私は確信するのレビュー・感想・評価
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フランス警察はクソ
フランスで実際に起きたヴィギエ事件の裁判を題材としフィクションを加えた作品。
スザンヌ・ヴィギエが子どもたちを残していなくなり、大学教授の夫ジャックが妻殺害の容疑者とし起訴され裁判となる。
ジャックの無実を信じているノラは弁護士のデュポン=モレッティに協力し、自分も事件の調査を進めるという話。
実際にスザンヌが死んだかどうかもわからないのに殺人事件?って思ったし、ベビーシッターやスザンヌの愛人らが法廷で嘘ばっかり証言したりで、フランスの警察や検察ってこんなていたらく?って感じた。
ノラにしても、子供や仕事を犠牲にしてまでのめり込む事かと全く共感できなかった、
最後に弁護士の言う、推定無罪、の熱弁だけは見応えが有った。
自分には難しかった。
全ては警察の怠慢
フランスってこうなんですか?多分、日本じゃ、検察が「これじゃ裁判出来ねーよ!」と「不起訴判定」するレベル、そもそもが。
「法廷もの」として見ると、明らかに物足りないです。だって、これ、「映画では紹介されていない何か」が無い限り、検察はいかなる依拠があって控訴してるのよ?新たな証拠でもあった?これで逆転有罪は起こりえないでしょうねぇ....
「女性の生き方の話」とてして見れば、結構ジーンと来ました。
メディアのクズっぷりに関して言うとですね。我が国の場合、もっともっともっと酷いからw
何はともあれ。クレマンス役のアルマンド・フーランジェと「アマンダと僕」のデービッド役のヴァンサン・ラコストは兄妹に違い無い!
シリアスな法廷ものを期待していたので、完全に肩透かしでした。
「それでもぼくはやってない」って言えよ
理不尽な容疑者。死体も見つかってないし、物証証拠が乏しすぎる中であっても被告人を有罪に仕立て上げたい検察側。自白を強要したいという、「疑わしきは被告人の利益に」、「推定無罪」という大原則を踏みにじるかのような展開だ。
10年という苦しめられた被告人ジャックも可哀そうにうつ病になってしまっていたが、それよりも妻の失踪当時は子供だった娘クレマンスや二人の息子が大人になっていたことが痛々しく感じた。どこの国でも冤罪事件は起きるんだなぁ~と、しみじみ。
事件をこじらせたのは被害者であるスザンヌの愛人オリビエ・デュランデ。自分に容疑がかからないようにと、スザンヌの電話帳を使って見知らぬ人にも電話をかける。不利になるようにとジャックの残した証拠を吹聴してイメージ操作をし、それがやがてマスコミにもリークされ、世間をも巻き込む事件に仕立て上げたのだった。
むかつく人物がもう一人。警視だ。たいした証拠もないのにジャックに自白を強要させ、両親をも説得させようとする態度。極めつけは「オリビエこそ被害者だ」とか、証人として法廷に立った言動には呆れ果ててしまいました。そうして二審を中心にクレマンスに家庭教師をしてもらっている息子をもつノラの物語でもあった。
失踪しただけで殺人事件扱いすることにも憤りを感じるが、それでも支援してくれる人がいることで中和され、成り行きが気になってしょうがなくなる作品。夥しい通話記録のCDという証拠は裏工作するオリビエの悪態が集約されていたが、新たな犯人を暴く法廷ではない。ぜってーてめーが犯人だろ!と叫びたくなるような映画でもありました。そもそも死体がないのに殺人事件として立件するところにももやもや・・・
裁判員制度も形骸化する
SNS的なコミュニケーションは
容易に人々を扇動してしまい、社会的に影響のある決断をするときに、
ワンイシューが人々の思考力を奪い、
議論する思考力を奪ってしまう。
もはや、良心とコモンセンスに頼る裁判員制度も人々の劣化で形骸化されるであろうことを予言する。
弁護士は仕事、仲間はボランティア
電話の録音聞いて裁判を手伝う話
法廷劇にハズレなしとはよく聞くけれど、手放しで面白いと言える映画ではなかった。
もっと劇的な展開を期待してしまったせいか、事実を元にした作品だからかちょっと地味な印象。
