「前半:違和感、中盤から、挽回」ドライブ・マイ・カー 悶さんの映画レビュー(感想・評価)
前半:違和感、中盤から、挽回
【鑑賞のきっかけ】
カンヌ国際映画祭や米国・アカデミーなどで数々の賞を受賞した本作品は、鑑賞候補となっていたのですが、永らく未見でした。
動画配信のコンテンツの中に本作品を発見し、鑑賞してみることに。
【率直な感想】
<冒頭は、違和感>
予備知識は入れないように鑑賞する私にとって、冒頭からのシーンは、違和感のあるものでした。
主人公の舞台俳優・福家(西島秀俊)と妻の音(霧島れいか)の性描写が続く。
しかも、音は、性行為の際に、物語を福家に語る。
福家は、赤い愛車を運転する際の習慣として、音が演劇のセリフを録音したテープを流す。
それは、相手のセリフの時間が無言になっていて、福家は、音が無言の間に、自ら覚えたセリフを吐いて、練習をする。
この冒頭には、興味を感じず、その後の展開に不安を感じてしまいました。
その後、音は突然死。
場面は、変わって「2年後」。
赤い愛車を運転しながら、相変わらず、音のセリフのテープを流す福家。
ここで、タイトルは映りませんが、スタッフの名前が表示されていく。
いよいよ、本編に移るのだ、と思った瞬間。
始まってから、40分くらいのところでした。
<その後の展開には引き込まれた>
本編に入ると、性描写はなくなります。
福家が車で向かった先は、広島。
演劇祭の演出を任されていたのです。
オーディションを含めて、2か月の滞在のため、劇場から1時間くらいの場所に宿が準備されていました。
ここで、宿との車での往復のための専属のドライバーとして紹介されたのが、本作品のキーパーソンの一人、みさき(三浦透子)でした。
さらにもうひとり、オーディションに合格した俳優・高槻(岡田将生)が登場し、本作品の三役が揃います。
ここからの展開は、これ以上話すとネタバレになるので記載しませんが、大きな起伏のある展開はないものの、登場人物それぞれのキャラクターの描き方が巧みで、長さを感じさせない物語となっていて、当初の不安は払拭されました。
<赤い車の正体>
物語後半で、私は衝撃を受けました。
あの不安を感じた、冒頭の性描写の続くシーンには、本作品の重要なテーマが隠されていたことが、判明します。
その内容は明かせませんが、鑑賞後、調べていて、なるほど、と思ったことがあります。
題名の「Drive My Car」には、スラングで、「性的関係をもつ」という意味があるのだそうです。
それならば、「性描写」があって当然、というか、ないと、この題名を付けた意味がないですよね。
また、性行為は本来、子孫繁栄のためのものであり、「生」を意味しているとも言える。
一方、本作品には、音を始め、多くの「死」が描かれる。
つまり、本作品は、「生と死」という人間にとって重要なテーマを描いたものと言えるような気がします。
さらに。
後半では、赤い車に、福家、みさき、高槻の三人が乗り込んで走行するシーンが出てきます。
ここで、赤の他人であった三人のそれぞれの「人生」が交錯するのです。
自動車は、密閉された空間の中に、それぞれの「人生」も積んで走行するもの、と捉えることもできるのではないでしょうか。
【全体評価】
冒頭の違和感のある性描写のシーンが、深淵なテーマと転化する物語展開が見事な作品でした。
また、上記では深く触れませんでしたが、「演劇祭」の行方が、物語に花を添える形になっていて、巧みな演出を感じることが出来、数々の受賞も納得の作品でした。