川っぺりムコリッタのレビュー・感想・評価
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話さなくても、声だけでも
「ムロさんが出ている映画はおもしろい」と子どもたちは信じている。だから、本作に誘ったときも「観るみる〜」とすぐに乗ってきた。…けれども、本作のムロさん=島田は、いつもとちょっと違った。
いきなり「風呂を貸してくれ」とやってくる隣人。その頼み方は愛想のかけらもない。いつの間にかお茶碗にお椀、箸持参で登場し、風呂上がりのビールまでセットになっていく。
もしかすると、島田はASDかもしれない、と途中から思った。空気や相手の感情を読み取るのが下手、決まった手順にこだわりやすい。彼の図々しさは悪気がない。でも押しが強くて、ヘンでおもしろいと思われるか、不気味だと思われるかは相手によるだろう。
そんな彼をしぶしぶ受け入れる主人公•山田。山田は、埋めようのない大きな穴を抱えている。とにかく働かなければ生活が成り立たない。頼る人も戻る場所もない。周りと距離を置いてきた山田の生活に、強引に入り込んできた島田。2人でご飯と野菜(と塩辛)を食べているうちに、山田の世界は少しずつ広がっていく。
ハイツ・ムコリッタの住人は、それぞれに穴を抱えている。妊婦のお腹を蹴りたくなる大家の南さんも、結構あぶなっかしい。島田の穴はぼんやりとしているが実は深く、山田の過去を知った彼は突然距離を置くようになり、山田は戸惑う。そんないびつな彼らを取り巻く人々が、とにかくいい。島田の旧友、ガンちゃん(黒田大輔さん!)や山田の同僚の中島さん(江口のりこさん!)はそれらしいセリフもなく、特に親切なことをするわけでもない。でも、確かに彼らに寄り添っている。加えて、山田を背中をそっと押す上司(緒方直人)や福祉課の担当者(柄本佑)に加え、「いのちの電話」の窓口の女性(薬師丸ひろ子、声だけ!)の存在も忘れ難い。隣に誰かがいれば、穴をふさぐことはできなくても、少しだけ小さくしたり、うまく付き合っていくことは出来るのだ。
気づけば、荻上監督作品との付き合いは長い。監督の作品は「ゆるぎない女主人がいる」というイメージが強かった。ちょっと現実離れした世界の中に登場人物たちを放ち、クスリとする笑いや、ホッとする瞬間など、淡い感情をすくい取る。それが大きく変わった、と思ったのは「彼らが本気で編むときは、」だ。これは、喜怒哀楽がくっきりしていた。淡々と穏やかに/諦めて日々を過ごしているように見える人々の心の奥底に、たぎるもの。熱量ある感情をじわじわと描きながらも、監督らしいおかしみがあった。
そして、本作。さらに監督は進化した、と思う。もはや、軸となる「ゆるぎない」人物は登場しない。その代わり、彼らはひとときの異世界から現実に戻る必要はなく、普段の生活の中に、確かな手ごたえを手に入れていく。
むらさきの花、金魚、蜘蛛、そして新鮮な野菜たち。映画と自分の日常をつなぐあれこれも、うれしい余韻だった。そう言えば、子らに教えてこなかったな、と、胡瓜の馬と茄子の牛に乗って亡くなった人の魂がお盆に帰ってくる、という話をした。
子どもたちは、やっぱりムロさんをおもしろがった。そして、「映画観てたらお腹がすいた!」ともりもりご飯を食べた。骨つき肉って映画のほね(遺骨)を想像しない?と尋ねてみても「そうかな? でも、おいしいからいいや〜」と全く気にせず。そんな健やかさを、ありがたいと思った。
磐石のキャスティングで描かれるファンタジックな法話
決して軽くはないテーマが、のんびりとしてファンタジックな語り口に包まれて暗さや説教くささというえぐみを抜かれ、美味しい味噌汁のように沁みてくる。観終えた後、なんだか心がほぐされたような気分になった。
荻上監督が、NHK「クローズアップ現代」で取り上げられた行き場がなく葬儀をされない遺骨の話に着想を得て紡ぎ出した物語は、どこか死との距離感が近い。
