川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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平凡 日常を臨んで何が悪い
普通に過ごして何が悪い。田舎に暮らしてご飯を炊いてお風呂に入って牛乳飲んで炊けた米見て幸せ感じる。こんな平凡で何もないそんな生活でも幸せじゃーないですか(*˘︶˘*).。.:*♡そこに愛が無かろうと飯が不味くなること無いし幸せが逃げることだってない。普通に仕事して普通に家に帰る。隣の島田さんが上がり込んでお風呂入って炊飯器開けてご飯よそって一緒に食べるこれもまた幸せな事一緒にご飯を食べることがどれだけ幸せか。改めて考え直されそしてほんわかする映画それが川っペリムコリッタ人は死ねばその後の金がいくらやらそんなん考えるだけで腹が減る。
葬式・火葬に墓石に・・・金がかかりゃー飯が不味くなる。人には人の人生が自分には自分の気持ちが、
そんなポカポカな気持ちになりました。
そんでムコリッタってなんだろな🤔笑
なんだろう。ほんわかな気持ちになる。
隣人との温かな触れ合いに、前科者で孤独だった山田とともに、私の心がほぐれていくのだ。
ムロツヨシ演じる島田が良い味を出している!毎日、風呂を借りに来て、勝手に冷蔵庫のビールを飲み、ごはんを食べる。ズケズケと遠慮のない彼に最初こそ、疎ましく思う山田だったが、次第に心を開いていく。
山田の表情もいい!松ケンは、やはり演技が上手いなぁと思う。節目がちな目とギュッと結んだ口に、どこか人に心を許さず、殻に閉じこもっている孤独な雰囲気が醸し出す。そんな彼が島田や南さんにクスリと笑い、心を開いていく様子が素晴らしい!
そして、ご飯を貪り食うシーンには「生」を感じる!給料日に稼いだ金で買った米。炊き立てのごはんの良い香りが、ここまで感じられる!
「僕はお金がありませーん」と皆ですき焼きを食べるシーンも好き!家族でなくとも、みんな団欒で食べる食事は、一際美味しい!
生活の中に、小さな幸せが転がっていることを気づかせられる、素敵なムービーに出会えました!
あなたの、私のムコリッタ
荻上直子監督と言えば、『かもめ食堂』『めがね』などのスローライフ・ムービー。ゆったりまったり時が流れ、個性的な登場人物たちが織り成すユル~い笑い。
本作でもその魅力に浸れる。
北陸のとある町の塩辛工場に就職し、安アパートで暮らし始めた主人公の青年・山田。なるべく人と関わらないようにしていたが…
「風呂貸して」とズケズケと上がり込んでくる隣人男・島田。風呂だけじゃなく、食事の時も現れて…。ヨネスケか!
美人未亡人の大家さん・南。これが高橋留美子の漫画だったらロマンスが始まる所。
墓石の訪問販売をしている父子・溝口。やる気があるんだか無いんだかな売り文句。
嫌々?ズルズル?仕方なく?彼らと接していく内に…。
最初は嫌で面倒でぎこちなく気まずかったのに、住人たちとの交流が日常的になってくる。
あんなにウザかった島田。見ていく内に、こちらもいつしか受け入れてしまっている。
風呂なんて毎日入りに来て、上がってからご飯も一緒に。
おせっかいだけど、何処か温かい。あるシーンの台詞が胸に響いた。「居なかった事にしちゃダメだよ」
住人たちも。風変わりだけど、何処か温かい。
それから、ご飯。『かもめ食堂』『めがね』もそうだけど、荻上直子監督の作品に出てくるご飯って、豪華豪勢A級フルコースには程遠いけど、めちゃめちゃ日本人の好みが分かってる庶民的な味。
炊き立ての真っ白なご飯、取れ立てのキュウリにトマト(庭園栽培している島田からの差し入れ)、塩辛(工場社長からの差し入れ)…。
風呂上がりにはビールじゃなく、牛乳。(終盤で思わぬ感動的な“遺伝”)
住人宅からいい匂いが。すき焼き! 家賃もろくに払えてないのに…。
美味しそうなご馳走に人は抗えない。皆で囲って。「ご飯って一人で食べるより誰かと食べる方が美味しい」
中でもイチオシは、暑い夏の日、ビールと味噌付けたキュウリ。これだけでイケる!
