アイの歌声を聴かせてのレビュー・感想・評価
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AI設定が不自然かつご都合主義すぎ。キャラの感情の動きも不自然に感じました。
SF設定と因果関係についてのアラが目立った作品でした。その部分を切り捨てられて、エモい部分が拾えればまあまあなのかもしれません。
ただ、題名にAIと愛のダブルミーニングでしょうか。アイを冠した以上はAIものとしての設定はちょっとなあ、と思います。結局母は優秀じゃないし。ヒロインの性格付けもあまいし、AIシオンの行動原理の初期設定もかなりご都合主義だし。各キャラクターがわらわら集まってくる展開も、ちょっと感情的に不自然な感じでのれませんでした。
停止するとすぐにAIバレする仕様だし(まあ、その時点で実験終了なのかもしれません)。あとはシオンがあそこまでの能力を身に着けた理由は?ネット上の自己進化?攻殻機動隊やレインなどの焼き直しにしてもちょっと説明も思想も哲学も無さすぎでしょう。進化=ヒロインの幸せの条件付けというだけでしょうか。
むしろ、企業側(陰謀側)の言動の方が、正論でしたね。AIの危険性ばかり言って可能性に目をつぶる必要はありませんが、あのAIアンドロイドが暴走すると恐ろしい事になります(実際暴走だし。未知のプログラムがインストールされていても、解析せずに野に放ってしまいますし)。
シオンの動きでヒロインは幸せになってゆくのか?ですけど、幸せについてなにも語られないで、歌をうたって仲間ができればOK?みたいな感じですね。
全体的な流れは、一般的な期待する方向に、期待する通りに話が進みますので、そこをどうこう言ってもしょうがありません。ここに深さを見る人がいても、不思議はないです。ただ、私は上記の理由で、まったく乗れませんでした。
AIは人間の幸せの為に、人間はAIの幸せの為に
ある事をきっかけに“告げ口姫”と呼ばれ、学校で孤立している女子高生のサトミ。
ある日、転校生が。容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群、天真爛漫な性格ですっかり人気者になったシオン。
そんな彼女の「?」な面。転校初日、自己紹介の場で、いきなりサトミに話しかける。
「サトミ、今、幸せ?」
それからもシオンは恥ずかし気も無く接してくる。…いや、正確に言うと、サトミの“幸せ”の事ばかり。
不思議ちゃんなのは間違いないが、彼女は何者…?
サトミが忘れている昔々の友達…ではない。サトミは彼女の“正体”に気付いた。母の“仕事”の中で。
サトミの母は大企業“星間エレクトロニクス”で、革命的なAI開発に取り組んでいる。
そう、シオンの正体は、サトミの母が開発した見た目は女の子の“AIロボット”だった…!
学園青春ものかと思いきや、転校して来たあの娘は、AIロボット。
何ともブッ飛びな設定だが、監督は吉浦康裕。以前にも『イヴの時間』などで“AIと人間”を題材にし、なるほどな設定。
『イヴの時間』はなかなかユニークで凝った設定だったが、こちらは設定を一旦置けば、王道的な青春ストーリー。
長編作はこれで3本目だが、最も見易く、万人受けもし易い。
劇場公開時、口コミで評判に。見る前はあまり期待していなかったが、見てみたら納得。
公開時期もレンタルリリースも近く、同じく福原遥が声の出演の『フラ・フラダンス』の方が気になっていたが、作り的にもクオリティー的にもこちらの方が一枚上手。
『イヴの時間』『サカサマのパテマ』と、吉浦監督はクリーンヒット続く。
極秘のプロジェクトで、試験中。
人間社会に紛れ込ませ、バレなかったら成功。
男社会で努力してきた母の命運を懸けたプロジェクト。
娘にはすぐバレてしまったが(って言うか、普通だったらその時点でアウト)、サトミは知らぬ素振り。
ところがどっこい、“オーバーヒート”してしまい、クラスメイト数人にバレてしまった…!
母親思いの娘。皆に頼み込み、見なかった事にして貰う。
母親や会社もこの事は知らない。という事で、AIロボットと事情を知る少女たちの、風変わりな学園生活は続行。
サトミが気が気でないのは当然。
シオンは人間で言う所のちょっとおバカな、ポンコツAI。
だっていつも、突然歌い出す。
転校初日のあの時を始め、あっちやこっちで。
歌って、踊って、もはや完全にミュージカル映画の世界。
でもそれは全て、サトミの幸せの為。
歌って踊れば、サトミは幸せになれる。
しかし、当の本人は…。
恥ずかしいし、そんなんで幸せになれる訳がない。別に幸せなんて望んでない。
もうヤメて~!