子連れのセールスを方々で嫌がられる墓石屋の溝口。その勧誘方法のせいもあるだろうが、彼を拒絶する人々の態度はどこか、無意識のうちに死という必然の現象を遠ざけて忌む現代の風潮とも重なる。
亡き夫の遺骨をかじっていとおしむハイツムコリッタの大家、南。主人公山田の風変わりな隣人島田は、息子を亡くしているようだ。
山田が食べる塩辛は、ご飯の上に乗せればおいしそうで生きる喜びにも通じるが、工場で処理される様や、彼の父の遺体の話と並べた印象は、どこか屍(しかばね)を連想させ、そこについ不穏さを感じる。食べるためのいかの加工も遺体の話も、人間の生き死ににつながる当たり前のことなのに。
ろくでもない親から生まれた前科者の自分に、ささいな幸せを味わうことさえ許していなかった山田。ろくでもない父親だったと突き放しながら、親を突き放した自分への罪悪感も同時に感じ、そんな自分に彼は罰を課していたのかもしれない。
そんな山田が、図々しい隣人や風変わりなご近所に破られた心の殻の隙間から、彼らの抱える過去を知り、自分に小さな幸せを許し、父の死を自分のこととして受け入れていく様子に、心があたたかくなった。未亡人の南は彼に父親の葬式を勧める。弔いが残された者のためにあることを、経験的に知っているのだろう。
逃れられない苦しみを抱えていたとしても、誰かとの何気ないやり取りや美味しい食べ物の中に刹那の幸せを見いだすことは不可能ではない。
自分が幸せかどうかを、人は置かれた状況から判断しがちだ。そうではなく、空がきれいだとか美味しいものを食べたとか、そういった脈絡のないささいなことの寄せ集めこそが幸福感の正体なのではないだろうか。
何のためか分からなくてもやり続けていれば、10年たって初めて分かることもあると、塩辛工場の社長は言っていた。幸せも実はそんなもので、小さな幸せをこまめに拾い集めていれば、いつの間にかそれなりに幸せな人生になっているのかもしれない。
お坊さんがおだやかな声で語る法話のように、幸せのあり方や命との向き合い方を本作はさりげなく教えてくれる。
配役は磐石の布陣で、安心して見ていられた。
松山ケンイチは山田役のオファーが来たことで田舎への移住を決意したそうだ。ハイツムコリッタの人たちのどこかノスタルジックな距離感には、彼の実生活も反映されているのだろうか。
個人的に普段は癖の強さが苦手なムロツヨシだが、本作では抑えた演技で(監督からそのような演技指導があったらしい)、滲んでくる彼らしさも役柄に合っていた。
主要キャラ以外も柄本佑や緒方直人、ほとんどマスクをしている工場の同僚役の江口のりこ、たまたま南を乗せたタクシー運転手の笹野高史など、隅々までぬかりのないキャスティングが、ファンタジックな描写も多いこの物語に説得力と見応えをもたらしている。
崖っぷちを描きながらも微笑ましく優しい人間賛歌的な作品。独特な時間の流れを感じられ、これぞ荻上直子監督作品!
「かもめ食堂」(2006年)でブレイクし、「めがね」(2007年)もヒットした荻上直子監督作品の根底にある作風は、「時間の流れが違う」ということでした。どこかゆったりと優しい時間が流れている独特な作品となっているのです。
近年はそれほど映画で見ないな、と思っていたら、ようやく「THE荻上直子監督作品」の登場です。
しかも、タイトルに「ムコリッタ」と、仏教における「時間の単位」の一つが使われています。
1日は誰にでも平等に24時間となっています。
1日を24で割ったものが1時間。
ただ、「1時間=60分」という前提を変えることは可能です。
1日を30で割ったもの、それが「ムコリッタ」という単位です。
具体的には「1ムコリッタ=48分」となり、通常の時間よりは細かくなります。
ちなみに、「一瞬」を意味する「刹那(せつな)」は、仏教では「時間の最小単位」を意味します。
この「ムコリッタ」に「川っぺり」という言葉をかけ合わせると、どういう化学反応が生まれるのでしょうか?