フードコーディネーターは荻上監督作お馴染みの飯島奈美。他の担当作品もそうだが、この人が手掛ける“メニュー”ってどうしてこんなに美味しそうなんだろう!
自分のペースの営み、気配りのない交流、美味しいご飯、たまの贅沢…。舞台設定は現代だけど、まるで昭和のような。
タイトルの不思議な言葉、“ムコリッタ”。仏教の時間の単位の一つで、1日(24時間)の1/30=48分を意味する仏教用語。ささやかな幸せを意味し、それは作品のモチーフそのものであり、表している。
私は単純人間だから、こういう作品を見るといつも思ってしまう。こんなささやかな幸せに浸りたい。
荻上監督“らしさ”充分だが、ただそれだけではない。
監督の新境地となったのは、『彼らが本気で編むときは、』。
家族の在り方や幸せを描きつつも、トランスジェンダーを題材にした社会的メッセージに心打たれた。
本作でもシリアスなテーマや社会的メッセージが巧みに込められている。
そもそも本作は、監督が行き場の無い遺骨のドキュメンタリー番組を見たのが着想だという。
孤独死した父親の遺骨を引き取るのを渋る山田。
父とは疎遠。母親ともとっくに生き別れ。両親揃ってろくでなし。
「ろくでなしって遺伝するんですかね?」
そう嘆く山田に工場社長が掛けた言葉…。
「生きてる意味ないんすよ」「ここに居ていいんすかね?」
ようやく山田もここでささやかな幸せを見出だし始めた時、自分自身に問う。南が掛けた言葉…。
誰とも関わり持たないと決めていた筈なのに、住人たちとの交流がいつしか欠けがえのないものになってくる。
それもこれも土足で入り込んできた島田。彼の存在、彼の言葉…。ささやかな幸せを見つける名人。
何故山田はこんなにも自分の人生に悲観的…?
両親がろくでなしだから…?
彼自身、あるものを背負っている。
それは冒頭の工場勤務初日の社長の台詞ですぐ分かる。「更正出来る」
実は山田は前科者。犯した罪は殺人ではないが、お金を騙し取って…。
だからそんな彼が、お金とは縁遠いささやかな幸せを見付けた事に意味を感じた。
罪は罪。それを猛省し、再出発する権利は誰にだってある。
工場側はそれを踏まえて雇い入れてくれたし、アパートでもその事を咎める人は居やしない。
必要の無い人間なんて居ない。居なかった事にされる人間も居ない。生きる意味、ここに居ていい意味は必ずある。
人間だもの。誰かしら何かを抱えている。
それは住人たちも。
悩みなど無いように見える島田。自称“ミニマリスト”のシンプルライフ。
が、彼にだって。飲みの帰り、嘔吐しながら嗚咽。言葉を濁した家族の事…。あるシーンで「俺も連れてってくれー!」。普段の言動からは計り知れないほどの苦悩や悲しみを滲ませる。
彼の幼馴染みの寺の坊主。強面で無口だが、さりげない優しさを見せる。
南は夫と死別。溝口は墓石の訪問販売。
島田の台詞で、川っぺりのホームレスたちが時々台風や大雨で流される。
山田がある時見掛けた住人の老婆。実はそのおばあさんは…。
山田の父親の遺骨、いのちの電話など、“死”が散りばめられている。
が、決してそれは終幕ではない。そこからの再起、再出発。
生と死。生を全うして死が訪れ、死を受けて生を尊いものに。
始めは素っ気ない性格に見えて、複雑な内面や事実を抱えている。松山ケンイチが巧演。
ムロツヨシみたいな隣人は絶対に勘弁!…と最初はうんざりしていたのに、いつしか彼の人柄にやられた。
満島ひかり、吉岡秀隆…彼ら住人の中に入りたくなってくる。
市役所職員の柄本佑、工場社長の緒形直人らの助演陣、マスクで顔が見えない江口のりこ、ワンシーンのみの田中美佐子や“運転手”笹野高史、声だけの薬師丸ひろ子…皆、適材適所。
夏のうだるような暑さを感じさせる雰囲気、時折秀でた映像美。
パスカルズの音楽も心地よい。
初期はスローライフ・ムービーの名手。近年は新たな手腕を見せ、その才は留まる事を知らない。
すでに発表されている次回作は初とも言えるシリアス作品になるよう。
荻上直子監督からますます目が離せない。
でも、今はまだこの作品に浸っていたい。
あなたの“ムコリッタ”は…?