“AIと人間”の題材に、何かインパクト欲しかったという吉浦監督。
そこで取り入れたのが、兼ねてからやって見たかったというミュージカル。
別に本作、“ミュージカル・アニメ”ではない。
が、シオンが歌うシーンだけミュージカル調になる。
その作りがユニークで、本当にミュージカル作品を見てるような高揚感もあり。
シオンの声を担当したのは、土屋太鳳。
天真爛漫な台詞はぶりっ子ラブコメで演じてきた役柄が決して無駄ではなかったようで、本人の生歌による劇中歌ではいずれも美声を披露。
その歌声には聴き惚れてしまう。
当初はぶりっ子役ばかりであまり好きではなかったが、最近はレパートリーも増えて本来の実力を発揮し、すこぶる好調!
シオンの予測不可能な言動に振り回されっ放しだが、それが不思議とサトミやクラスメイトの心や関係に影響を及ぼしていく。
最近関係がぎくしゃくしていた学校一のイケメン人気者ゴッちゃんと彼女アヤの関係修復に一役買う。
一度も試合に勝った事のない熱血柔道部員サンダーの稽古相手になり、初勝利に一役買う。
それらがきっかけでサトミは彼らと親しくなる。アヤなんてサトミに当たりが厳しかったが、随分と丸くなる。
ずっと“ぼっち”だったサトミ。久し振りに出来た友達。
皆で“エスケープ”してサトミの家に集まったり、誰かと親しくなったり学校生活って、こんなに楽しいんだ。
それがサトミにとっての幸せかと問われたらまだ分からないが、シオンが育んでくれた輪である事は間違いない。
サトミには幼馴染みが。電子工作部のトウマ。ハイテクオタクで、シオンに(あくまでAIとして)興味津々、大興奮。
幼い頃は親しかった二人。が、ある事がきっかけで今はほとんど接点無く…。
サトミが“告げ口姫”と言われるようになったのは、このトウマが関わる事。彼の為にした事。
言わずもがな、二人は今でも心の中では…。
学習能力も高いシオン。サトミの幸せはただ彼女自身が幸せになるだけじゃ本当の幸せではなく、彼女の周りも幸せになる事で、サトミ自身も幸せになる事を学習する。
一人は皆の為に、皆は一人の為に…って言葉あるけど、まさにそう。
サトミの幸せは皆の幸せに。皆の幸せはサトミの幸せに。
不器用でいじらしい二人の為に用意した、“ファンタスティック・ロマンチック・ミュージカル”な場。
それはサトミが子供の頃から大好きな女の子向けミュージカル・アニメ『ムーンプリンセス』のようなシチュエーション。
そんな夢みたいな憧れの中、幼馴染みとヨリを…。
事件が起きる。
大人たちの傲慢。
会社内で、サトミの母の失脚を企てる男どもの妬み。
シオンは捕らえられ…。
母親は会社の男どもの策略でクビになる可能性が…。
せっかく仲良くなった皆にも迷惑を掛けてしまった。
激しく後悔するサトミ。
こんな事なら皆と仲良くならなければよかった。一人のままでいた方がよかった。
本当に、そう…?
皆と楽しく過ごした“幸せ”。
それを知ったら、もう一人でいる事には耐えられない。
皆だって分かっている。サトミのせいじゃない。
トウマの音痴な励ましもあって…。
サトミたちはシオンを救出すべく、星間エレクトロニクスに潜入する。
誰一人欠けて、幸せなんかじゃない。
シオンは私を幸せにしてくれた。今度は私がシオンを…。
それにしても、シオンは何故こんなにもサトミの幸せを願う…?
それは、まだサトミが幼い頃の“出会い”。
ある一つのAIおもちゃ。
ずっとサトミを見守り続け、サトミの幸せを願っていた。
人間の科学力やAIのプログラムを超えた、奇跡=思い。
母との関係(毎朝母と必ず行う“元気に頑張る”やり取り)、
友達と呼べる存在、
シオンの純真無垢な幸せの思い、
それらと知り合って、触れ合って、サトミは今再び問われたら、こう答えるだろう。
サトミ、今、幸せ?
