「大久保先生は映画好きだったから、映画俳優のように生きて語れる先生になった。でも高畑充希演じる茂木莉子はまだ青い。」浜の朝日の嘘つきどもと きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
大久保先生は映画好きだったから、映画俳優のように生きて語れる先生になった。でも高畑充希演じる茂木莉子はまだ青い。
いくつかの重たいテーマが入り乱れていました。問題が錯綜している現代の物語。
フクシマ、県外避難民、いじめ、自殺、“原発成金”、高齢化、外国人労働者、ワンオペ育児、シネコンの台頭・・
同じ時代を過ごしてきた者=我々にとっては、サラッと上っ面を撫でるそんなカットでも、それぞれが何を意味するものであるかすぐに分かるけれど、
雑然とそれらを同居させたのは監督の脚本の狙いだったのかな?
「福島中央テレビの開局50周年記念作品」であるらしいから、上映期間は限定的で、そして鑑賞者は福島県民を主に想定しての作品と言えるのだろうか・・
「人が死ぬところをあんたも見ておきなさい」は本当にいい台詞。
なのに、ちょっと待てよ、がん患者の末期を見たことがないのは監督自身なんじゃないだろうか?
その辺りのリアリティの無さがいちいち目につき始めると作品の練りの足りなさがバレてきてしまっていただけないのです。
・がん患者の臨終の顔色の良さ
・取り壊し前なのに赤字映画館の看板も壁も綺麗すぎ
・町民役のエキストラばりの下手な演技
・トントン拍子
高畑充希の、高校生から勤め人になって変わった雰囲気とか、大久保佳代子先生のサバサバした感じ、やさぐれ感とかがホント素晴らしい演技だっただけに彼女たちの、(特に高畑充希の)多すぎる台詞が素材の良さを台無しにしていて、
これは「原作」は安い少女マンガの連載物だったのかなと、慌てて解説を繰ったほどでした。
高畑充希の若さはそのまま監督の青さなのだと感じます。
朝日座は再開してもあのオーディエンスじゃ早晩ポシャるでしょう。
それを承知で金を出す父の大きさ。偉大さ。
故郷(くに)に帰ってゼロから映画館を立ち上げる覚悟のバオちゃん。彼は苦労するだろう。
飯館村の地上げ屋のほうがずっと本気でした。そして竹原ピストルの圧倒的登場で、小娘はお株を奪われて、今からようやく彼女は人生の勉強を始めるんだろうなぁと思いました。
大人が下した「映画館を潰す決心」ってもんはね、子供は邪魔しちゃあいけないんですよ。
クラファンの寄付額やパパの援助で笑うなんてまだまだですよ。
僕の大切なフォロー映画館=東座も同じことです。
「閉館だってある」のが、凄まじい大人たちの大人たる生き方なんです。
ただし、おそらく本作品の主題であるのだろう
「フイルムの24コマには24の暗闇と残像が同居しているんだ」という映写機の仕組みには心が動きました。
期せずして地震から12年目の夜に、DVDでの鑑賞。
出て行った福島にUターンして帰ってきた、とある娘の物語。
女の子の再生とオンボロ映画館の再生を重ねています。
先日何気なくラジオをつけたらあの上野千鶴子さんが「正気な人間はフェミニストです」とサラッと一言言ってのけていて妙に感心したものですが、「上野千鶴子が入籍していた!」というニュースも好事家の間で飛び交っていて、
映画ともども「自分に自由であることの素晴らしさ」を思わされました。
きりんさん、ボヘミアン・ラプソディーにコメントありがとうございます。今日(もう昨日になります)日帰りで京都の南座で花形歌舞伎見てきました。皆、やる気たっぷり、新鮮、力が入りすぎ、でも楽しく良かったです。踊りで七段目をやるのがすごく面白かったです。中村壱太郎くんは女形です。芸者役の彼が七段目の大星由良之助を踊りで演じます。そして幇間姿の尾上右近くんがお軽を演じるのです。知的で官能的、クラクラ目眩に身を任せました。なんてステキなんでしょ、人間!