聖なる犯罪者のレビュー・感想・評価
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良い映画ですが、消化不良です。
素晴らしいシーンが多く、とても楽しめました。登場人物達も魅力的で素晴らしかったです。その魅力的な登場人物達を演じる役者の皆さんもまた素晴らしかったです。
それだけにラストシーンは少し残念に感じました。もう少し答えと説明があれば、ググッと刺さると思うのですが…(しかしそうしたらしたで押し付けがましいとかいうかもしれませんね、観客とは贅沢なものなので)。ポーランドのユースカルチャーの面でもとても楽しめました。ヤンキーの直視に耐えないみっともなさと哀れさ、社会についていけない前科者の苦悩を感じます。そういった人たちを救うのが宗教、特にキリスト教だと思っていますが、(マルコ福音書 2:17 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 )残念ながら現代カトリックの組織としての方針は異なっているようです。本当に前科者が聖職者になれないというのはおかしな話ですね…
この題名は誰のこと?人間?
とっても見たかった作品。楽しみにしていた甲斐がありました。
製作した国が近いからでしょうか?最近観た「異端の鳥」と似たような雰囲気があるんです。
テーマも、似たような「人間って・・・」って感じですし。
「異端の鳥」のようなモノクロ映像ではないですが、どんよりした薄暗い空の下でカラー作品を観ているかのような、まぁ、色が色をなしてない感じの映像が似ているなぁって感じました。
その雰囲気は人間っていう得体の知れない生き物の内面そのものなのかも知れません。
ちなみに、暴力描写ハンパないです。オープニングの工場のいじめシーン、めちゃくちゃ痛そうです。(よくもまぁこんな痛ぶり方を思いつくもんだと)苦手な方はご注意を。
本作は神父の仕事に憧れた罪を犯した男の出所後を描いてるものですが、
「犯罪者が聖職者の真似事をした」という単純な話ではないと思います。
事実、神父になりすまし村の信用を得た男はいたみたいですが(それが基になってるんですね)それを描くことでその裏にあるテーマを掘り下げているのではないでしょうか?
善悪とは何で決まるのか?決められるのか?
目に見えることが真実なのか?もしかしてそれに惑わされていないか?
多数派が生み出す静かなる暴力。
加害と被害は表裏一体。
結局人間は許せる(赦せる)のか?
などなどの人間という複雑怪奇な生き物をニセ神父のエピソードで浮き彫りにしていきます。
そもそも、人を欺いていながらも、小教区の村の司祭となる主人公ダニエルの存在自体が矛盾でありかつ、複雑な人間そのものです。また彼を取り巻く村自体が人間社会そのものとして描かれている点が非常に興味深いです。
ただの「ニセ神父によるエピソード」に終わらせることなく、村の中にあるタブーを通して人間の闇(前述のテーマですね)を描いていきます。その物語の作り方は見事でした。
また、ダニエルの心情の変化も丁寧に描かれていると思います。逃げるための手立てではなく、自身が神父としての存在意義を見出す瞬間があります。そこが見事です、セリフも含め。あぁ、彼は何かを見つけたなって思わせます。
犯罪者であり、刑期の中で触れた(であろう)キリスト教に魅せられたダニエルの言葉は、現実的でありかつ純粋なのでしょう。キリストの教えは泥水をすするように酷い刑務所生活の中での一筋の光だったのかも?生きた言葉ゆえにシンプルで本質をついています。彼の言葉は村人に届き、そして救いをもたらしたのかも知れません。
なんとなくですが、村全体に明かりが灯るかのようにクライマックスの映像は明るく、未来を予見できるような感じでした。(あくまで村のですが)
さて、そんなダニエルはどう裁かれるのか?どのような未来を迎えるのか?
ラストは、ラストに至るプロセスは・・・これまた本作のテーマに沿ったもので、かつ(考えすぎでしょうが)キリスト教の教えそのものと人間社会の現実って違うんだって痛烈に訴えている気がしました。戦争がなくならないのはなぜ?戦いがなくならないのはなぜ?教えはいったい何を教えてくれるんだ?現実ってこうですよ!って。
ひっくるめて現実の人間社会なんですよね。悲しいけど。
なお原題は「Boże Ciało」直訳で「神の体」日本語では「聖体」だそうです。
またネットで調べただけですが、原題は「聖体の祝日もしくは聖体節と呼ばれるカトリックの祝日」とも言われてます。この日は各地でprocesja(プロツェシア)とよばれる行列があるそうです。
村でのエピソードのクライマックスのシーンはこれを想像させます。
だからこの題名なのかなぁ?