川は台風のたびに氾濫し、川沿いで暮らす人たちは「日常でなくなる瞬間」と隣合せで生きています。そうした状況に常に脅かされギリギリを感じながら。
ただ、実は誰しもが、どこかしらでそんなギリギリを感じて生きています。
そんな私たちは、「ささやかな幸せ」を細かく見つけていったりすることで何とか持ち堪えられている面があるのです。
このような人間の本質的な面を本作は描き出すことに成功しています。
崖っぷちの厳しい状況を、どう乗り越えていけばいいのか、時にはユーモラスに語り掛けているのです。
本作は、出演者も何気に豪華で、さらに「荻上直子監督作品」らしくご飯がとても美味しそうにも感じられる、質素に見えながら贅沢な作品でした。
白いご飯って美味しいよね
罪を犯した人は自分の居場所を浮遊し道に迷うことが多くなってしまう。
生きているだけで面倒臭い世の中なんだから、せめて傍らに一人でいいから一緒の歩幅で歩いてくれる人がいればとても幸福だし、幸せに大きいも小さいもないと感じさせてくれる物語でした。
孤独死の定義はその“結果”を示すのでどんな気持ちで最期を迎えるかは誰にも分からない。市役所職員に死んでから喉仏の骨を褒められたっていいんだし、人生謳歌出来る人を私は羨ましいとは思わない。
閉鎖してる心には徐々にではなく強引なくらいの厚かましさが丁度よいんですね。山田を演じる松山さんの食べるという演技が上品じゃないからこそリアルで素晴らしかった。
野菜や塩辛、そしてお味噌汁が白いご飯の側にあるだけで人生充分なんですよ。
力まずに見れる
ムロさんが素晴らしい。心病んでる人ってこんなんだわぁ、って思えた。
ゴミが山積みになってるのが、フィクションすぎる。流石にあのゴミ山を市が放置する訳がない。
でも松山さんが涙するシーンは良かった。
なんだか変で、 印象に残る作品
図々しいイメージの島田(ムロツヨシ)は、
ささやかな幸せを見つけながら生きていると言います。
家賃滞納中の溝口(吉岡秀隆)の部屋から
美味しそうな匂いがするあたりは面白いです。
食べるのを一旦は拒んだ山田(松山ケンイチ)が
猛ダッシュして戻ってくるシーンが印象的です。
既に亡くなっている
紫色の服を着たおばあさんの姿が
見えるのは不思議です。
その他、父の遺骨が光っているように見えたり、
ラスト、ガラクタの電話機がジリンッと鳴って、
少年が指さす方向を見ると
変なものがあったり...
怖くない程度のホラー要素が面白いです。
常習的に上がりこんでくる島田が
塩辛だと思って食べようとした入れ物の中に
アレが入っていて大声で叫んだ時に、
お風呂に入っていた山田がニヤッとしたりして
面白いです。
『シックス・センス』(1999年)の設定では
赤はあの世とこの世を繋ぐ色でした。
今作は関係があるかどうかわかりませんが、
赤いイメージの大家の南(満島ひかり)が
一生懸命に生きている感じがしました。
『愛のむきだし』(2009年)でも
満島ひかりさんの自慰行為シーンがありました。
「いのちの電話」の声が薬師丸ひろ子さんだったというのは、視聴後に知りました。
塩辛が食べたくなった
―PFFスカラシップから羽ばたいた才能たち―①の2
荻上直子監督と天野真弓プロデューサーのトーク付き
バーバー吉野との二本立て
ムコリッタって、声に出したくなる類の響き。
川っぺりの語感と合わせてとてもいいタイトル。
まさか宗教用語とは。
よかったです、とても。
役者さんもみんな上手で。
ムロさんの絶妙に迷惑な人役は秀逸。
主人公もあんなに嫌がってたのに、だんだん待っちゃうようになってくの、わかるわかる。
心の機微がご飯シーンによく現れていて、飯島奈美さん、ほんとすごいなぁ。画で見せる飯力。
監督のトークによると、吉岡さんがスタイル良すぎて、最近のスーツだとダサくならなくて、自分の旦那の数十年前のスーツを引っ張り出して着てもらったら、「コレコレ」となったそう。
満島ひかりさん出演の作品、この後の石井裕也監督のも見るんですが、両方とも骨壷が…!