いや普通に面白かったけれども、なんだろうやっぱりラストの展開がいまいちでしたね。
容疑者の10年間の苦悩、弁護士の一度勝ってる裁判へのプレッシャー、怪しい愛人のクソ野郎ぶりなんかとってもよかったのですが、主人公の立ち位置が煮え切らなかったかな。
事件の資料まとめを手伝わされるうちに独自の真実を構築して暴走してしまう。自分勝手な正義を振りかざす姿に客観的にちょっと怖かった。
自分も同じ立場ならば主人公のように行動を起こすかもしれないと思う。
正しい行動だろうけど冷静な判断はできないだろうと思う。
この物語は「12人の怒れる男」に似ていて、真実はわからない。
裁判の結果と真実は同じと限らないし、人間は信じたいものしか信じない。
殺人か行方不明か分からないこの事件は結果的に残された家族が一番幸せな判決に終わる。
極論をいえば裁判とはこういう事なのかも知れない。
納得できる人、それを望む人が多い方が勝った方がいい。
命の重さは平等だし、負けた側は納得なんかできないけれど、世間的に見ればそれが収まりがいい。
当事者は真実を求めるけれど、部外者は結果を求める。
第三者が冷静に判断し判決を決めるのは正しいけれど誰もが納得する判決なんて絶対に下せない。
裁判のジレンマを深く意識させられました。
劇中の事故シーンで思わず「うぉ!」と声をあげてしまった。
唐突だったし、ストーリーの大事な場面だったので・・・
声をあげちゃうのはマナー違反かもですが、久しぶりに劇場で声が出てしまった作品。
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劇中セリフより
「私の世界を壊さないでほしい」
勝手な正義感で誹謗中傷をするのは考え物。
一番厄介なのは善意の他人なのかも知れない。
一度振り上げた拳はどこかに振り下ろされる。
下ろす場所がわからなくなったら力を抜いて拳を解くことも大事。
法廷シーンでの臨場感
レストランのシェフでシングルマザーのノラ(マリーナ・フォイス)が、一人息子の家庭教師の娘と親しくしており、彼女の父親で大学教授のジャック・ヴィギエの無実を信じ、戸惑いながらも裁判に深く関わって行く様に引き込まれた。
ノラに懇願され担当弁護士となったデュポン・モレッティ(オリヴィエ・グルメ)が、最終弁論で熱弁を振るうシーンでの臨場感、緊迫感がリアルで見応えがありました。
裁判というものの精神的・肉体的負担の大きさを感じました。
映画館での鑑賞
疑わしきは罰せず。裁判がもたらす、真の重みとは。
【賛否両論チェック】
賛:被告人の無実を信じ奔走するヒロイン達を通して、裁判のあるべき姿を見事に体現しているよう。
否:特に謎解き要素はなく、ストーリーは非常に淡々としているので、惹かれないと退屈してしまうこと必至。
疑惑多き失踪事件に端を発した、殺人事件の裁判。被告人の無実を信じ、無罪を勝ち取ろうと奔走するノアやデュポン弁護士の姿を通じ、1人の人間の一生を決めてしまう“裁判”というものの重みを、改めて痛感させられるようです。特にデュポンの最終弁論は、「疑わしきは被告人の利益に」を見事に表現している、非常に熱量のある演説で、一見の価値ありだなと感じました。
ただミステリーではないので、特段の謎解き要素はありません。そのため、物語は法廷のシーンを中心に非常に淡々と進むので、思わず眠くなってしまいそうでもあります。
裁判のあるべき姿を体現しているような、どちらかというと社会派の作品といえそうです。
ノラはよく頑張った