松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、吉岡秀隆、江口のりこ、北村光...
松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかり、吉岡秀隆、江口のりこ、北村光授、松島羽那、柄本佑、田中美佐子、薬師丸ひろ子、笹野高史、緒形直人
キャストを見て、視聴したいと思った。号泣できると思って、準備した。
で、松山ケンイチ、ムロツヨシ、満島ひかりは主役級
吉岡はそれを支えて
江口はひよっとして?柄本はさっきの?田中美佐子は記憶にない。笹野は発見!薬師丸?
大号泣というよりは、ほっこりできる優しい映画でした。
死と向き合う映画
塩辛工場で働くことになった訳ありそうな山田が、ハイツムコリッタに入居するところから始まる静かな映画。
ほとんど知らない父の死を知り、そこからアパートの住人の死生観を通じて父の死に向き合っていく。アパートの隣人、島田が本当にそのままムロツヨシじゃないかと思うぐらいムロツヨシっぽい。
微量のファンタジーが独特の世界観を作っているが、それが自分には合わなかった。もっとファンタジーに振って強いオチを作るか、リアリティを出して絶望させてほしかった。
この世界観が好きな人なら。
すさまじいまでのクサさ
けなしていますのでスキップしてください。
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出演者が並んで立っているプロモーションスナップ/イメージってやたら使われてねえか?
意識高い系のアート映画によくあって、たとえば「愛の小さな歴史」と「お盆の弟」ではどちらも光石研が直立し面と向かっている。
おそらくしっかり探したら(出演者が並んで直立している)同タイプの映画プロモーション用イメージがさらに見つかるだろう。
日本映画が外国映画に劣るかどうかはともかく、日本の商業/工業デザインが外国に劣るのは間違いない。
じぶんのような素人でもそれは明言できる。
たとえばYouTubeやTiktokを見ていても日本の動画よりも外国の動画のほうがセンスがいい。漠然としたことだが、このての肌感は絶対的だ。
マックスモンアムール(1986)という映画がある。監督は大島渚だがフランス映画。
人間の女とチンパンジーの恋愛を描いている──にもかかわらずゲテモノにもコメディにも陳腐化しなかったのはイメージ形成に才知があったからだ。もし日本映画だったら獣姦映画に零落していたことだろう。
概してヨーロッパの映画ポスターはアーティステックで、時として映画本体よりも完成されている。
YouTubeにTHE FIRST TAKEというゆうめいな生歌サイトがある。
個人的にそのサムネを見るたび、日本の商業/工業デザインに形骸性を感じる。
すべてが無地背景にヴィヴィッドな色帯をあしらった(わかったふうな)ミニマルデザイン。その安っぽい意匠にまとわりつく謎の自負。ぜんぜん聴く気にならない。
おうおうにして日本のデザインはおしゃれでしょ──という権威やスノビズムに置き換わってしまう。
さて「川っぺりムコリッタ」のプロモーション用イメージ/サムネも出演者が並んで直立して面と向かっている画で、見る前から腹八分目だった。
並んで立っている画がよく使われているにもかかわらず使ってくることでマーケティング担当者の発想が貧困なのは明白だろう。
この腹八分目を憶えておき、出演者が直立してこっち向いている画──から想定できるような映画だったのか、そうでなかったのかを見た後で比べてみたが、まさに、出演者が直立してこっち向いている画──のような映画だった。
いや、予想をはるかに上回る「かわいそうの舒懐」映画だった。
