の演技(高校生時代を演じた高畑さんかわいすぎました。)の振り幅、大久保さんの身から飛び出るほどの優しさ、柳家さんの飄々とした喋り、演技についての文句は1ミリも御座いません。
映画にハマったきっかけを少しだけ思い出させてくれた作品でした。サブスクも楽しいですが、まだまだ映画館を愛し続けようと思います。
鑑賞日 9/10
鑑賞時間 16:30〜18:35
座席 G-4
きっと誰かの糧となる物語
きっとこれが良いだろうと思って皆動くが
果たして、それが最善だったのかなんて、誰もわからない。
揉みくちゃに考え行動し出た答えに、良くしていくしかないだろうって言った
柳家喬太郎さん演じる朝日座支配人 森田
そのセリフを聞いた時、繋がりとは血なのか心なのか、どっちかなんかわからない
でも、やるっきゃない!
サンボマスター「できっこないを やらなくちゃ」である!
どんな時勢にもどんな悲しみにも推して参る!を忘れてはならないとボクは思った。
タナダユキ監督の脚本は、誰かの心にストンと降りてきて、だよねって確かめさせてくれる
ラストの支配人森田と茂木莉子のやりとりはルパンと次元のような最強バディのようで良かった
衣装もかなりキャラクターに合っていて淡い色のコーデがコンクリートなど重い背景でも
映えていて素敵だった。
【”タナダユキ監督のオリジナル脚本は、映画とミニシアターへの愛に溢れている。”現況下で苦闘するミニシアターに大きな大きなエールを贈る作品。大久保佳代子さんの図抜けた存在感が嬉しい作品でもある。】
ー タナダユキ監督は、邦画では貴重なオリジナル脚本で勝負する監督のお一人である。
そして、その脚本の殆んどは、人間の善性に溢れている。
不器用だが、必死に生きる人間が大好きなお方なのであろうと、勝手に拝察している。ー
◆感想
1.今作では、現況下の日本が抱える諸問題が正面から描かれている。
3.11から数年後と、現代とを行き来しながら・・。
・3.11発災後、義侠心で一人タクシーを南相馬で走らせていた父(三石研)に対する、世間の見方が変わって行く様が語られる。
そして、父が起こした浜野あさひタクシー会社に、そのまんま名前を使われたあさひ(高畑充希)が、学校で一人又一人と友達がいなくなり、家族関係もオカシクなり、父は家を出、残された家族は東京へ。
ー 福島県民の方々に対する、陰湿なバッシングが脳裏を過る・・。ー
・コロナ禍により経営が行き詰まり、支配人の森田爺(柳喬京太)が廃業を決意し、フィルムを百年近い歴史ある「朝日館」をバックに燃やしているシーン。
ー そこに現れた、口の悪い女(高畑充希)は、名を問われ、”モギリコ”とモゴモゴ口にするシーンがオカシイ。明らかに偽名じゃん。”モギリヨ、コンヤモアリガトウ・・。”
全編通じて、森田爺と”モギリコ”の悪態をつき合う遣り取りが、絶妙に可笑しい。ー
・高校生時代に、独り悩むあさひに高校の屋上で声を掛ける田中茉莉子先生(大久保佳代子)のさり気ない優しさが凄く良い。あさひとこっそり校舎内で映画を観たり、家を飛び出して来たあさひを引き取り、一緒に映画を観る二人。
ー 男運は悪いが、善性溢れる茉莉子先生を大久保佳代子さんが絶妙のとぼけた”間”で演じている。演技が巧い訳ではないが(ごめんなさい・・)、この映画の良さは、大久保さんの存在感が大きく貢献していると思う。ー
・海外実習生として、日本に来たバオ(佐野弘樹:日本人だったのか!)が、日本人に搾取され、自暴自棄になっていた時に会った茉莉子先生の、人としての優しさ。
ー 二人は恋仲になるが、一線は越えない。8年間!のプラトニックラブ。乳癌に侵された茉莉子先生が、久しぶりに会ったあさひとの台詞も可笑しい。
そして、臨終の言葉。
”やっとけば、良かった・・”
もう、最高です、大久保さん!
