きまじめ楽隊のぼんやり戦争のレビュー・感想・評価
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【蔓延る全体主義の中、盲目的に自らの役割をこなす人々を描くブラック寓話。少しだけ笑えるが、とても”怖い”作品。】
ー どこの国か、どの時代か不明だが、既視感がある風景が続く。ー
■感想
・川を挟んだ町が、”怖ろしい事をする人々が住んでいる”と、津平町の人達は”昔から”信じているが、川向こうに行った人はおらず、伝聞が繰り返されている状況。
ー 世界で起こっている戦いの原因は殆どは、”推定、伝聞による恐怖”ではないか?ー
・津平町の町長(石橋蓮司)の、男性優位主義に辟易する。
ー モノを覚えられない人物が、町長って・・。だが、町の人達は彼の言葉に異を唱える者はいない・・。ー
・楽団指揮者(きたろう)の、男尊女卑思想と、全体主義思想に凝り固まった愚かしき姿。
・自分に与えられた役割を、自分の頭で考えずにこなすことで日々生きる、無表情で、つっけんどんな笑顔無き町の人々。
ー 兵舎の受付のおばさん。出欠の札を裏返すだけで30年生きてきた初老の男。ー
・自分の息子が川の上流で、活躍している事のみを誇りに思いながら生きる食堂のおばちゃん(片桐はいり)
ー クスリとするシーンが続くが、何だか”銃後を守る”世界大戦時の、勤労婦人みたいである。ー
・露木(前原洸)のみが、兵隊から楽団に異動になり、トランペットを吹く楽しさに気付き、河原で向こうの町に向かって吹くシーン。対岸からも微かに聞こえてくる音楽の音。
ー あの黄色い服の女性は、誰なのだろうか・・。露木の心に、少しだけ変化が生まれる。ー
・だが、仰々しく新兵器が河原に設置され、砲弾が砲塔に込められ・・。
ー このシーンは、広島、長崎の方には見てもらいたくない程のインパクトがある。ー
<物語は淡々と進む・・。
が現実身を帯びた町の人々の姿が恐ろしい。
特に、ラストの数シーンは、池田監督が仕掛けた、毒ガスが噴き出したかのようである。
現実世界で行われていることをブラックユーモアの態を取りながら揶揄した、強烈な反戦映画である。>
杓子定規の世界
杓子定規を煮詰めた世界が広がっていた。
知らなくて良い、深く考えない、言われた事だけやってれば良い。
繰り返される同じセリフに苛立ちを感じるが、今もこの社会構造と同じ様なもんだと思う。
シュールな笑にしているが、何かに支配されている背後が怖い作品だった。
いい映画
皮肉が効いてます。笑えもします。
庶民の機械的な話し方も、動きも。
考えない方がいい、上級国民は罰せられないなどの暗喩は、胸に突き刺さりました。
戦争は、何も生み出さない
悲しみと傷だけ残る
戦争=生活
変な映画だ。
ちょっと観たことないような変な映画。
カウリスマキというより、大むかし、高校生のときに観た寺山修司の実験映画を思い出したり。
でも、まあ面白かったよ。
映画というより、芝居(演劇)を観ているようでしたが。
脇をかためるのは、竹中直人、石橋蓮司、嶋田久作、きたろう、片桐はいり、橋本マナミ……。
なかなか豪華なキャストです。
そのほかにも、名前は知らないけれど、なんかみんないい味だしてました。煮物のように。
中でも異彩を放っていたのが、受付の女性ですな。
腕を失くした元兵隊にあれこれ質問するシーンは、かなり笑ったで。
この作品で描かれている「戦争」というのは、我々の「生活」のことだと僕は解釈したのだが、違うのか?
