「結局あのプログラムは間違ったものではなかったということか。」林檎とポラロイド カツベン二郎さんの映画レビュー(感想・評価)
結局あのプログラムは間違ったものではなかったということか。
おそらく(奥さんか恋人かわからないが)同居していた大切な人が亡くなり、その悲しみに耐えきれず、記憶喪失者用の治療である「新しい自分プログラム」なら記憶を消せないまでも上書きならできると考え、記憶喪失者のフリをしプログラムを体験することを思いつく。
だが与えられた課題でも人の死に触れることとなり、自ら途中でプログラムを中断し、元の生活へ戻るといったお話。
一見すると難しそうな映画だが、少し時間を置けば誰も皆同じような考えに行き着くという逆にわかりやすい話だと思う。
チラシの説明では、ある日バスの中で記憶を無くした・・・とあったような気がしたが、実際映画ではまだ記憶があった状態から始まるので、鑑賞後にその場面を振り返ってみても頭をぶつけたりなどうっすらとしたヒントのようなものが見て取れるが、林檎は物忘れを防ぐと聞いてオレンジを買ったり、女性と関係を持たなくてはならない課題を避けたことなどからも、本当は忘れたい過去があり、特定の女性への思いのようなものがまだ残っており、実際は記憶がしっかりとあるということがわかる。
自宅に戻り部屋に日差しを取り込み、改めて記憶に良いと言われる林檎を食べるシーンにはグッと来た。
生きている限り別れ(死別)というものは避けて通れないことを改めて知り、悲しい過去も全て受け止める覚悟を決めたことで、ほんの少しだけ前を向いて生きていこうとする意思が伝わったからだ。
そういった意味ではこの主人公にとって「新しい自分プログラム」を実践したことはよかったのだと思う。
多くを語らずに映像で思考に訴える大人の映画だと思う。
うさぎぐさん、ありがとうございます。
プログラムをやめた理由ですが、実は「見送る側は亡くなった人に対し、思い出としてちゃんと記憶に残してあげる必要があるという事に気付いたから」というのと迷ったのですが、あの老人との思い出だけでそこまでの結論に至るにはちょっと弱すぎるかなと思ったことと、多分あのプログラムのコンセプトである「経験」という観点から上記を理由として選びました。