涙が目尻に溜まりながらも、クスクス笑えるシーンである。ー
・「朝日館」閉館後の跡地開発をする業者も、決して悪い様には描かれない。南相馬市の雇用創出を考え、スーパー銭湯を建てようとしているのだ。
ー すこーしだけ、悪辣な部分もあるが、ビジネスだからね・・。ー
2.そんな中、南相馬市の住民達が出した結論の、素晴らしき選択。
ー あさひの父の粋な計らいも含め、沁みます・・。ー
<明けない夜はない。
そして、映画好きの私(内気じゃないけどね。)は、きっと日々生きる辛さを、映画館の暗闇の中で観る”残存現象”によって、救って貰っているのであろう。
どの様な時でも、夢を見せてくれるのが映画であり、映画館なのである。
現況下で苦闘するミニシアターに大きな大きなエールを贈る作品である。>
暗闇の中で半分残像の嘘物語を愛する根暗たちへ
お叱りや恥を忍んではっきり言ってしまおう。
福島県民でありながら、この“朝日座”の事を知らなかった。
無理もない。
朝日座があるのは南相馬市。私が住んでいるのは郡山市。同じ県内でも結構離れている。(福島は広い!)
朝日座が建てられたのは1923年で、閉館したのは1991年。私が生まれたのは1982年。
こういう作品が無ければ、なかなかご縁が…。
だからまず、作ってくれた“ご縁”に感謝を!
100年近い歴史を持つ朝日座。開館時は、“旭座”。
1991年に一度は閉館するも、2008年に“朝日座を楽しむ会”が発足。
2011年の東日本大震災をも乗り越え、再び地域の人々の集う場に。
そんな実在の昔ながらの映画館を舞台に上映する、話自体は創作の“嘘物語”…。
シネコンの波。
さらに、東日本大震災とコロナのWパンチ。
借金もあり、朝日座の支配人・森田は閉館と売却を決意する。跡地には健康ランドが建設予定。
断腸の思いで古いフィルムを焼いていると、若い女性が現れて、突然水をぶっかける。
何でも遠い親戚に当たり、映画館を立て直す使命を帯びたという。
名は、“茂木莉子”。
そんな映画みたいな唐突な出来事がある訳…。
そう、嘘。
“動機”以外は。
本名は、“浜野あさひ”。
両親、弟と南相馬で暮らしていた。
あの震災が起き、家族が崩壊した。
父は除染作業送迎の“浜野朝日交通”を立ち上げ、成功。
一方、神経質の母は放射能で身体の弱い弟ばかりを心配。
あさひはその板挟み。父の成金と自分の名と同じ会社も嫌い。学校では友達も出来ず、居場所も無く…。
そんな時救ってくれたのが、田中先生。
先生と交わした約束。それが、
南相馬にある朝日座っていう、古いけど、とってもいい映画館を、立て直して欲しい…。
現在パートの“莉子”と過去パートの“あさひ”のエピソードが交錯して展開。
まず、“莉子”。
とにかく莉子が、ズケズケ物を言う物怖じしない性格。
森田はメタボな頑固親父。
「ジジィ!」vs「小娘!」と二人の丁々発止のやり取りも愉快。
閉館の危機にある映画館を救う奮闘劇。
クラウドファンディングやTV出演で借金返済のお金を募る。
好調!…が、ぴたりと客足は止まる。
買取側の画策。借金額は450万だが、取り壊しがすでにもう決まっているという事は、その人件費なども含めさらに1000万プラス。
何て悪徳なやり口!…いや、一概にそうでもない。
健康ランドなら老若男女、地域の人の為の憩いの場となれる。
客離れが激しい映画館にそれが出来るか…?
私はこれを聞いた時、厳しい現実を突き付けられたような気がした。
夢で飯を食っていけるか…?
でも、飯を食う為に人は夢を見るもの。
この現在パートはコミカルでありつつ、シビアな現実からも目を背けない。
果たして、総額1450万を取り壊しの日までに集める事は出来るのか…?
“あさひ”パート。
映画好きの田中先生。
あさひも視聴覚室で一緒にこっそりDVDを見たのがきっかけ。
親御さんたちには不人気だけど、生徒たちには人気の先生。あさひも大好きな先生に。
その後あさひは東京へ引っ越すも、そこの学校を中退し、戻ってきて先生の家に居候を始める。
一緒に住み始めて分かった、実は男にだらしない先生。すぐ惚れて、すぐフラれ…。
でもあさひにとっては、欠けがえのない毎日。
映画もたくさん見て。
教師の前は映画の配給会社で働いていたという先生。
何だか、夢や人生のこれからなど抱いていなかったあさひの目指すものが…。
歳の差、生徒と先生の立場を越えた親友に。
…別れは突然に。
それから、8年。
あさひはかつての先生のように映画の配給会社で働いていたが、今の先生のカレシから呼ばれ、再会する。
思わぬ姿の先生と…。
高畑充希の巧さ!
