「タコに驚き、感謝したくなる本年度オスカー受賞作」オクトパスの神秘 海の賢者は語る 清藤秀人さんの映画レビュー(感想・評価)
タコに驚き、感謝したくなる本年度オスカー受賞作
生きているタコを手で持つと吸盤が皮膚に吸い付いてきて離れなくなる。我々がタコに関して知っている数少ない事実の持つ意味が、このドキュメンタリーを観ると軽く覆される。仕事で燃え尽きた主人公の博物学者が、南アフリカ沖の深海で出会ったメスのマダコは、足繁く訪問してくる相手を認知し、岩場の陰から足を出してそっと腕に纏わり付かせて来るのだ。まるで、知り合ったばかりの友達に恐る恐る挨拶するように。目を疑うそんなキラー・ショット以外にも、カメラはあかざエビを捕獲するときのマダコの頭脳プレイや、天敵であるサメの裏をかく決死のサバイバル術とか、海藻や岩に同化する雲隠れの術とか、タコという未知の生物の知られざる生態をつぶさに捉えている。他のいかなる生物とも異なる進化を遂げてきた軟体動物の素顔を。本年度のアカデミー長編ドキュメンタリー賞に輝いた本作は、地球上にはまだまだ知られざる領域が存在していること、自然の偉大さと生命の神秘はもちろん、人間もタコも同じく、この地球で、限りある時間を共有していることを実感させる。マダコとの交流で心が傷ついた博物学者がいつしか再生されるように、我々もまた巡ってくる新しい時間に向けて漕ぎだそうという気になれるのだ。タコに感謝なのである。
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