幸せだよ、と。
映像美。
楽曲の素晴らしさ。
コミカルと感動と爽やかな見心地。
人の幸せ、AIと人間の在り方も問うた理想的な良作だが、うっすら裏テーマも見え隠れした。
ただひたすらサトミの幸せを願うシオン。AIの自我と言っていい。
これが善意ある思いだから良かった。
もし、AIが人間に対して不審を抱いたら…?
その時、どんな行動に出るか…?
ハッピーの中に、絶対あり得ないとは断言出来ないテクノロジーの危険性を、裏メッセージとして気付かせてもくれた。
スクリーンでみるべきだった、、、
TSUTAYAで見かけたので視聴。
少し前にやってたなと思いそこまで期待はしていなかった。
初めから「幸せ?」って聞いてきて意味わからんポンコツAIだと思っていたら、
後半の伏線回収で涙腺崩壊しそうになりましたー。
起承転結もしっかりしていて
すっと内容が入ってきやすかった。
作画もキレイ!
完璧な映画だった
あっという間の時間でした^_^
7.0です。満点超え。
私などがレビューできる作品ではありません。あーだこーだとアラ探ししたり分析する気がまったく起こらない。本当にいい作品を作っていただいて、感謝でいっぱいです。
私は滅多なことで感動しないけど、これは参りました。2回目は結局観にいかなかった。必ず泣いてしまうから。一度目は不意をつかれて目頭が熱くなり、背筋に電気が走ったが、ギリギリ落涙をこらえた。でも次は無理だろう。DVDを予約したので、家でひっそりと号泣しよう。
予告編を見る限り、究極超人あ〜るのようなドタバタ学園コメディーを想像、期待して観に行きましたが、すっかり騙されました。いや、全編を通してその期待は満たされました。その上にさらにすごいものが乗っかっていた。出てくる登場人物全員に感情移入ができる。自分が彼らとともにそこにいるかのような錯覚に陥ってしまい、スクリーンのこちら側にいる感覚が失われる。
そしてすべての伏線が一気に回収される問題のシーン。感動に打ち震えながら、自分の想像力の薄っぺらさに愕然とする一瞬でもありました。私がストーリー展開をこれっぽっちもよめなかった数少ない映画でした。
超シリアスでドキドキするクライマックスから思わず声をあげて笑ってしまいそうになったラスト。感動したまま投げ出されなくてよかった。アニメはこうでなくっちゃ!ああ、いいもの観た、と笑顔で席を立つことができました。
アニメ、実写ひっくるめて、私が半世紀に渡り観てきた映画の中でダントツのナンバーワンです。DVDをずっとかけっぱなしで生活したい!そういう映画です。
人により捉え方は異なりますが、少なくとも楽しくないと感じる人は非常に稀だと思われます。
現代版美少女女子高生アラレちゃん
キャラデザが可愛かったので見た作品。
最近はキズナアイと言い萌え界隈ではAIが1つのトレンドになっているわけだが、ノリとしては鳥山明のアラレちゃんである。
人間とはややズレたロボットらしい仕草が笑いどころであり、突拍子もない動作をすることで周りをドタバタに巻き込んでいくお約束の展開。
ちょうど30年くらい前なのでその世代が作り手になったということだろう。
特殊能力としてはネットワークに侵入して他の電子機器を操ってしまうというもの。
黒幕はそのAIロボットを作った大企業、というシンプルな構図。
2時間に収まるアニメ作品としては分かりやすくてよいと思う。
展開も後半の盛り上がりがとてもワクワクするし、主人公のシオンがどんどん存在感を増し失いたくないという切なさがこみ上げてくるのはとてもよかった。
特に不満はないが、1つ気になったこととしては
自動運転のバスが横断歩道を塞ぐ形で止まるのはおかしいのではないか、という点
またDVDが出たら追記の予定
アンドロイドは「幸せ」を夢見るか
大傑作。個人的オールタイムベストのひとつになった。
転校してきた美少女ロボットのシオンが、クラスで孤立するサトミを「幸せ」にするため、いきなり歌ったりドタバタを起こす――というのがあらすじ。
ジャンルは「青春SFミュージカル」とでもいうべきか。特にSF的設定とミュージカルのお約束を上手く利用していて、「その手があったか!」という意外性がある。青春ものとしても、キャラクターの高校生らしい素直さと不器用さ、青春の恥ずかしさを逃げずに描いていて素晴らしい。
特筆すべきは、全体を貫くポジティブなAI観。テクノロジーの危険性を自覚しつつ、あえて肯定的に描くところに、監督の「願い」のようなものを感じる。現実がどうなるかはわからない、でもそうなったらいいなあ、と思いたくなる未来を描いている。ここをご都合主義的に感じて白ける人もいるだろう。自分は素敵だなと思う。
無駄のない脚本もお見事。過不足のない情報提示の仕方はほとんど芸術的ですらある。終盤で伏線を回収するシーンの感動は衝撃的で、理解してから観る二回目以降がまた楽しい。「二回目からが本番」はガチ。
キーワードは「幸せ」。劇中歌の歌詞にもある「あなたはいま幸せかな?」という問いは、幸福感が薄いとされる現代日本人に、とりわけ刺さるかもしれない。自分にとっては、オンリーワンの特別な作品になった。
日本アカデミー賞アニメ部門ノミネート?