ヒッチコックの映画好きの犯罪学が専門の教授の奥さんが失踪した事件にまつわる法廷映画。証拠も遺体も供述もないのに逮捕された教授の一審の陪審員を経験したノラ。レストランのシェフをしながら小さい男の子を育てるシングルマザー。教授の長女が自分の息子の家庭教師をしてくれていた縁から、二審では弁護士のサポートを買って出る。250時間におよぶ参考人の供述音声データを要約してくれと弁護士に頼まれる。寝る間を削って、自宅でテープおこしをしてはタイピングした原稿を弁護士に渡す。疲れて、仕事に遅刻したり、留守中、子供が自宅のキッチンで火事を起こしてしまったり、証拠の音源と原稿を届ける途中であわてて、車に轢かれたりしながらも、彼女自身が矛盾点をあぶり出して、弁護士と二人三脚で無罪を勝ち取る。しかしながら、教授の奥さんはデュランデという出鱈目男と不倫関係にあり、デュランデが教授に罪をかぶせて、陥れるために家政婦を巻き込んで、バッグを家に戻すなど画策した事件で、警察も安易に同調し、夫を容疑者として逮捕、殺人罪で起訴してしまおうとしたものだった。参考人が多いのはデュランデが奥さんのバッグの中のアドレス帳を使って捜査が教授に及ぶようにデマを流したからと思われる。弁護士役のオリビエ・グルメの好演が光る良作。フランスでの失踪事件は非常に多く、その大部分が未解決。警察の捜査の失態が冤罪を招く母地になり、証拠に乏しい事件で陪審員制度の危うさをノラを通して疑似体験できた。デュランデが痴情に駈られて殺害したあと、死体の処理をしたのは夫である教授本人かもしれないところがミステリアス。
皮肉なタイトル
昨年から目をつけてた映画ですがやっと観れました。が、なんか違う。
モレッティ弁護士の最終弁論がすべて、
本当に推測のオンパレード。
「たぶんああだ」「おそらくこうだ」で容疑者にされちゃたまったもんじゃない。誰も何も確信なんかしてないじゃない?
でもこれは事実を元にした映画だけど実際こういう推測で有罪にされた人って相当いるだろう。
声が浮かび上がらせる、違和感と不信感。
フランス映画特有のみんな身勝手はお約束。
国中から疑惑の目を向けられる、無罪判決を受けた元被告の男性。彼の無罪を確信した主人公が、誰にも頼まれてないのに、控訴された彼の無罪を勝ちとるために奔走する。
序盤の話の進み方はちょっと唐突で、その後の膨大な電話記録のテープの再生は観客を少し困惑させる。
でも、無罪の証拠を集めるために、仕事が終わった後に寝る間を惜しんでテープを聞き、リストを作る主人公の姿と、次々と流れる会話に次第に違和感を感じ始めるにおいて、ストーリーに引き込まれていく。
姿の見えない、テープから流れる会話から、事件関係者の人物像が浮かんでくる演出が、不可解な事件の薄気味悪さを引き立たせている。
後半は法廷での裁判の行方がメインだけど、証人は誰もがどこかおかしい。
姿が見えない前半で感じた違和感と薄気味悪さは、証人という形で、可視化されたことで、より不快感を増す。
フランスって、芸術の国だからか役者さんが良い、といつも思う。証人一人一人、どこにでもいそうな普通の人なのに、特にオーバーアクションでもないのに、絶対信用できないと思わせてくれる。
この映画、事件の真相は闇の中、って結末なんだけど、鍵を握る証人の人物設定のおかげで、それもやむを得ずと納得
そしてその役の役者さんの、底知れない不愉快さ、不快感は群を抜いてた。
謎解き、法定サスペンスに加え、主人公の息子との関係も描かれてて、最後まで楽しめました。
疑わしきを罰する
フランスで実際に起きた「ヴィキェ事件」を題材にした話で、失踪した妻を殺した容疑で起訴されているヴィキェが無実だと確信しているシングルマザーが事件の様々な音声を聞き、調査を進めていく話。
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このヴィキェ事件、失踪した奥さんの遺体が見つかったわけでもないので、ヴィキェさんが起訴されてるのも殺したんじゃないかという仮説だけで疑われてる。「疑わしきは罰せず」ではなく完全に「疑わしきを罰する」司法。
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でもこの物語の主人公ノラも息子の家庭教師がヴィキェの娘というだけで、何故かヴィキェが犯人でないと確信をしている。そして事件を調べていくにつれて仮説だけのトンデモ推理をし始める。
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ノラは最初からヴィキェが絶対犯人じゃないと思って膨大な音声を聞いているので、恐らく自分の考えに当てはまるところが重点的に耳に入ってるはずと、私は確信しているのだが(笑)、それは膨大なデータから自分の思想に合うもの興味のあるものが目に付くようになってるSNSと同じだなぁと。