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どこの自治体だったか新型コロナウィルスでうちひしがれた人々の心をすこしでも元気づけてあげたいという目的で花火を打ち上げた──というニュースを見たことがある。
エモーショナルな行為だ。なんの意味もない──と(わたしは)思った。
わたしにとって川っぺりムコリッタはそれ──新型コロナウィルス禍下であがった花火のような謎の情熱だった。orウクライナに送られた千羽鶴のような手前味噌な善意だった。orなぜか走る24時間番組のオートマチック感動演出だった。
こうやって所出根拠もなく世界が厚情に彩られているという話にはヘドが出るし、よしんばそれを許容したとしても、猛烈な青さを匂わせるペーソスは消化しようがない。いまだかつて見たことがないほど強烈な「泣いた赤鬼」風感傷に文字どおり鳥肌が立った。
なんなんだこの吐き気をもよおす善人どもは???だいじょうぶですか???
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罪を犯して荒んだ気分の青年が、回りの人たちの良心に浴して、しだいに心を恢復していく──というよくある設定の話。
主人公ヤマダ(松山ケンイチ)にからむ隣人/大家/社長ら全員が無償の愛を提供し、サステイナブルな小さな幸せを実践している。かつ、それぞれが「映え」のある傷を持っている。
社長(緒形直人)はどこまでも純粋で、過介入してくる隣人の島田(ムロツヨシ)は子を失っていて、大家(満島ひかり)も旦那を失っていて、溝口(吉岡秀隆)は墓石がぜんぜん売れない。
そんな、みんないい人──の環境でヤマダはじぶんを見つめ直し、亡くなった父やじぶんを赦すという流れ。その構成じたいに疑問はない。が、なんなんだよこの鼻くそみたいなペーソスの表現方法は。
たとえば島田は虫をころせない。なぜなら幼いころ蜘蛛の糸の話を親にきいたことがあるから。で、そのエピソードをたんたんと話したりする。
また、たとえば雷がダメな島田は嵐の晩に部屋の片隅で悲鳴をあげている。大の大人が。で、ヤマダが九九の七の段を逆さまに唱えると恐怖がきえるとか言う。
あるいはタクシーの運転手(笹野高史)が亡くなった妻の遺骨を花火に仕込んであげたというエピソード話したり、スキヤキに群がったり、死んだ金魚埋めたり、夫の遺骨で自慰してみたり、河原で骨砕いていたり、しまいには遺骨まきながら野辺送りしたり。・・・。
これらがエモーショナルなシークエンスとして提供されてしまうという稚拙さの絶対値。
まがりなりにもこの原作者兼監督は日本をだいひょうする女流映画監督とされている人なんだが、なんども言ってすまないがなんなんだこのうんこみたいなセンスは。すさまじいまでの臭さと衝撃度は佐藤二朗のはるヲうるひとを上回った。
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海外では女性監督が活躍し新しい人材もつぎつぎに出てくる。
じぶんはセリーヌシアマやナディーンラバキやグレタガーウィグやクロエジャオやエメラルドフェネルやソフィアコッポラやカンピオンやビグロー(などなど)の映画を見たとき、それが日本の監督とおなじ土俵上なのか──ということをしばしば考える。
もちろん答えはいいえだ。日本の映画監督は映画監督の土俵に立脚していないし、そもそも現代社会を見ていない。なにしろ“巨匠”による本作は“21世紀の女の子”ふくだももこのおいしい家族よりもさらに酷かった。
監督はこれを海外のたとえばサンダンスなどに出品する勇気はあるだろうか?それこそ本当の勇気(というか鈍さ)だが、ちゅうちょなく輸出できますか?