キリスト教に詳しければさらに興味深い作品かもしれません。
ポーランド映画、初めてみましたが素晴らしかったです。
難を言えば、ダニエルがキリスト教に魅せられていく過程を詳しく知りたかったなぁ。
沈黙は祈りか犯罪か。
冒頭で司祭になりすました主人公が、「沈黙も祈りである。」という。
この沈黙の意味が、これほど深く響くことになるなんてまず思わない。
彼の正体がいつバレてしまうかの危うさと裏腹に、着実に住民たちの
心を拓き繋げていくその行動を、善悪で片付けられないところで唸り、
悲しい事故の真相を、事故で亡くなった家族の醜態を、黙して語らぬ
こともまた祈りであることを、まさかの人物に教えられるという衝撃。
罪人は死ぬまで罪人なのか
ポーランドとフランスの合作、所謂少年刑務所な所で信仰に目覚め、出所してひょんな間違いから、村の神父に成り変わり、自身の視点で村人を救おうと罪人の事を隠し、神父を続けて充実をした毎日を送って、そこの村の事件を解決などしたり、人を救ったりしてるが、身分を知る少年が現れ、そこから…
とてもシリアスで切ない話です、私には信仰がないので共感は出来ないですが、頑なに悪者を決めつけ排除しようとする村人、そっちの方が罪人ではないか。
何重にも面白い
少年院出の男の子が神父になりすますというとんがった設定がなくても、自分の信じたいことだけを信じ、匿名で他人を批判する現代っぽさを危なげありすぎな不器用な手で解決しようとするストーリーだけでも十分面白かったと思う。そこにそのとんがったベースを描いても邪魔にならず、融合もちょうどいい具合で、うまい映画としか言いようがない。感動とか、現代社会をえぐる問題作とか、そんな評価どうでもいいと思う。この映画は面白い。
人は容易に変われない。
気が付けば、映画に引き込まれていました。
主人公が嘘をついてでも司祭になりたかったのは、過去をなかったことにして、新しい自分に生まれ変わりたかったのかなと思いました。
司祭になった主人公は、人の痛みに寄り添い、権力に屈しない。
自分の言葉でキリスト教の本質を伝えようとする。
半面、酒に溺れ、セックスをする。
人間は、理性ではなく、本能と感情で生きているから。
追い詰められた主人公は、変わろうとしていた全てを置いて、元の衝動的で暴力的な状態になります。
人はなかなか変われない。
でも、変わろうと努力することは大切なのかもしれないと思いました。
聖職者とは…?
終始、暗いトーンの作品。
ハッピーエンドが好きな人にはおすすめできない。
この世に生まれてから、一度も間違いを犯したことはないと
胸を張って言える人が果たしているのだろうか。
過ちの大小は誰が決めるのか。
殺人が許されざる罪だと、いつ誰が決めたのだろうか。
こんなにも、人の心に響く言葉を連ねることができる人間を、
どうして、このような扱いにしなければならないのか。
社会では、やはり「許されざる行為」というものは、一般的に存在すると言えるが
それは、何を持ってしても、どの側面からみてもそうなのだろうか。
自分が感じている世界、自分の感情が全て、自分以外の全ての人にとって正しいとも間違っているとも限らないと考えさせられ、
人は多面的な生き物であるからこそ、あらゆる問題も、幸福も不幸も生まれるだろうか、
と考えさせられる作品だった。
片時も目を離すことができなかった
カトリックの神父は身分証が必要らしい。しかし本作品を観て思った。・・・2000年前のイエス・キリストは、身分証を持っていたのか。時代からして身分証はないにしても、何らかの権威の裏付けがあったのか。それとも権力の後ろ盾があったのか。当然ながらそんなものは何もなかった。むしろ権威のある者から迫害され、権力から弾圧されていた存在であった。
本作品には多くのテーマが盛り込まれているが、大別すると二つに分かれる。即ち、人はどこまで人を赦さないのか、あるいは赦すのかというテーマがひとつ。そしてもうひとつのテーマは、カトリック教会という権威は人を救うことができないのではないかということである。印象的なセリフがふたつある。「赦すとは愛することだ」と「権力はあなたにあるが、正しいのは私だ」である。
前者は聖書の言葉「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」(マタイによる福音書第5章)そのままである。主人公トマシュ神父ことダニエルは、ユニークな説教で村人たちの心を掴みつつあった。そこで彼はさらに進んで、村人たちに彼らが憎んでいる男を赦し愛せるか、その覚悟を迫っていく。
その裏でダニエルは自分の正体を見破られはしないかという不安に怯えつつ、村人たちとの触れ合いの中で、次第に聖職者としての自信を持つようになる。同時に権威や権力を疑うようになる。教会や教皇庁の権威さえ例外ではない。少年院で聖書を教わり、村に来てからは一層熱が入って聖書を読むようになったダニエルは、真の信仰は権威や権力とは無縁であることに気づいたのだ。そこで出たのが後者の言葉である。
ダニエルにミサを託した神父は「自分は告解では救われなかった」と告白する。それを聞いたダニエルは、教会の中には権威だけがあって信仰も救いもないことを悟ったに違いない。託されたミサの説教の場面でダニエルは言う「神は教会の外にいる」。