たまたまですかね。
同じ飯ばっかり食う映画NO1
やさしい時間
滑稽で静かで癒し
ムロツヨシと松山ケンイチの良さ
昔はめがねとか小林聡美系は好きで観に行ってたのだけど、十数年経ってまた見てみるとかなり退屈だと思ってしまう傾向があった。
満島ひかりほどの女優さんは中々いないし大好きではあるが、ムロツヨシとか結婚後の松山ケンイチとかにちょっと苦手感がある中で見てみたら面白かったのである。
中でもムロツヨシのクレイジー加減は見応えがあった。仕事はして無さそうだったけど。
知久さんやパスカルズも好きで観に行った事があるから、中々自分寄りの映画だったのかな。知久さんは見た目そのままで出演して大丈夫なんだ(笑)
心地よい
蝉の声が響くクーラーのない気だるい夏。
山田は扇風機で生ぬるい風を感じながら1人、部屋で時間を潰す。
お金がないから風呂を貸せというとなりの島田を断る山田。だが野菜をやるからと言って強引に風呂に入る。
だんだんエスカレートしビールとご飯セットまで勝手に食べるようになる。
そんななんとなく友達のようなふわりと周りにいるムコリッタの住人たち。
山田にも悲しい過去が。
大家さんにも。
図々しくおもえた島田にも悲しく人に言えない過去が。
優しく繊細な人間だった。
うるさかった蝉の声に鈴虫の羽音が混ざる頃、父を弔える気持ちに変わっていった。
人それぞれに色々あるけど、小さな幸せと1人じゃない温かさを充分感じるとても良い映画でした。
うるさいくらいの虫の声、夏のどかーんとした暑さとか、基地を作って空想したり、子供の頃の感覚を思いだしました。
映画を観る目を養わないといけないと思いました。そして、塩辛ご飯食べたくなりました。
吉岡秀隆ご出演ということで鑑賞を決めました。
ですが、アホの私には静かすぎる作品だったです。
何か劇的なことが起きるわけでもなく、淡々と日常が流れるお話だったので。
「エルボーロケット!」バヒューン!とか、「巨大不明生物上陸!」ギャオラァ―ッ!とかを期待するわけもないんですが。当たり前なんですが。
“静の余韻”や“行間の妙”を楽しむには、私の脳髄はキャパ不足だったです。
そんなことを考えさせられた作品でした。映画を観る目を養わなきゃ。
ムロツヨシの奇行的な演技が刺さるかどうかで、評価が変わる作品だと思いました。
私は中間だったかな?
いかにもムロさんっぽいところは、正直冷めて観ていましたが、違ったお芝居をされていたシーンがよかったです。
飲みに行った後でゲロを吐いて泣くところとか。ムロさんの新境地を見たかったです。
演技していることを感じさせない満島ひかりの自然体が、大変素晴らしかったです。
吉岡さんについては、出番をもっとプリーズと思いました。墓石を売って歩くとか面白い設定だっただけに、惜しく思いました。欲を言えば、彼こそ準主人公に据えた作品だった方がよかったと思いました。
吉岡さん大好きですから。←だから!衆道展開とは違いますってば!何度言えば…!←誰も何も一回も言ってないし
そうですよね、何よりも主演の松山さんですよね。
その役柄がどうにも『GANTZ』の加藤と重なって見えて、既出感を覚えてしまったんですよ。
タイトルの『ムコリッタ(牟呼栗多)』これ、ハイツの名前以外の何かに引っ掛けているのかな?と思ったんですが、やはりアホの私にはわかりませんでした。意味を調べてみたんですが、時間の単位で約48分。仏教での気の遠くなるような数の単位に比べてみたら「しばらく」「少しの間」「瞬時」の意味くらいしかわかりませんでした。
妙に耳に残る音楽が奏でられる優しいラストシーンが印象的でした。最後に取ってつけたようなテーマソングなんて不要です。
エンドロールを見て「えっ!」となりました。田中美佐子に薬師丸ひろ子もご出演だったのですね。
不注意にも、どのシーンだか見落としていました。
物語を観終えて思ったことがあるんです。私のお葬式ってあんな感じにしてほしいなぁ…って。涙も墓石も何もいらないです。
ただただ日常の中に、明るく埋めてほしいかな…と思いました。
【オマケ】
恥を晒すのですが。
幼少のころの我が家って本当に赤貧だったです。
ガス代を節約するために、近くの山で母と兄弟で焚き木や松ぼっくりを拾ってきて。それを七輪で燃やして調理してたりする日常だったんですね。
オモチャを買ってもらえる余裕なんてあるはずもなく。
そんな私たち兄弟にとって、近くの不法投棄のゴミの山って宝の山だったんですよ。
そこに行けば、壊れて汚れたゴミとはいえ、運がよければオモチャを手に入れられたから。
壊れたテレビから抜いた真空管が宝物だったりしました。←なんでやねんな(哀)
劇中のゴミ山を見て、そんなことを思い出しました。
とても悲しいけれど、今となっては亡き母とのよい思い出です。
九九の七の段。確かに難しいですよね。語呂が悪い。7×6が咄嗟に出てきません。
そして塩辛で食べるご飯って美味しいですよね。おかず不要でお茶碗三杯はイケます。←食べすぎ!