「映画大好きポンポさん」がノミネートされなかった日本アカデミー賞アニメ部門にノミネートされていたのと、映画コムではまぁまぁ評判が良さそうだったので遅れて鑑賞
ですが、個人的にはそこまででしたね
松竹製作だったので、持ち回り忖度案件でノミネートされたと思いました
悪くはないですけど、「映画大好きポンポさん」には全然劣ります
おそらく原因はとにかく要素が多いんですね
AI特区にAIロボットに学園ものにミュージカルに田舎に青春に恋愛にクラスメイトに母の仕事も……
それを強引にでも一つのストーリーにまとめた力は監督にあるのかなと思いましたが、結局何が言いたい話なのか、テーマは何なのか、それが致命的に散漫で弱い話になっています
ラストに言いたいことは分かるんですけど、冒頭から中盤にかけてまでは過多な情報やキャラクターのせいでテーマが何か分からないので、こっちもどう楽しめばいいか分かりません
それで物語の魅力が失われてしまっていますね
クイズで言えば、そもそも問題を出してないのに解答の制限時間はどんどん減ってる状態ですね
答えを言われてから、こっちがそもそもの問題を推測してる感じ
できるだけ冒頭でテーマ(問題)を発表出来ていれば、こっちもその答えは何だろう?とずっと楽しみながら観ていけるんですよね
脚本は別の、もっと実力ある人に任せれば良かったような気もします
ただ、そうするとカット割りとかアングルもそんなに良くなかった気もするし、キャラクタービジュアルもそんなに魅力的でも無かったから、そもそもこの人が監督でなくても良かったような気もしてきます……
まぁ、アニメで言えば細田守も新海誠もそこまですごいわけではないから、この監督さんの名前は覚えておこうと思いました
ご都合青春ものとはいえ、好き
同監督作品のイブの時間のような感じがモノローグ映像からどことなく滲み溢れていると感じられ、SF的な進歩が映像や哲学に見られないのがちょっと肩透かし。
しかし青春者としてはなかなかエキサイティングな展開を見せていたと思う。
ツッコミどころ満載なとことかあるけど、それが興醒めというわけではなく物語はミュージカルに載せられグイグイと展開していく。これが心地良い。
常に瞳孔の開き気味のポンコツAIは画面だけ見るとホラー的な演出、動きさえ見せるが、声優の声色で中和できているバランス感覚もなんともお見事です。
面白かった/ワンダーが足りない
「イヴの時間」が好きなので観に行った。社会へのテクノロジーの適用の設定と見せ方が好みだった。青春ドラマとしてはきれいにまとまっていて、見せ場も多く楽しめた。歌もいい。ただちょっと物足りない感。……書きかけでうまくまとまらず放置していたが、「地球外少年少女」を観て思うところがあったので、AI絡みで整理してみた。大分時間がたったので記憶違いがあるかも。【両作品のネタバレ有り】
本作で幼少のトウマがたまごっち風AIに与えたプライム・ディレクティブ(PD)は「サトミを幸せにする」ことだった。その手段が歌であり、サトミが大好きな劇中の映画「ムーンプリンセス」から、歌うことや人間関係を学習したということは読み取れる。
一方、AIが消去される危険から自らをネットに逃がした後、シオンの身体を発見するまでのネット放浪時代、AIはサトミを見守り続け、時々音楽で介入したりしていたが、高校生シオン(自律型アンドロイド)となってからの言動を見る限り、特に一般常識を学んだりはしなかったようだ。(「地球外…」でも、AIの演算能力や情報入力にはリミッターがかけられていて、人間が解除するまで自ら進んでその制限を超えなかった。)
ここで気になるのは、AIの「意思」とは何かである。「イヴ…」では、AI(アンドロイド)に自由意思があることは所与であって、なぜなのかは明確な説明がなく、その発露を縛るルールとの葛藤や社会における受容がテーマだったと思う。