仕様上0にできないのを本気で苦々しく思いました。0点。
(余談だが日本映画では左にご飯茶碗、右に味噌汁、それらの上に主菜という定型食卓配置の食事風景が必ず出てくるがそんなことをやっている家庭はめったにない。にもかかわらずそれが定番シーンと化しているのは映画監督というものが世の中を知らないからに他ならない。つくづく悲しくも痛くもない人が悲しさや痛みを描いちゃいけないし、1950年の成瀬巳喜男映画──だというならいざしらず、2021年に、ごはんを炊いてしみじみ食べる描写を小さな幸せだと主張したいなら、映画である必要はまったくない。なんつうかさあ、とりわけ過酷な経験もなくて比較的安定した生活しているひとが、中島みゆきのファイト歌っちゃいけないと思うんだよね。)
(U-Nextで1,500円払って見たので1,500円分の毒を吐かせてもらった次第です。興味深い映画ですので、ぜひみなさんもご覧下さい。)
小さな幸せ…
地元では上映されなかった?
配信にてようやく…
素晴らしい俳優陣。見事な脚本と演出。緩そうで緩くない、かなりの秀作です! 類似テーマの「アイ・アムまきもと」と比較して観ると面白いかも。
40年くらい前の貧乏生活の自分がフラッシュバック。この作品の背景には現実味があり、「日本はこんな国のままでいいのか」と、少し悲しい気持ちになりました。
エンドロールに薬師丸ひろ子さん、どこに? 再度見直して納得…さすがです。
身近な人の死によってつながる絆。
かもめ食堂、めがね、などは未鑑賞でこの監督作品はお初。
4歳以来会っていない父親が孤独死。
最愛の夫の死、そして骨を口にするほど。
(おそらく子どもを亡くしている)隣人。
墓石を売っているご近所さん。
幽霊となって出てくるご近所さん。
隣人の友人のお坊さん。
みんな死を身近に感じている人が集まっている。
それを問い詰めることなく、それぞれのトラウマや思い出を抱えながらも尊重し合っている。
それぞれの距離感は違えども、それも尊重し合って・・・(し合ってない場合もあるが)、見ていて不快感がない。
それぞれの距離感と抱えているものを共有することは、連帯と助け合いが生まれてくるのだな。
食事のシーンは幸福の象徴でもある。それによって生きてきたということ、そしてこれからも生きていくということを教えてもらったような作品だった。
豪華なキャスト俳優さん
他の作品が時間たいが終わってしまい、偶然見つけた埋もれていくのが勿体ない作品だと思ったので観ました!!KADOKAWAさんの本を大切に描く良さが本編に出ていたのと豪華なキャスト俳優さんほんわかだけど死と向き合う食べで美味しさを知るが描かれた作品だと思っいました!!きゅうりとトマトが美味しそうあたしもご飯ですよやイカの塩辛でシンプルにご飯の美味しさあらためて食べたいな身近な幸せを感じたいです
フグ刺し食べたことあるのかな?
取り止めもなく。
松山を最初に知ったのはデスノート。
何と、満島ひかりもデスノート出てたんだ。
キラの妹さんだった。
ミサミサは、戸田恵梨香だったね。
戸田と、ムロさんは、大恋愛で凄くお似合いだった。
ナメクジは、ミギーそっくり。
しかし、かなり豪華な俳優陣だよ。
少し泣いちゃった。
空に帰るのは、金魚でもあり、イカでもある。
とても素晴らしく、心に感じるものが多い映画でした。 松山ケンイチさ...
