ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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村上映画って感じだろうか?
原作を観てないのだがこの映画観た最初の感想は
なんか村上春樹の小説を読んだような空気感だった
心地よいイメージと思考の海に漂うような感じで
原作への忠実性がどうかはともかく
作品として成功してるんじゃないかと思った
話としてはずっと妻を亡くした事からくる切なさ、やるせなさで引っ張っているが
なんていうかそれ以外にも色々な要素を提示していてそれがいい
失われた娘の話とかドライバーの母親の話とか話が落ち着きそうになると
その都度燃料が足されるような展開で観ていて飽きない
ただ、ちょっと最後の方長く感じたかな
なんとなく展開は読めていたので結論が早く観たくなる感じあった
人間は何かを信じたり、信じ込むことによって時には柔軟に事実を受け入れられなくなる
不義理な人間、上手くいかなかった関係について理由を考えたがるものだが
そこは考えなくていい、そうゆう人だったとして受け入れられないですか?
ってドライバーの娘の問いは鋭かったね
人間はお互いに何もしなくても影響を与えあっている
お互いに理解しようとするが理解なんてできない
でも、何か気持ちが通じる時がある
それは言語に関係なく、人間としての共通項なのだと思う
その事を言語の違う演劇という舞台を通じて描きたかったように感じた
そして同じような傷を背負った主人公とドライバーが
お互いに支え合うことで乗り越え進んで行く
そんな終わり方はありがちながらも、希望を抱く終わり方だった
結果、何かもう一度浸りたくなるようなそんな観心地の映画だった
車の中で自分の戯曲に浸ることができないからと拒否したドライバーが...
車の中で自分の戯曲に浸ることができないからと拒否したドライバーが完璧な運転をし、ドライバーがいることの存在さえ消してしまうと言う想定は過酷でもある。ドライバーの母が殴りながら彼女に覚えさせた技術だからだ。それは、通常なら母に求めたいコミュニケーションを完全に抑制して他者の前で気配を完璧に消すという行為。でも、逆説的にそれを通じて、ドライバーは彼の信頼を勝ち取って行く。
セックスで始まる妻の物語の裏バージョンでは、もう一人の空き巣の左目を刺すということの比喩。
西島は悪くないのだけど、どちらかというと、私は岡田くんの方が良かった。
夫婦の方が親子よりも過酷かもしれない。一定以上、踏み込めない仲。
空き巣物語。彼の印や痕跡を欲望するとともに、自分の痕跡を残していくというストーリー。それは、夫婦の間で妻が求めたものでもあり、夫は拒否したものだった。
手話の表現の豊かさについては、北川さんのドラマでいつも感じていた事だけど、今回も良かった。
車からの撮影シーンが乗ってる感を与えててよかった。
原作を読んでないからわからないけど、村上春樹的中2病の要素は邪魔な感じ。監督は、人格の分裂(村上だと多重人格か)が声とか物語や演劇の形式で出てくるところに、映画監督として惹かれたのかな。小説よりはこの点で、芝居や映画の方がいい。車という設定、村上だとフェティッシュに収斂しやすいけど、赤い車の存在感が映像の中にある。
濱口監督に感服
濱口メソッドと言われる演出法。
感情を入れず本読みする。キネマ旬報で読んでいたので知ってはいたが、映画でこの演出法が流れる。役者は日本人、韓国人、台湾人、手話で語る人、言語が様々。なかなかこういった演劇が実際存在するかは知らないがとても引き込まれた。霧島れいかさん演ずる音の語りの後半が岡田くん演ずる高槻によって核心をつく。
このシーンの岡田くんが素晴らしい。
運転手のみさきの母とのエピソード、みさきの生い立ち、一緒にみさきの家があった北海道まで車走らせ、西島秀俊演ずる家福の妻に対する思いを吐き出すシーン。
また観たいと思わせてくれる映画です。
木曜日の食卓からの西島秀俊ファンだが、濱口監督にお礼を申し上げたいです。
素晴らしい映画、脚本です。ありがとうございます。
黒沢清監督のコメントが非常に嬉しく、少し泣きました。
長い夜を待って、、、
私も 同じ 話し方に なります
無音、沈黙の場面と情景が美しかった。演劇パートでは稽古も本番の舞台も手話によるユナの台詞が一番心に沁みた。
みさき(ドライバー)も皆(演劇祭関係者)も言葉が少なく話す速度もゆっくりでそもそも平板アクセントの日本語がもっと平板になっている。だから違和感があった。そのせいでアクセントを気にしないよう努力しなくてはならず、その結果言葉の内容に普段以上に意識を向けざるを得ない。これほど言葉の一つ一つを全身で掬おうと思って見た映画、あったかな(皮肉というかあまりいい意味では言ってません)。カンヌではこの映画のメイン言語の日本語も字幕なのだろうが、その話し方がかなり独特であることを日本語母語話者以外の観客は理解しているのだろうか?