一方、本作ではAIはPDに忠実だが、自らの意思があるのかは分からなかった。PDを遂行するためのインプット・アウトプットのループはあっても、自分で自分の知の範囲を拡張しない、あるいはできない。そのため、サトミの幸せのために他の制御を乗っ取り、時に損害を与えることに躊躇せず、より合理的なやり方を導き出せない。(あれが自分の演算上の最適解なのだろう。)
ラスト、衛星経由でシオンの中身が再度ネットに放流されても、再びそこからサトミを見守るだけで、某少佐の「ネットは広大だわ……」みたいなエボリューションがあったようには描かれていない。
これは実社会へのAIの適用が進んだことによる、AIのあり方についてのより現実的な理解が反映しているのか、はたまた、そう(あくまで人間をサポートするもの)であってほしいという願望の表れなのか?
「イヴ…」ではエンドロールの切ない映像で、人間とAIの種としての共生の可能性のような論点が示唆されていた。「地球外…」ではリミッターを外されてルナティック(知能の爆発的拡大)したAIが、ひたすら知の探究に没頭して宇宙の存在の謎を解明してしまう描写があった。
SF的には、本作にもAIの進化とか、制御する者ーされる物の関係を越えた両者のあり方とか、何かしらのワンダーの提示がほしかった気はする。
時間が空いたので
うーん
設定が無理あって乗れへんかった。
ファンタジーとして観るにしても、お母さんが男性優位の社会でがんばってるって題材としては大切やのにザル過ぎるし、失敗したら子供に当たり散らすの嫌やったな。
昭和のメカか?
少女型AIが「他人の心を歌う」ことで問題を解決していく、特異な設定のミュージカル×青春×SF。
ようやく観てきました。
大変良質な「青春+SF+ミュージカル」アニメであり、観に行った甲斐はあったかと。
もともと、「青春+SF」というのは、吉浦監督の追求してきたテーマであり、初期の代表作『イブの時間』もAIテーマだったと聞く。そこに「歌」を足したうえで、『時かけ』以来定型となっている「高校青春SFもの」のテイストを強めたのが本作、という感じか。
歌の部分に関しては、当方オジサンなもので、だいぶくすぐったい感じはあったけど、とてもよかったと思う。
最近も高校生が学校でいきなり歌い出す、ちょっとこそばゆいようなアニメ映画を観たっけと思って記憶をたぐってみたら、『心が叫びたがってるんだ。』でした(笑)。
あれも、キャラが歌い出したら最初は周りがおいおい大丈夫かと不審がる、「ミュージカルのお約束」に対する日本人の抵抗を和らげるための演出が成されてたな。
まあ最近は、『ラブライブ』や『マクロスF』でもみんな路上でいきなり歌い出すし、『竜とそばかすの姫』みたいな純正ミュージカルも出てきたし、アニメキャラが急に歌い出しても気にならない「耐性」は日本人のあいだでも大分ついてきていると思うけど。
ただ、今回のミュージカル要素に特異な要素があるとすれば、それはアイが「他人の心」を歌にして表現するという点だろう。
なぜなら通常、歌は常に「自分の心情」を歌うものだからだ。
『ここさけ』にしても、緘黙の少女のなかから「歌があふれ出してくる」という設定だったかと記憶する。歌は、本人の心がいっぱいになって、それがメロディに乗って流れ出してくるもの。
これは古くオペラの時代から続く「歌」の大原則だ。
ところが、この映画の「歌」はちがう。
アイは自分の心情を歌うのではない。
近くにいる人の心情を歌うのだ。
ちょうど、家庭用AIが、その場にあったBGMを選択するように。
天気や、ご主人様の気分や、その日のシチュに合わせて。
この「外付け」の歌は、まわりの人間に「気づき」の効果をもたらす。
鬱屈し、思い悩み、立ち止まっていた少年少女は、アイに自分の「内面」を歌ってもらうことで、それを確信し、一歩踏み出すことができる。
ミュージカルシーンの前と後で、人間関係や心の持ちようが劇的な変化を遂げるのだ。
喧嘩していたゴッちゃんとアヤは仲直りし、負け続きのサンダーは勝ち方を身につけ、トウマはずっと胸に秘めていた慕情を、サトミは悔恨の情を、それぞれ相手にさらけだす。
彼らは「アイに促されて/影響されて」歌い出すことはあるが、あくまでその端緒となるのは、アイの「他人の心情に添って歌う」歌唱である。
