「おもしろ映像を使ったフィクションと捉えるべきか。」オクトパスの神秘 海の賢者は語る 村山章さんの映画レビュー(感想・評価)
おもしろ映像を使ったフィクションと捉えるべきか。
アカデミー長編ドキュメンタリー賞を獲ったことでにわかに注目を浴びている作品だが、ややこしいことを言うと、ドキュメンタリーの定義について考えさせられる問題作だと思う。
邦題の「海の賢者は語る」については、原題も似たニュアンスだが、むしろ人間側が一方的に学んでいるのであってタコはなにも語っていない。あくまでも「タコはこう考えているいる気がする」という人間側の解釈なので、あくまでも「ヒトの主観」を描いた作品と考えたほうがいい。
もうひとつ気になるのは、劇映画風の撮影と編集は、ドキュメンタリーにおいてどこまで許されるか問題。もちろんケースバイケースなのだが、この映画を額面通りに受け取るには、カメラの切り返しなどからカメラマンが二人いるのがわかるし、相当に編集によって構成されているのもわかる。「ほぼひとりで一年間海に通い続けました」ではこの映画はできない。
じゃあ「◯◯の協力を仰いだ」みたいな説明がひとつ入るだけで済むことなのに、この映画はドラマ性を優先してそういう手間は省いている。まあ、面白いので作品がダメっていうんじゃなくて、限りなく再現ドラマみたいなものなのかなと思っています。
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qyuさんのコメント
2021年5月4日
どうやって撮影したのかいう疑問が山のようにわく「ドキュメンタリ」です。大事な場面がいつもカメラの前で起きて綺麗な映像で捉えられている。その映像には、酸素ボンベもウエットスーツも使わない素潜りの作者が写り込んでいる。作者が恋したタコが目の前で襲われても助けることもなく映像に納めて、奪われた足が再生する感動の物語とする。そして、恋したタコの死に涙する作者のインタビュー映像。作者のモラルが問われる作品だと思います。