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普段何となくあの芸能人嫌いとか見てないのにあの映画面白くなさそうとか思うことあるけど、それの延長線にあるような事件だなと思った。そこに正義が乗っかってるからまためんどくさい。
検察はいくつかの仮説を提示する。もっとも信頼する仮説を陪審員は選ぶ。つまり、世間が信じるのはひとつの仮説にすぎない。
予告とかから想像できるように、この裁判の結末は見えている。肝は、その結論に至るまでの弁護側の奮闘だ。裁判は、ヴィギエ被告が妻を殺したかどうかのみを争う。ほかに容疑者らしき人間が浮上しても、脱線はゆるされない。とことん追い詰められていく様は、自分が被告だったら気が狂いそうだ。
てかその前に、フランスでは死体がないのに殺人事件として立証されるの?
これだけ人格まで攻撃しておいて、ただの行方不明だったらどうするの?
そうそう「gone girl」ってのがあったじゃないか。ああいう場合だったら、生きてたねゴメンね、って謝って済ますの?
警察の杜撰な捜査、検察の偏見。まるで、体格差のハンデ戦を強いられた理不尽さが付きまとう気分だ。土壇場まで追い詰められながらも、判決の大きな決め手は、弁護人の最終弁論であったことは明らか。あれが陪審員の心証を揺るがした。だけど、そこにフランス司法に対するおおきな不安と恐怖がある。じゃあ、例え無実でも、検察側が、さも真実であると思えるほどの説得力のある仮説を提示した場合、有罪になるのではないか? 推定無罪の原則なんてないじゃないか。結果に喝采を送るよりも、その惧れをぬぐえない制度に震えがきた。そして、テロップで流れた「その後」に、この結末に消沈している多くの関係者を、影からほくそ笑む誰かの存在を、僕は確信する。その誰かは、誰なのか。妻か?間男か?もしかしたら無罪を勝ち取った本人か?まだまだ隠された真実がありそうだよ。根は深いんだろうなあ。
肝心な部分についていけなくなる僕がいました。
ストーリー、演出とは関係ない部分でお話に置いていかれてしまいました。
通話記録の書き起こしがポイントなんですが、字幕を追っているだけでは
誰が話しているのか?誰が誰だっけ?がこんがらがってしまって、途中ポッカーンに
なってしまいました。フランスの名前は聞き慣れませんしね。
さて!
実際にあった裁判事案をもとにした作品です。
サスペンス仕立てで展開していくので、なかなか面白いです。
ノラの(まさに)粉骨砕身の尽力で、真犯人判明に近づいていき、どんでん返し爽快法廷劇・・・?かと思いきや・・・・違いました。
違うのは良いのです。いいんです。だって、犯人探しじゃなくって、無罪であることを勝ち取ることが最大目的なんですから。「推定無罪の原則」に立ち戻り「無罪」を勝ち取ることが大事だったのですから。で、熱い熱い最終弁論。
ここは演者さん見事で、感動すら覚える場面ですが、僕は冷めていくのです。なぜか。
だって・・・・その弁論内容はこれまでの裁判記録、証言記録の追求でできるんじゃない?って思ってしまったからです。ノラの頑張りの反映になっていないと思っちゃったんです。僕は。
僕の理解が浅いのかもしれません。このように推定の話ばかりだったんだね、ってレベルにまで裁判を持ってこられたのは、音声記録の書き起こしとそこからの究明だったとしたなら、これは見事なんですが・・・そうは思えなかったんですよね。
また、真犯人を見つけることが目的ではなく、無罪とすることが目的であるという弁護士と、なぜか真犯人探しに躍起になるノラ。ノラの行動の源泉がなんなのか?仕事も子供もおざなりにしてしまう熱情はなぜ生まれるか?の描写と説得力が少ないので、いまいち感情が乗っていかないのです。
また、ノラの存在自体・・・「えーーー」な感じのエンドロール前。だったらもっと味付けして欲しかったな。
ま、事実を元にしているからあまりに偏向的な脚色はできなかったのかな?