その意味で、本作の若者たちは、自ら七転八倒して傷つけあいながら真実に目覚めていく能動的な存在というよりは、「人(もっぱらサトミ)を幸せにしたいAIの力で」再び結び付けられていく受動的な存在ともいえる。
悪い言い方をすれば、かなり「甘やかされた」キャラクターたちだ。
でも、日本人なら、それをちっとも変に思わないはずだ。
なぜなら、日本人はみんな、『ドラえもん』を見て大きくなってきたからだ。
そう、これは岡田磨里風味に味付けされた、『ドラえもん』なのだ。
僕は途中から、そう思いながら観ていた。
このAIはポンコツだという触れ込みで、物語は始まる。
実際、コミュ障だし、考えていることも得体が知れない。
でも、このAIは、魔法のように「その場の人間関係のストレスを解消する歌を歌える」。
その点だけは、つねに間違わない。
人間にも見抜けない真の心を歌であぶり出す。
これは、SF設定としては、実は本来の設定と大きく齟齬のある「チート機能」だと思う。
会話すらままならないAIが、純粋であるがゆえに、人の隠した思いを見破り、それに見合った歌を紡ぐというのは、そう説明されればそうかなと反応するしかないけど、結局のところ究極のご都合主義だからだ。それに「サトミ」の幸せだけを考えているAIが、その「周辺の人物」から順番に救っていくというのは、ぎりぎりロジックが通っているようで、やはり無理筋の展開だろう。
とはいえ実際に観ると、本作のAI「アイ」は、そういう矛盾というかご都合的な部分を気にさせないところがある。その理由としてはやはり、「外見が少女だ」という要素が大きく影響しているのではないか(笑)。
AIに「直観」は高度すぎる概念だが、無垢な少女に『直観』は兼ね備わっているのが当たり前の絶対の力だ。『フルーツバスケット』の本田透しかり。『悪役令嬢』のカタリナしかり。ちょっと頭は弱くても、苦しんでいる人の何かを見抜いて救済する力が「少女」には間違いなくある。
ポンコツAIが人の心を読むことはありそうにないが、そのAIが少女の姿を獲得した時点で、複雑な男女のわだかまりや過去の因縁をも超越する「歌」を歌ってもおかしくないキャラに変貌する。
ちゃんと、監督やスタッフは、そこをわかったうえで、アイというキャラクターを創造し、あえてアイに「解決屋」としてのチート能力を付与しているのだ。
それに先にも述べたとおり、日本人は『ドラえもん』で、未来のロボットに頼って他力本願で物事を解決する手順に慣れ親しんでいる。「人の幸せを願う」AIが関係者の問題を解決してくれることを、奇妙に思わないように「道徳的に訓練されている」と言い換えてもいい。
だから、僕たちはアイの存在を変に思わない。
むしろ、自然な展開として享受できる。
これは、ある意味、幸せなことだ。
― ― ― ―
『アイの歌声を聴かせて』は、幸せな映画である。
出だしはみんな暗い過去や、現在進行形のわだかまりを抱えてスタートするが、映画が終わるころにはすべて解消される。
敵はわかりやすく悪いヤツらで、彼ら相手にレジスタンスを展開しても、あまり良心の呵責に苦しまないで済む。
アイはみんなに愛され、アイはみんなを愛し、アイの負に傾かないけなげな楽天主義は、周囲にも同じポジティブな影響を与えていく。
観客は、「アイの(ポンコツとしての)正体がバレるのではないか」というサスペンスには付き合わされるが、「アイが裏切る」とか「アイのせいで最悪の事態になる」といったマイナス要素は「あえて考えないで楽しく観る」ように作り手に巧みに誘導される。
これは裏を返せば、ちょっと怖い話でもある。
ここで描かれるAI「アイ」は、長くSFの世界で「危険視」され、「淘汰」されてきた「危ないAI」の「典型」ですらあるからだ。
アイは、人型ロボットにウイルスのように感染して、人格を乗っ取ることができる。
アイは、まわりのコンピュータにもハッキングし、自在に動かし、従わせられる。
アイは、自動育成されたスタンドアローンのAIで、人間の管理を受け付けない。
