劇場公開日 2022年1月14日

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「第三の見方(個人的な見解です)?/内容が少し残念…」無聲 The Silent Forest yukispicaさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5第三の見方(個人的な見解です)?/内容が少し残念…

2022年1月15日
PCから投稿

今年15本目(合計288本目/今月15本目)。

この映画はミニシアター中心で、この映画は前から注目していたこともあり、シネマート心斎橋さんにいってきました。
ここの紹介にあるとおり、台湾で実際におきたろう学校を舞台にした事件に構想を得たという映画です(固有名詞などはすべて変えられている、と出ます)。

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 ※ 私は以前は聴覚障害をお持ちの方と仕事をしたことがあるので、手話は「ある程度」わかるくらいで、映画内でされたら1割程度理解できるくらいです。一方で、韓国・台湾(便宜上、国扱い)は日本の政策占領の関係で、日本手話の文化の影響を受けたため、かなりの部分で語彙・文法の一致があります(1割も理解はできないが、1割のうち9割は推測が付く)。
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 この映画はまず第一義的には「ろう学校(日本では、現:特別支援学校)でそんな、色々な大人がまきこむような内容は良くないよね」ということは言えます。それはまず最初に言える感想です。そして、2つめに、映画内でも触れられている通り、「ろう者は一般の学校(ここでは、聴者を対象とした学校を指す)にいってもついていけないんだから、何が起きようがここにいるしかない」という前提で、その学校の中で謎のカースト制度ができてしまい、いじめが常習化・固定化されやすい(弱者の再生産)という問題が隠れています。日本は各種支援学校といっても学校の一部である以上はちゃんとした指導はされますから(なお、私立のろう学校は数えるほどしかない)、あまりに支離滅裂やっていると警察がきたり行政処分を食らったりする案件です(なお、どちらも最後に「悪役」はちゃんと罰を受けるようになってます)。

 しかし、この映画には「隠れた第三の問題提起」があるのではないか、と思いました。上記に書いたように、ろうの方は少なからずの方がろう学校で小中から高校部(実質、高校扱い)まで行くという、ある意味「閉鎖的な文化」になっています。このことはおなじ身体障がいの中でも、内部障害(腎臓障害など)、「特段の配慮を必要がないなら一般学級でも良い」というのとは違う事情です。
そのため、横(ろう者)どうしの繋がりが非常に強いという事情があり、高校を卒業してからも、いわゆる「ろう者だけの詐欺集団」というのが日本でもできたり(もちろん摘発されるし逮捕もされる)、2番目における「弱者の再生産」は学校を離れて起きているのが現状で(かつ、現在、2021~2022ではこのご時世で「会わない」ことが前提になっている現状、iPadやビデオチャット等が「ある意味」当たり前になった)、そういった部分も「第三の問題」として挙がってきます。

 ※ なお、事実としてはそのような事件が起きているので書いているのであり、「ろうの方が全員、高校部(高校)を出た後も危険人物だ」というように取るのはおかしい、ということは強く書いておきます。

 換言すれば、学校は「卒業させたらそれで終わりでもない」し、行政も、身体障害者の中でも特に保護すべきそうした障がいをお持ちの方に、そうした犯罪行為に走ることなく「適切な対応を必要をするべき方には合理的に適切な対応をする」ということが望まれるのであり、この点は明確に描かれないので(さすがに時間オーバーになってしまう)、ちょっと残念というところです。
ただ、この映画の「第3の見方」としてはこのような「彼らが学校を卒業した後、どうなるのか?」というところ、そこも論点に入るのは明らかです。

 採点に関しては下記が気になったところです。
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(減点0.2) この映画は「バリアフリー上映」ではありません。もっとも、聴者の私がきいても「事実上」バリアフリー映画であることは言えます(セリフがない部分は、音楽が流れていたり、雷の音だったりする)。ただ、それは「聴者が聴けばそう言える」のであり、当事者の方には確かめる方法がありません。

 現状(2021~2022)で、「すべての映画をバリアフリー上映にする」ことは確かに望まれた対応であるとはいえ、実際は無理ではないかとは言えます。ただ、内容の趣旨的にバリアフリー上映にすることが適している映画であり、かつ、その「バリアフリー化」を達成するにはただ単に「音楽が流れているシーンに (♪~~)をつける」「雷がなっているシーンに(雷がなっている音)とつける」といったレベルの話で、バリアフリーなのかバリアフリーでないのかもよくわからない状況です(まぁ、バリアフリー上映とみなして聴覚障害をお持ちの方が見に行っても、混乱はしない)。「内容趣旨的にバリアフリー字幕にすることが自然かつ合理的である」のにそうでないのは残念でした。

(減点0.1) 映画がはじまってすぐ、駅でひったくっただのひったくってないだのという話で、本人(ろう者役)が「やっていない」と手話で表現している(字幕モデル)のに、手話通訳者(この映画の物語の舞台となる、ろう学校の先生)が警察に呼ばれて「通訳をお願いするよ」となると「やっていない」といっているのに「彼は反省しています」というまるで違う返し方をしているところです。

 日本では「蛇の目寿司事件」という有名な事件があり(まだ、手話が余り知られていなかった時、戦後の混乱期でろう者が寿司屋で喧嘩をして逮捕されたとき、手話通訳者が極端に短く翻訳したりしたことが当事者から批判を受け、最終最後は「本人に不利でも有利でも全部翻訳する」という扱いで裁判は進んだが、手話通訳がまだ認知度として未熟だった当時、単純な殴り合い事件で「相場を超えた量刑が言い渡された事件」は実際にあります(詳細は「蛇の目寿司事件」などで調べるとわかります)。

 このことはある程度、手話に興味を持っている方なら意識しているところであり、この映画内では「警察での取り調べ」という、上記でいう「裁判での通訳」とは違うところではありますが、「ろう者の述べたいことを有利でも不利でも必ず伝える」という考え方は、映画の当時(1990年っぽい)では常識論になっていたのであり、ちょっとバランスを欠くかな…と思いました。
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yukispica