違っても、まあいいのだよ。それがどうした。
食堂での、主人公と片桐はいりのやりとりが印象的でした。
とにかく、我々はいつからか知らないけれど、ずっと戦っているのだ。
つべこべ言わずに、ただハリキッテ戦っていればいいのだ(涙)
ただ、「蝶」は要らんような。
ちょっと、くさいような気がしたわ。
時間の無駄でした
3分も経たないで、しまった!と思いました。
ここ1〜2年で最も面白くない作品でした。
わざとらしい、しつこい、捻りも何もない。
特に町長と受付の台詞や言い回しは、不快でしかない。役者さんが気の毒なほどでした。
客席はそこそこの入でしたが、クスッとも聞こえず、エンドロールを待たずに席を立つ人が多かったように感じました。
好き嫌い分かれそう。
眉村卓さんのショートショートにありそうなストーリー。学芸会みたいな演出も好みでした。
無表情で感情や思考を露わにし、行動を起こすところが面白い。
わかりませんでした。
言いたいことはなんとなく分かるが、良さが全くわからずでした。
中国の脅威が増している今でもぼんやりしているというのならまだしも、随分と昔を勝手に想像して揶揄してるわけで、なんだかなあという感じ。
絵本のような戦争ファンタジー
時代設定は昭和初期かな。主人公は川向こうの町と戦争をしている町の兵隊さん。ある日、音楽隊に配属になる。
コメディというよりパロディなのかな。意味のない戦いを揶揄してる感じ。戦闘は毎日9時から5時まで、両方ともきっちり守ります。敵の情報は入ってこないので、市民が知ってる敵の情報は、おろそしい人達らしいって事だけ。毎日繰り返される型にはまった様な日常と、変だと分かっているけれど同調圧力に逆らわない人々。同じセリフを何度も繰り返す演出に同じ音楽の繰り返し。戦争の残酷な面も当たり前に捉える人々。ある意味現代社会をカリカチュア化してんじないかな?と思ったりして。
なんだよこれ〜って思いながらも最後まで楽しめた。ほんと戦争って愚かだよね。
きまじめが生み出す可笑しさと可怪しさ
いつだか映画館で予告を見た時に、ムズムズするような違和感を覚えて気になっていた。
もちろん本編でもそれはそのままで、ほとんど棒読みのセリフのような会話と機械のような動きが生み出すオフビートな可笑しさが全編に溢れている。
しかし、その可笑しさに紛れさせるようにして、登場人物たちは普通の映画なら物議を醸し到底許されないような、恐ろしげなことを次々と言う。曰く「子供を産めない女は離縁されて当然」「怪我をして働けなくなった者は必要ない」云々。何ともあざといが、これはたとえ「ぼんやり」とついていようが、紛れもなく戦争映画なのだ。ここで描かれているのは、相当にカリカチュアライズされているが、ほぼそのままから太平洋戦争時の日本の世情と考えてよい。
だから、ままごとのような戦争であっても、人は四肢を失い、命を落とす。そうやって、戦争というものの可怪しさ理不尽さを際立たせるのが、この映画の狙いだったのだろう。
物語は、新たに開発された砲台を使い、さほど大きくもない砲弾を川の向こう側に打ち込んだら、核爆発のようなキノコ雲が上がり、唐突にこれまでとは異なるシリアスな暗雲が立ち込める。この辺り、ややそれまでとはトーンが変わってしまい少し残念な感じはしたものの、反戦映画としての役割を全うした感があった。
予告を見たときに覚えた違和感からはかなり遠いところまで連れて行かれたが、心に残るものはあった。一切のBGMを排し、代わりに川の向こう側とこちら側で交わされる「美しき青きドナウ」が切なさを感じさせる。
不条理なキャラクター
戦時下の国家に暮らす人々をカリカチュアした、舞台劇のような映画でした。
不条理なキャラクターの存在と、世界を俯瞰した視点は面白いです。
・兵士が仕事だと思ってる
・町のためだから人を殺しても、殺されても仕方ないと思っている
・戦争の意味は一切考えず、命令を忠実に守ることが大事
という価値観のまま、一切の疑問も持たない人々の反応として、実力派の役者たちにわざと間延びした棒演技・棒セリフの応酬をさせるというスタイル。
私のように皮肉を好み、斜めから穿ったものの見方をすれば楽しめる可能性が高いですが……
ストレートに表現を受け止める、心の綺麗な方々にとってはシュールな前衛劇にしか見えず、まったく面白く思えないとも感じました。
観る人を選ぶというか、性格のねじれ具合が必要というか。
また、淡々と時間が流れていくので、眠気を誘発しやすいのが難ではあります。
演劇を観ているかのような作品