アイは、「サトミを幸せにする」という盲目的・妄信的な課題にいちずに邁進する。
アイは、その目的のためなら、非合法な行為であっても、全く臆することなく行う。
アイは、危機に陥ったら、人間型の義体を捨ててネットで生きていくことができる。
アイは、ラストにおいて●●に到達し、物理的攻撃を受け得ない存在に進化した。
いままで、多くのSF作品において、こういう状態に進化したAIは、「一歩間違えば人間を滅ぼしかねない存在」として、目の仇にされ、さまざまな形で葬られてきたはずだ。それこそ『メトロポリス』の昔から、『2001年宇宙の旅』のHAL、最近のアニメ『Vivy -Fluorite Eye's Song-』に至るまで、「人に尽くす」ことを目的に作られたAIは、必ず進化の過程で暴走し、人類に破滅をもたらす存在へとなり果てるものだった(そういや『Vivy -Fluorite Eye's Song-』も「歌でみんなを幸せにすること」を使命にもつAIだったな。本作とかなり被る目的意識でつくられたアニメだ) 。
ところが。
本作において、アイは「希望」の象徴だ。
この物語は、全力でアイを肯定し、アイに救われた若者たちもアイを肯定する。
そしておそらく、観客も全力で、アイと仲間たちを応援するだろう。
そして最後には、幸せなAIと人間の共存可能な未来が提示される。
それがまさに、吉浦監督の「描きたかったこと」だからだ。
でも、一瞬立ち止まって考えてみたい。
この映画で描かれたアイの特徴と機能と進化の結果に、ほんとうに脅威はないのか。
しょうじき本作のアイと、いままで駆逐されてきた「暴走したAI」に、そう大きな差はないのではないか。
アイは、ほんとうに人間に害を与えないのか?
サトミを幸せにするためなら、回りに悪い影響を与えても平気なのではないか?
これだけ驚異的なスペックを有する人工知能を●●に逃がしてほんとうによかったのか?
アイを捕獲しようとした星間エレクトロニクスのほうに、実は「理」があるのではないか?
僕は、吉浦監督がこの疑念に対してあまり明確な答えを用意せず、ポジティブに、楽天的に、「信じられるよ」「だってアイは良い子じゃないか」で済ませている感じがどうしてもして、ちょっと怖い。
アイが良い子に描かれていたから、アイに高校生たちがみんな救われたから、星間の社員が悪いヤツに描かれていたから、「アイは危険なAIではない」と断ずるのは、危機管理の思考としては最悪の部類に属すると僕は思う。
僕が本作に十分感動したし、楽しんだにも拘わらず、少し「もやっ」とした気持ちで劇場を出たのは、そういう思いもあってのことだ。
まあ何にせよ、アイの正体がわかった瞬間に、映画のアバンから何から、すべてのシーンがきれいに塗り替えられる『ユージュアル・サスペクツ』にも似た高揚感や、そのあと続く怒濤の(Keyゲー風)回想シーン、アイが「歌うAI」に進化した理由が最初から呈示されている点など、本作の作劇の巧妙さを指摘しだしたら、それこそ枚挙にいとまがない。
逆にいえば、今回は「本当は危険かもしれないAI」を、「まったく危険でないかのように描く」ことに成功し、観客全員をアイの味方につけてしまった吉浦監督の「話術」の勝利なんだろうね。
実際僕も上映中は、ほとんど何も考えずに面白く観られたわけですから。
― ― ― ―
最後に一点だけ、あまり誰もが指摘しないだろう点に触れておく。
それは、大河内一楼の存在だ。
吉浦康裕監督の映画は、これまで実は『サカサマのパテマ』しか観たことがないけど(たしか新宿の現アニメシアターで封切りで観た)、それと比べても格段に「受け止めやすい」「設定上の粗の少ない」「観客サーヴィスに富んだ」映画になっていて、監督の成熟ぶりはもちろんのこと、シナリオチェッカーとして入った大河内一楼の果たした役割の大きさを思い知らされた。
大河内は『∀ガンダム』から『プラネテス』『コードギアス』と、SF設定に関してはまさに海千山千のツワモノだし、『エウレカ』の第26話(家出レントンの帰還回)のような感情に訴える「泣かせ」シナリオでも抜群の才能を発揮する脚本家であり、吉浦作品のサポートに入るには最適の人選だったのではないかと思う。