とても素晴らしく、心に感じるものが多い映画でした。
松山ケンイチさん演じる主人公の山田は、北陸の田舎の塩辛工場で働き始め、その会社が提供する寮に引っ越して住み始める中、突然隣人が遠慮なしに風呂を借りに押しかけようとしてきて。
癖のある人たちが住むハイツムコリッタ荘の人たちの交流から、現在社会の抱えるシリアスな問題をとても丁寧に描いていて、人の生き方や死について考えさせられる内容でした。
山田の慎ましくもとても美味しそうにご飯を食べるシーンはとてもよかったです。
じんわりといい映画
最愛の夫を亡くした後、色々と葛藤があったからこそ説得力を持つ、幸せを感じていいんだよという言葉。
ただ一緒にいるだけで幸せな気持ちにしてくれる人、小さな幸せをみつけるのが上手い人、でもそれはそうしないと生きていけないからこそ彼が身につけたものかもしれないけれど。
そんな切ない理由でも、彼に身についたキャラクターによってまわりの人を幸せな気持ちにさせるなんて、すごく希望のあるお話だなあと思った。
もっとシンプルに生きてもいいかもと思わせてくれた。
日常では、ついあれもこれもしなきゃと思うけれど、ただ働き、ごはんをつくり、風呂に入り、人と食べ、時々土いじりや、周りの人と関わる。そんな暮らし。
仕事のことや、あれこれ悩めるのは余力がある証拠かもしれない。でも、なにが一番大切か見極めて時間や心の使い方を考えたいなあと思った。
長く続けた人にしかわからないものがある、というセリフにドキッとした。つい、自分の仕事に意味なんてあるのか、と考えて無な気持ちになることがあるけれど、それでも続けた人にしかわからない心境があるのかもしれないと思った。
そして、悩んで頭ばっかり使わず、手を動かしなさいというセリフもグッときた。
どういう人と巡り合うかってすごく大切だなあと改めて思った。
何とかなる
田舎での生活をコメディタッチで送る映画、
と思いきや、登場人物たちは皆、それぞれ心に辛い過去を抱えていて。
過去に失敗したことや、辛いことがあっても
人生に絶望するようなことがあっても、
何とかなると、伝えてくれた映画。
日々の生活を大切にして、小さな幸せを
実感すること。大事ですね。
観終わった後に、白米と味噌汁と
きゅうりが食べたくなった笑
誰もが過去と葛藤しながら生きてる。
出演者それぞれに色んな過去を抱え、その葛藤と戦いながらも懸命に生きている。
ひとりでは生きていけない、誰かの世話になり、誰かの世話をし持ちつ持たれつ生きていく。
ムロツヨシと松山ケンイチとのやり取りは面白い。
結局、人との関わりがあるからこそ楽しく生きていけるという映画。
一方では孤独死の多いこの時代について考えさせられる。
なぜ高評価…刺さらなかった
うーん😔まったく刺さらない。
満島さんが、旦那の骨を食べて、股下に入れるシーンは猟奇的で、個人的に良かったが、それ以外は…なんだかな。
孤独死は核家族化になり今後はますますグローズアップされると思う。
隣人に風呂を貸してはいけない。
不思議でどこか懐かしい川っぺりの人間模様。狭いコミュニティの中で起こる日々の出来事。ひっそり静かに暮らしたい訳あり男、山田。しかし引っ越し先のご近所さんがやたら図々しくズカズカと日常に入り込んで来る。やがてどこか憎めないその隣人達にも深い苦悩があることを知り自分自身の人生に向き合うことになる。
食卓に並ぶホクホクの白米と手作りのお漬物。お味噌汁に塩辛。こんなんお腹鳴るわ。美味しそう過ぎた。犬の墓石に200万円。宇宙との交信。旦那の骨。元気な死人。川っぺりは賑やかです。
マツケン演じる山田が主役のようで実は島田のエピソードが強い。なによりムロツヨシが強い。誰もが霞んでしまうほどに。
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