家福は後部座席に座っていて高槻が語る(この場面の岡田将生、とても良かった)時も二人並んで後部座席。その後高槻は彼の車に乗ることはもうないが家福は助手席に座るようになる。みさきと家福が共に車内で煙草を吸う場面はいい。音楽と脚本と映像、良かった。原作未読。村上春樹作品、女性が本当によく死にます。
自分が一番抵抗を感じた点の一つは、音と家福という夫婦は妻の脚本作りの為にセックスしてたのか?です。妻はオーガズムを得てそして語り始めるのだと家福は言っていた。本当にそうだったのかなあ。夫はそう思うことにしてただけなんじゃないかな。だからそういう鈍感というかわかってない男の左目(緑内障にかかってる方の目)を刺すんじゃないか。妻も逃げていて、その内容は夫でなく高槻に語る。語った内容を妻は翌日は都合よく「忘れる」しなあ。
なんだかめんどくさい。こういう言い方は失礼なのかなあ。相手と普通に話せばいいのに。喧嘩になるかも知れないし沈黙するかも知れない。よくわからないけれどそういう会話ができない人たちを見てるのがめんどうだった。それを見せる、感じてもらうのがこの映画なのかもしれないことはちょっとはわかる。フィクションということで理解すればいいのかな。
でもこの映画のおかげで色んなこと考えてチェーホフまで久しぶりに読んだ。「ワーニャ伯父さん」は面白い!ありがとう💐
素晴らしい映画。あと「10回は観たい」
なんて美しき世界観!
静かで儚く美しい
原作未読ですが、脚本が素晴らしい。
次は?次は?と早く知りたい衝動に駆られて画面から目が離せない、離したくない。伏線からの回収も巧みなため、3時間の長編作品とはいえ全く退屈なく鑑賞できます。
本作の一番の魅力はストーリー、登場人物共に“ミステリアス”であること。
とくに音が色っぽく知的で魅惑的、女の私でさえも惹かれちゃう(理想的な大人の女性像だわ)。家福と音とのベッドシーンも美しい。
『どれだけ強い絆で結ばれていても、愛し合っていても、結局のところ他人の心はわからない。だからこそせめて自分自身と真っ直ぐ深く向き合う必要がある』高槻演じる岡田将生くんの言葉が刺さる。
自分に正直に生きていくこと、意外とできてなかったりするんだよね。また、愛する人を失った“喪失感”とどう折り合いをつけて生きていくか、残された者は哀しみ乗り越えて残りの人生を生きていくしかない。
東京、広島、北海道、韓国と舞台は変わっていくけど、瀬戸内海の景色、北海道の雪景色が印象的だった。雪道を車で走らせる時の無音のシーン、雪景色に溶け込んで素晴らしかった。そもそも本作はバックの音楽がほとんどなく静謐で、劇場内にもどことなく張り詰めたような柔らかな緊張感が迸っていた。
そして最後の韓国のシーンあれは観客に答えを委ねているのだろうけど、韓国での公演をしてたってことでいいのかしら?マスクしてたからコロナ禍だし…謎。ただ、みさきの表情が明らかに明るくなっていた。
最後に一つ、音が愛する夫が居ながらもいろんな男と寝ていたのは、心身共に満たされていなかったことに加えての単純に性欲が強過ぎただけじゃなくって?
久々に長い余韻に浸っている。
もう一度観たい、何度も観たい!
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