「「生きる」と「素晴らしき哉、人生!」の二本立てでお送りします」浜の朝日の嘘つきどもと つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
「生きる」と「素晴らしき哉、人生!」の二本立てでお送りします
つとみ
多くの映画監督や映画人が作品の内外で「映画とは」を答えている。ある人は光と音の総合芸術と答え、ある人はいかがわしいものと言い、ある人は登場人物に寄り添うことと返した。先日観たばかりの「バビロン」ではデイミアン・チャゼル監督の映画観も見えた。
作風や映画観、世代の影響により人によって様々だ。そんな中、脚本も手掛けるタナダユキ監督は本作の中で自身の映画観について語ったように思う。
同じ作品を観て全く違う感情を抱くこと。しかしその奥で、感情を共有すること。想いを同じにする人と同じ時間を過ごすものという感じだろうか。
あさひの恩師である先生は男と別れたあと「喜劇女の泣きどころ」を観て泣く。その姿をあさひは不思議そうに眺める。
あさひは、泣けるような映画でもないと言うが、観たことなくとも泣けないことくらい分かる。なぜなら「喜劇」だからだ。先生は本来ありえない感情を抱いたということになる。
物語が進み、あさひが先生の元を離れることが決まったあと、時間がまだあるからとバオくんと3人で映画を観に行く。作品名までは分からなかったが明らかにチャップリン作品のような喜劇だ。
笑うバオくんの横で、先生とあさひは泣いている。喜劇を観て泣けてしまうほどに、二人の想いは同じだったといえる。
場違いなのに感情が同一になる場面としてもう一つ。先生が亡くなったシーンだ。
本来ならば涙以外は似つかわしくないところだが、先生の最後の言葉のせいで医師も看護師もバオくんも、あさひと共に笑った。
先生が亡くなって悲しいという同じ想いがあるからこそ一緒に笑えるのだ。
なんてことない物語なのに最初からずっと面白かった。ラストは想像通りのベタな終わり方だったけれど、それでも感動してしまった。
あまりに面白くて勢い余って竹原ピストル主演のTV版も観てしまった。
どこが面白かったのか具体的に説明することは難しいけれど、理由は分かる。自分が「ネクラな映画好き」だからだ。大きなお世話だよ。