KADOKAWAですよ
人間の闇を映し出す。
☆☆☆★★ 原作読了済み。ちょっとだけの感想。 荻上監督の描く『フ...
☆☆☆★★
原作読了済み。ちょっとだけの感想。
荻上監督の描く『ファーザー・ウォーター』
(映画『マザー・ウォーター』に関するレビューを少しだけ参照願います)
ネットにて時々見かける「死ぬのを考えた…」とゆう意見。
それに対しての意見として、しばしば用いられるのが、、、
〝 下を見ろ! まだ俺がいる! 〟
…との言葉。
予想通りに(原作を読んでるので)監督の死生観が、良くも悪くも出ているのかな?…と。
主な登場人物
【山田】
父親の顔は知らず、母親からは数万円の手切れ金(ちょっと違うのだが)で捨てられた男。
最早、人生は投げやり。特に「生きたい!」との思いも持たず、「餓死するのもやむなし!」の境地になっていた。
だが、何とか死なずに給料日を迎え、念願の白米にありつけた事で、この世へしっかりと根っこを張る。
【大家の南さん】
美人の未亡人。
この人物像に関して、あくまでも個人的な意見として、勘違いを承知の上で〝 或る昭和の大女優 〟の存在を意識しながら見ていた。
それは『東京物語』の原節子。
『東京物語』の中で原節子は有名な台詞を言う。
「わたし…狡いんです、、、」
当然、監督は観ていない筈がない。
本編中に、満島ひかりは突然「妊婦の腹を見ると蹴りたくなる」…と言う。
原作を読んでいて思わず「何だこれ!」となった瞬間だった。
だが、こうも言っている。
「何故か無性にアイスが食べたくなるの!」
(この台詞だけでいいのに…とも思う)
愛する人はもう帰ってはこない。
この先の長い人生、果たしてアイスを我慢し続ける事が出来るのか?
思わず夜中に旦那さんの《アレ》を使って、、、
満島ひかり=原節子 穿ち過ぎだろうか?
【溝口さん】
半分〝 片足を突っ込む人生 〟を、息子と共に続けている。《いつその時》が来てもおかしくない。
現実に【赤い金魚の話】で思いとどまってもいる。
【ピアニカ少年(溝口さんの息子)】
幼くして【生と死】の狭間を隣り合わせにして行き来しているかの様な存在。
文明の発達によって〝 死んでしまった 〟 まだ使おうとすれば何とかなる物質を守る立場を担っている。
【非常識な隣人の嶋田】
いささか常識に欠ける人物。
…とは言え、現実には常識を知っているからこそ、山田の根っこをこの世に張らせた大事な人物ではある。
そして彼こそ主な出演者の中で、1番《生に対する執着》が強い。
よって、彼の目の前にだけ『蜘蛛の糸』がスルスルと垂れてくる。
この糸こそは、執着の強さの象徴であり、だからこそ彼だけが〝 アレ 〟を見ることが出来ない。
他にも、坊主のガンちゃんは勿論、役所の堤下さん等。《生と死》とを隣り合わせに仕事の生業とする人達がいて。画面には映らないが、川っぺりにはブルーシートを屋根として生活を営んでいる人達もいる。
そんな人達は、、、
〝 確かに川っぺりだけれども、まだ崖っぷちでもない 〟
例え水に流されたとしても、大海原ならばほんのすこしだけ可能性がなくはない。
まだ、ほんのすこしだけだけれど、、、
だから、父親を弔いながら彼等の無事も祈る。
原作を読んだ時に比べて、 作品中には《生と死の狭間感》がより一層感じられた。
…られたのだけれど。原作自体も最後は唐突に終わってしまう為に、「だから何?」…と言った思いは強かった。
本編には、そこに音楽を当て込めているだけに。より不思議な雰囲気を持つのだけれど、何か1つ突き抜けるだけのモノが足りない感じは否めず、最後の最後で一気に迷走してしまった気か、、、
江口のりこ・薬師丸ひろ子・田中美佐子等。見せ場もないのだからちょっと出演した意味があったのか?…とも。
監督曰く 「映画が撮れないから小説を書いてみた」らしいのだけれど。
昨年テレ東で放送された『珈琲いかがでしょう』自体も、全体的に今ひとつだっただけに。ファンとして、今後に少し不安感が募る。
2022年 9月16日 TOHOシネマズ錦糸町オリナス/スクリーン7
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