であっ他そしても残念。この消化不良さが残念。
背景や感情の描き方が少なかったのは、子供たちや親戚の方々の描写が少ないです。
最後まで子供たちが何を考えているのか?わかりませんでした。
母がいなくなり、そして残った親が有罪になろうとしている。
どーいう心境なんだろうか?最後の判決を聞いた時、子供たちや親戚はどう思ったのだろうか?
薄かったなぁ、描き方。
いやー、しかしフランスの警察、司法の緩さといったら・・・ひどいなぁと。
日本の法廷の場を見たことはありませんから比べられませんが、少なくとも推定で判断しちゃうとか、判事との取引のようなものはないと思います。あー、陪審員制度があるから一概に比べられないのかな?
行方不明の人数にも驚くけど、司法の適当さは、一体なんなんだろ?こっちの方も驚きます。
内容はちょっとイマイチでしたが、このような現状(司法と行方不明者)を知ることができてよかったかな?
じゃあわたしも!わたしも!
どーぞどーぞ。
いや、良い意味での想定外な作品でした。冤罪事件に対する弁護士とお節介主婦のバディムービーかと思いきや、さにあらず。
ノラ(主人公)は現代を一人背負う感じで、序盤は間合いの上手いシングルマザーだったのが、物語が動くと共に嫌な間合いの視界ゼロ頭でっかちに。対照的にモレッティ弁護士は他の案件も抱えつつのプロ全開。ここら辺の化学反応が実に見事で、ものすごく苛々させられるのだけれども、ラスト間際にドカンと昇華されました。
主人公に対しての感想は最後まで変わりませんでしたけれどね(苦笑)。主人公も中々の加害者でしたから。きっとそれもメッセージ。お見事です。
で、奥さんどこにいるの?
法廷モノでフランス映画、「眠くなりそう…」と心配でしたが、全然寝せてもらえませんでした。
実話ベースで多分フランス人なら「あー、あの事件ね」という位有名な事件みたい。
家庭内別居状態の奥さんがいなくなって、犯人に仕立てあげられてマスコミにもずっと犯人扱いされてたらそりゃあ精神病みますよ。
警察がひどい見込み捜査で自白を強要させようとするとか、袴田さんの事件の頃から日本フランス問わず続いてるんだ。
あーくわばらくわばら。
冤罪で捕まりませんように、私。
それにしてもあの愛人!
たとえ10年前だったとしても少しも素敵なところないんじゃない?
奥さん趣味悪すぎです。
これがフィクションなら最後は「あの愛人が真犯人!」って事で幕なんでしょうけど、本当に奥さんどこに行ったんでしょうか?
日本のワイド番組に関わる方に見て欲しい
世の中では、たくさんの人が、さまざまな過ちや間違いを犯してしまう。
そこに、加害者、被害者、関係者がいる
この映画では
事実が確証できていないことを
仮説や推理をもとに、紡いで、具象化しようとする体制(価値観、体質とも言える)、
に、正面から立ち向かうこと!