大河内はパンフレットで「物語のクリエイティブは吉浦監督発のもので、僕は技術を提供した」と述懐している。「ただ、全体に要素が多くて複雑だったので、僕のほうでいったん整理した」「僕はお客さんに伝わりやすいようにとか、感情線がはっきりするようにとか、描く順番や要素を整える役割でした」云々。
これらは、まさに『サカサマのパテマ』では大いにひっかかりを残した部分で、『アイの歌声を聴かせて』では劇的に改善が成されていた部分に他ならない。
個人制作で長篇アニメ映画を積み重ねて来た吉浦監督にとって、商業アニメの世界で生き抜いてきた大河内の「設定の穴をつぶし」「わかりやすくして」「観客の感情移入を意のままに操る」職人的スキルは大いに参考になったのではないか。だからこそ、単なるスクリプトチェッカーではなく、共同脚本へと格上げして、丁重に迎え入れたのではないか。
僕は、本作に大河内が果たした役割は、みんなが考えているよりはるかに大きいと思う。
人間社会にロボットをゲリラ的に侵入させる暴挙的実験が美化されたおかしなアニメ映画!!
謎に評価の高い作品ではあるが、かなり王道の作品。
転校生によって、周りがかき乱される王道のプロットであり、オタク、ギャル、スポーツバカ、真面目、チャラ男などメンバーのジャンル選出にいたっても徹底的に王道ときている。
そこにAIという近代的なものが導入されているとはいっても、少年漫画もそうだし、海外の学園ものであっても、転校生が特殊な存在であることはよくある話で、それがロボットだったからといって、何も新しさは感じられない。
そもそも実際に人間社会での実験をしていないロボットをゲリラ的に人間社会に送り込むこと自体に問題があって、そんなバカな研究者がいるのかと思うほど。
主人公の母親が研究者であって、実際に人格的に問題があることからも、何かをやらかしてそうな人物ということはわかるのだが、そこにライバルの嫉妬が入り込むことで美化されている。
冷静に考えるとかなり無理のある設定であり、悪役扱いされている人物の方がまともなことを言っているのだ。
急に歌い出すという設定も上手く活かしきれておらず、学校に溶け込むのであれば、突然歌い出す不思議ちゃんでも、最終的には全校生徒に慕われるほどの存在になるというのであれば見応えもあるのだが、結果的に少人数のコミニティとして孤立してしまっていることが全体的にこじんまりとしている原因だろう。
少人数グループの中で、秘密を共有する設定はあたりまえのものとして、その周りのモブ的な存在をどう絡ませるかが醍醐味であるというのに、非常に小さい規模での展開しかみせず、恋愛要素とか、友情とかを描くのはドラマや映画といった実写でやればいいだけの話であって、アニメでやるのであれば、アニメにしかできないことを存分にやってもらいたいところだ。
ミュージカル映画であれば、もっと曲を聴きたいと思うものが、あまり聴きたくないと思わせる映画という点で問題。
「ミュージカルで突然歌い出すことの違和感を説明づけた」というようなことを書いてある紹介記事を読んだが、いいかげんに映画自体が非現実空間であるし、メタファーとして音楽で表現されているだけであって、急に歌い出すからミュージカルが嫌いという人は、急に銃が出てくるからアクション映画が嫌い、急にカーチェイスするからカーレース映画は嫌いだというのと同じことてせあって、紹介する側がミュージカルというものを理解できていない。
ひと昔前のステレオタイプに偏ったものを引っ張り出してきていて、作り手が理解できていないし、どうも茶化している部分が大きいだけに、ミュージカルファンからしたら非情に不愉快な部分も多い。
そうはいっても総合的に決して悪い作品ではないとは思う。しかし、記憶に残るような作品でもない。
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