まるで演劇を観ているかのような作品である。登場人物の台詞の演出が二つに分かれていて、ひとつは兵隊や役人の台詞で、感情がこもらず抑揚が少ない。町という共同体の言いなりになっていることを表現している。もうひとつは庶民の台詞で、片桐はいりのせりふに代表されるように、戦争を肯定しなければ生きる意味を喪失してしまう危機感に満ちている。両方とも難しい演技が要求される演出だと思う。出演者に劇団出身の俳優が多いのも頷ける。
出来上がった作品は映画紹介サイトにあるようにコミカルでシニカルである。特に登場人物同士で繰り広げる会話の微妙な間(ま)が面白い。観て爆笑するという訳ではないが、その特異なキャラクターには思わずのけぞってしまうような部分がある。
石橋蓮司の町長といい、やたらに「なんだ」と言いながら相手の尻に見事な蹴りを入れる工場長?といい、やたらにキレる受付のおばさんといい、よくぞこんなキャラクターを思いついたと感心した。
比喩の意味は明らかで、戦争をしたい軍需産業(工場長)が政治(町長)を牛耳って、兵隊を使って無意味な戦争を続けさせる。国民(食堂と惣菜屋その他)は戦争のプロパガンダに精神的に支配されて盲目的に戦争を礼賛する。工場長の理不尽で問答無用の暴力が町を支配し、兵隊を含む国民は考える能力を失って、ただ生きるために戦争をする。軍需産業はとんでもなくエスカレートして、一発で広範囲を破壊する恐ろしい爆弾を作るが、商売だから敵にも売る。そして誰もいなくなる。
主人公のトランペット奏者は、かねてから戦争時間(就業時間)以外の時間に対岸から聞こえる音楽を耳にして、自分も戦争時間以外の時間にトランペットを吹く。曲はヨハン・シュトラウス二世の「美しく青きドナウ」である。人間のいない場所に音楽は必要がない。綺麗な旋律が濁流の前に虚しく流れるのみである。
ハイかイイエならイイエ
架空の年代架空の地域、本人達すら意図も目的も判らないけれど、川の対岸の町と戦争をしている町のお話。
生まれる前から毎日毎日何か判らない対岸の驚異に対抗すべく、朝9時から夕方5時まで、河原に集う兵士達が散発的に対岸へ発砲する戦争。
そんな町の兵士であった主人公が楽隊に配属された頃から町に変化が訪れる展開。
のらりくらりとしたテンポにすっとぼけたやり取りで進行していくけれど、キャラによって空気感が徹底されていなかったり、それでいて代わり映えのしないやり取りの繰り返し、と単調な感じ。
畳み掛ける訳でも、忘れかけた頃に来る訳でも無く、淡々と小エビが並べたてられた天丼なんて大して美味しくないし魅力的じゃあございません。
みえないものや噂への過剰な恐怖とか、不寛容な世の中や弱い者イジメ等々への風刺的意味合いは感じとれるけれど、コミカルさもシニカルさも物足りず。
塩気も毒気も薄味過ぎて正にぼんやりだった。
パッションの使い方
誰のために?仕事がないと困る?
同じ繰り返しの日常を、一生懸命にはりきって働く大切さも分かる!
一生に一度の人生だもの、きまじめもいいけど、忖度無しにはりきって自分の考えで突き進んで生きたいと思った
片桐はいりさんには星⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
【内部崩壊する戦争国家】
戦争をプロットして、戦争の悲劇というより、バカバカしさをよく伝えている。
(以下ネタバレ)
戦う理由を皆、実はよく知らない。
戦いは仕事だと思い込んでいる。
適宜弾薬を消化しなくてはならない。
思考に応じて配給が異なる。
偉い奴はバカなことしか言わない…というか、繰り返し言う。
バカは自分のことをバカだと思っていない。
息子は輪をかけてバカだ。
盗みも平気だ。
でも、優遇されている。
組織の中身など知る必要はない。
マニュアル通りにやれば良い。
余計なことを考えるのは罪だ。
人は使い捨てだ。
怪我をしたら、お役御免になるだけだ。
自由恋愛などご法度だ。
女は子供を産めなければ役立たずだ。
離縁は当然だ。
国威発揚のために楽隊だって使う。
最新兵器も開発するし、使ってみる。
でも、事実を知ってる奴は必ず潜んでいる。
最後の川のこっち側の大爆発は、戦争国家が内部崩壊した様を象徴的に表しているのだ。
よくも、これだけ盛り込んだものだ。
今でも戦争を美化しようとする輩は沢山いる。
本人は謝ってもいないくせに、日本はどれだけ戦争の謝罪をしなくてはならないのだと疑問だけぶつける輩も沢山いる。
あのリコール軍団も是非、バカな頭で、この作品を観て、バカを自覚すれば良いと思う😁
あっ、あと、あの失言の止まらない人もね。
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