そして、見た私に気づかせてくれた。
もし、あの法廷の、あの席に、自分がいたら・・・・
被告席
証人席
検事席
家族の席
・・・
陪審員
裁判に、決定的な証拠、証人は、いないという
こと
1人のひとの10年を
大衆は
軽率な一言、仮説を鵜呑みにすして判断する
社会の中で生きていく怖さを
この映画は、
学ばせてくれます。
救いの策は、ないようです。
かくも長き不在
主人公が被告ではなく、被告の家族でもなく、依頼された探偵でもないのに、義憤に駆られたにせよ、あの執念はいささか常軌を逸している。モデルになった人物は利害関係者らしいので、それなら納得できるが。
フランスでヒットしたということだが、未解決の事件なのに一定の予断を与える可能性があり、デュランデ氏や警察当局から抗議を受けなかったのだろうか。
法廷ミステリーは好きで、その手の映画もよく見るのだが、実話を基にしたものはペリー・メイスン物のように快刀乱麻を断つというふうに行かないのがもやもやする。失踪から20年経ち、フィクションなら当然何らかの結末をつけてほしいところだが、真相が不明のまま放り出される。
日本でも年間8万人以上の行方不明者がいて大半は発見されるが(死亡も含む)、そうでない人も結構な数いるようだ。どうなってしまったのだろうか。深い闇の底をのぞくような気分になる。
邦題は、「ヒッチコック狂の“”完全犯罪”」という惹句に合わせて「私は告白する」に寄せたのだろうか。
私も憶測した
2000年にフランスで実際に起きた「ヴィギエ事件」を題材にした法廷モノサスペンス。
突如として姿を消したスザンヌ・ヴィギエという女性。手掛かりという手掛かりもなく、今現在も生死はわからないままの未解決事件らしい…。
失踪日は2000年2月27日…ってちょうど21年前の今日じゃないか!!
そんな偶然に驚きつつ・・・。
証拠もないまま殺人を疑われてしまう夫のダニエルを助けるべく、弁護士デュポンとシングルマザーのノラが奮闘する。
ちょっとテンポが良すぎる展開に加え、鳥肌の立つような伏線回収みたいなものもないからあまりノリ切れず(そもそもそういうのを狙った作品じゃないけど)、しかし確かなメッセージを持っている本作。
本当に、後半デュポンが言うセリフが全て。
気持ち的には全面的にノラに同意だけど、段々と目的がズレてきちゃっていたのは確か。
相手をダニエルと同じにするのがゴールじゃないですからね。
そもそもそれは弁護士の仕事でもないし…。
最終弁論のシーンは見ごたえがありましたね。
それと同時に、この言葉が10年も経ってやっと強く語られたものなのかと思うと、ある意味唖然としてしまう。こんなんで10年も続いたの?ダニエルの時間返してほしい。。
まさにちょうど21年経った本日現在もスザンヌの行方は分かっておらず。真実が気になる。
やっぱりデュランデが~とか結婚生活が破綻していたダニエルにも動機が~なんて自分なりの推理(憶測)を楽しみ始めた所で、デュポン・モレッティ氏に叱られたような気分になる、、、人の悲しい性ですね。
疑わしきは罰せずとはこういうこと。
有罪である。無罪である。真犯人がいる。
どこかで生きている。そう私は確信する。
全ては仮説。10年前、夫と3人の子供を残し姿を消したスザンヌ。殺害の罪に問われた夫ジャックの控訴審が始まる。無実を信じる家族と知人でシングルマザーのノラ。ノラの依頼を受けて弁護を引き受けた敏腕弁護士デュポン=モレッティ。一方有罪ありきの裁判は仮説が積み上げられマスコミも世間もその罪を疑わない。
250時間に及ぶ膨大な通話記録を調べるノラ。疑惑の人物が次々と浮かび上がり、真犯人はスザンヌの愛人だと突き止める。しかしこれも仮説でしかない。
遺体もない。目撃者もいない。自白もない。ジャックが犯人だという証拠も犯人ではないという証拠もない。「疑わしきは罰せず」正義とは何か。陪審員の心情に訴えかけるクライマックスの法廷シーンは見応えがあったし、胸が熱くなった。