元々演技力には定評あるが、強気な現在“莉子”と根暗な過去“あさひ”のメリハリ、抑圧、性格付けが見事!
落語家の柳家喬太郎もユーモアと哀愁たっぷり。
年齢、本当ですか…? 体型は本当ですよ。二本立ての組み合わせはちょっと…(^^;
個性派キャストが揃った中、個人的にVIPを挙げたいのは、お笑い界からの大久保佳代子。
大久保さんが演じた田中先生。
素のようなナチュラル演技。
男にだらしない設定は、絶対大久保さんからのイメージでしょう。
優しくて、一緒にいて楽しい。
笑わせる。
教師/大人としての責任能力もある。
泣かせもする。
あさひを映画好きにしてくれた人。
あさひの人生に影響を与えてくれた人。
ベタな言い方だが、自分も学生の頃、こんな先生と出会えてたら…。
二人で暮らした日々はあさひにとっては欠けがえのない毎日だったが、それは先生にとっても。
別れの日の振り返った先生の笑顔がそれを物語っている。
それから、先生の今カレがチョー可愛いの。
ピュアな外国人青年。何だか頼り無さげだけど、彼が最後、まさかまさか!
福島ロケも良かった。
南相馬にはほとんど行った事無いが、明らかに郡山の風景が!
あの屋上から見覚えや馴染みある街並み…。
日本の女性監督も十人十色。西川美和は重厚な作品、河瀬直美監督は知的な作品…そんな中本作のタナダユキ監督は、ユニーク。
私が好きな『百万円と苦虫女』はタイトル通り苦いユーモアある作品の一方、『ふがいない僕は空を見た』は激しい濡れ場を交えた重厚な作品。
本作は一見、『百万円~』寄り。
コミカルな作風。
アニメーションで説明される映写機。これ、仕組みを知ってる人は改めて、知らない人も非常に分かり易く、面白い。また、その時の先生の台詞が本作強いては、映画そのものや映画好きの我々を表している。
映画が題材なので、実在の映画も掛かる。通なら殊更堪らない。
その一方…
ちいさな昔ながらの映画館の厳しい存続危機。
その原因の一つは…。現在のコロナ禍も絡める。
そして、忘れちゃいけない。今の福島が舞台になる限り、描かなくてはならない、3・11=東日本大震災。
直接的な描写はないが、台詞の端々に滲み出てくる。
朝日座の傾き、あさひの家族の崩壊…。
何よりもショッキングだったのは、森田の米農家の弟の震災後一年後の自殺…。
あの震災が福島にどんな影響を及ぼしたか、今もどんな影響を及ぼし続けているか。
物語への溶け込ませ方は直球の『Fukushima 50』よりずっと巧い。
閉館危機の映画館へのエールや映画愛も『キネマの神様』より胸に響いた。
これらをオリジナル脚本でまとめ、また一つ、手腕と才能と魅力的な作品を。
そう、だから映画を!
我々が観ているのは幻想かもしれない。
嘘物語かもしれない。
それに感動し、虜になる我々はひょっとしたら、根暗なのかもしれない。
でも、根暗連中は星の数ほどいる。
それでいいじゃないか。
シビアなテーマも込めつつ、作品はハートフル・ムービー。
だから勿論、最後はハッピーエンド。
ご都合主義、出来すぎなんて声もあるかもしれない。
それでいいじゃないか。
映画みたいなハッピーエンド。
そんな思いに触れて。そんな思いに溢れて。
そんな素敵な気持ちで映画館を出て、元気が貰えた。
実は当初はそれほど観る予定は無かった。
夏映画が終わり、秋映画まで開き、たまたま休み、福島が舞台だからちょっと観てみるかな…そんな程度。
予想を遥かに上回った良作!
見ておいて良かった!
年間BEST級入りになるかも…!?
福島が舞台の映画だから贔屓してるんじゃない。
だって私も、
暗闇の中で半分残像の嘘物語を愛する根暗なのだから。
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