ただ、フランスで有名な裁判が元になっていることもあって、知ってて当然でしょって前提の前半は正直理解できなくてかなり辛かった。フランスの方の名前も馴染みがないので、あれ?これさっき言ってた人の話なんかな?とか。あと、自らの生活を犠牲にしてまでのめり込むノラには共感できなかった。その正義感が時に物事の本筋を曲げてしまうかもしれない危うさ。とにかく何があっても息子を放ったらかしにしないで。
確信が新たな確信を生む。結局スザンヌはどこへ消えたのだろう。一番大切なことは何も分からないまま。
裁判は終わり、真相は闇に葬られる。
火の無いところにも煙は立つ
まったく身に覚えのない理不尽な非難に晒され、どれだけ潔白を訴えても真実の証明が出来ないという苦渋に満ちた経験を味わった事のある人は少なくないと思う。
洋の東西を問わず「火の無いところに煙は立たぬ」という成句のおかげで「噂が立つからには本人に原因があるのだ。」という論調になるケースは、これまた非常に多い。
しかし、ワールドワイドウェブ華やかなりし現在、SNSを眺めてみればまったく火(根拠)の無いところに、どす黒い煙が立ち上っていく様子をまざまざと俯瞰&観察出来る。
煙を起こす「火」は、本人に原因がある場合もあるが、それ以外にも近しい他人からの「妬み」や「マウントポジションが取れない事への不快感情」というケースが非常に多いのだ。この場合だと、本人はまったく悪く無いし本当に何もしていない。
火を煽る「風」は、当事者の事をロクに知らない赤の他人達の「心証」だ。
噂話は彼らの狭隘な経験に勝手に紐付けされ「こういうタイプはこんな奴に違いない」といった的外れの憶測を新たに生み出し続けていく・・・。
バッシングの規模は、家族、親族、近所付き合い、職場、SNSなど様々だが、その最たるものこそが司法レベルの「冤罪」であろう。
この映画の原題「Une intime conviction」は法律用語の「心証」の意だとか。
本作は実際にフランスで起きた「ヴィギエ事件」を人物名もすべてそのまま扱っている。唯一、架空人物であるヒロイン「ノラ」も、ランボー監督自身の投影だ。殺人罪に問われた第二審時、ヴィギエ氏とその家族に話を聞き、モレッティ弁護士に弁護を依頼したのもランボー監督だ。スザンヌ失踪後、ヴィギエ氏と交際関係にあり家族を支えた女性を外殻、ランボー監督を内核としてノラ像は生まれた。
デュランデがヴィギエ氏を犯人に仕立て上げる画策が通話記録で明らかなのにも関わらず、警察と検察が有罪獲得に躍起になった事実に、ランボー監督とモレッティ弁護士は動いた!
司法システムが内包する悪しき問題と、巻き込まれた人々の悲劇に一石を投じる為に!
日本でも袴田巌さんは30歳の時に殺人容疑をかけられ32歳から74歳まで収監、裁判は決着していないので84歳の現在も死刑囚のままだ。警察・検察が殺人犯に仕立て上げた可能性も否定出来ない。本当に冤罪ならば、なんと恐ろしく悲しい人生であろうか!
映画の中で、ノラは250時間にも及ぶ通話記録を分析しては情報をモレッティ弁護士に渡す。弁護士は証言者の言葉が如何に曖昧なものであったかを1人1人に証拠を突きつけ、事件の心証をひっくり返していく。ノラがレストランの料理を次々と仕上げるように。
しかし、デュランデの悪意ある画策を知った時、ノラもまた自分の抱く一方的な確信に捉われる。正義の為に動いているつもりでも、人は容易に「心証」に捉われ、左右されてしまうのだ。盲目的に正義を振りかざし、ロクに知りもしない他人を勝手に断罪する。(コロナ警察しかり、だ)「世論」とは、そんな側面を含んでいる事を、ノラは体現してくれる。
クライマックスでモレッティ弁護士が推定無罪の原則について訴える圧巻のシーンは、実は観客にも問いかけているのではなかろうか?
デュランデが真犯人だと思いますか?彼もまた、推定無罪ですよ?と。
SNSが世論を形成する速度は凄まじい。ネット社会が訪れる以前の比ではない。そんな情報化社会を生きる私達は、これまで以上に「推定無罪の原則」を厳しく意識していく事が大切だ。
冤罪という悲劇に、誰かを突き落とす事のないように。
そして自分が落とされる事のないように。
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