一方で若い肉体は背徳の欲望を抑えきれない。村人に信仰を説くその陰では酒を飲みタバコを吸い薬をやる。ロックを聞きながら踊り女を抱く。ダニエルに限らず人間は矛盾に満ちていて、はかないものだ。それは信仰のはかなさに直接的に結びつく。本作品は信仰を表現しているのではない。人間を描いているのだ。イエスは人の弱さを嘆き、信仰の薄さを嘆いた。しかしもしイエスが現れたら、愛されるのは教会か、ダニエルか。答えは言うまでもないだろう。
ストーリーは一本道で必然的である。救われようとしていたダニエルの魂は権威と権力によって脆くも壊れてしまう。彼は何を赦し、何を赦さなかったのか。そして何が彼を赦すのか。ダニエルによってもう少しで救われようとしていた村人たちの魂も、やはり権威と権力によって押し潰されてしまった。しかしもしかしたらダニエルによって救われた魂もあったかもしれない。静かに進む作品だが、片時も目を離すことができなかった。
なりすまし
ポーランドで起きた実話に基づく。アカデミー賞国際長編映画賞にノミネートされた。
内容は少年院で聖職者に憧れを持った主人公が出所後に向かった村で新任の神父と勘違いされたことから身分を偽り再出発を果たすが、ムショ仲間の出現で窮地に追い込まれていくというヒューマンミステリー。
カトリック信者の多い同国では、偽司祭の話は珍しくないという。聖職者とは何かを考えさせるとともに、人間の業を浮かび上がらせる作品であった。
ハードな環境が善き人であることを困難にする
これは傑作。1月のマンスリーベストになりそう。
少年院に服役中のダニエルは神父の影響を受け熱心な信者となった。自ら神父になることを望んだが、前科者は聖職に就けないと告げられた。
仮釈放されたダニエルは立ち寄った教会で新任の司祭と間違われ、病気の司祭の代役を頼まれた。ダニエルはトマシュと名乗り司祭となった。
素性を偽り聖職者となるのは犯罪なのだが。
トマシュは教会に通う者たちに私利私欲なく善を施した。権力者に迎合することなく行いを戒めた。聖職者として成すべきことをした。
善と悪は対岸に在るものではなかった。一人の人間の中に共存した。それはダニエルに限らず、誰の中にも在った。皆迷っていた。罪を背負っていた。
ハードな環境が善き人であることを困難にする。この作品の根底にある悲劇は普遍的なものだった。
実話をもとに
信仰心が強く本当は真にやり直しが出来たのだろうが、犯罪者は聖職につけないという事に対して諦めきれない彼の行動。。彼なりに真摯に向き合い問題解決していく聖なる面とどうしても抜け出せない罪なる面やり直しのきく人生を信じたいものだが、、作品として良かったです。
聖人とは
赦しの必要を、日常に溺れた人には理解できない。
クリスチャンでありながら、赦しなんて考えもしない。
罪を犯したことのある人の方が、むしろキリストの言葉や神の必要や赦しの意味が分かるのだ。
それは宗教でありながら、宗教でない何かだろう。
彼は神父ではないが、彼の言葉は人を導けるのだ。
主役の俳優の風貌が絶妙。
所詮何者にもなれない。
十字架の前に立つ若き神父トマシュ(ダニエル)。少年院を仮出所中の偽神父だ。近くの製材所で働く予定がたまたま立ち寄ったこの教会で冗談めかして神父だと名乗ったことをきっかけにしばらく教会を任されることになる。
煙草も吸えば浴びるように酒も飲む。フランクで型破り。感情の赴くままに語りかけるトマシュは徐々に村人たちの支持を集めてゆく。服役中に出会ったキリスト教。そして神父。熱心な信者となるが犯罪歴があると聖職者になれないと知らされひどく落胆する。そんな時まるで運命かのように巡って来たこの場所。
若さゆえの暴走か。自分は何者なのか。まるで2人の人物がいるかのように二面性を見せる。殺人犯ダニエルと聖職者トマシュ。どちらが本当の姿なのか。
それを一番知りたかったのはきっと彼自身だっただろう。
やがて1年前に起きた交通事故の真相を暴こうとして村人と対立することに。更に彼の素性を知る人物の登場で物語が加速してゆく。
誰かの心を確かに掴んだかもしれない。
誰かの悲しみを確かに癒したかもしれない。
しかし所詮は偽物だ。それ以上にはなれない。
所詮何者にもなれない。
2つの炎が彼の居場所を容赦なく奪ってゆく。彼は村人たちに一体何を残したのか。強烈でセンセーショナルなラストシーンで一気に現実へと引き戻される感覚を覚えた。
ダニエルはようやく夢から醒めたのだ。
人間は人間
欠点、長所、良い面、多面体としての人間を主人公ダニエルは自然に表現していた。
みんな罪人なのだと、キリストは言っていた。
しかし、私たちは自分は良い人間と信じて、悪い人、犯罪者という人を非難する。本当か?
予告編の印象よりも、ずっと見やすく良い映画だった。
主役の演技が素晴らしい。
緊張感にさらされる
緊張感に晒されるタイプの映画。
目は離せないんだけど、面白いというよりは不安が理由、みたいな。
劇場だとそれが心地いいが、家のテレビモニターだと20分以内に止めちゃう感じ。
脚本演出の良さと、そして主演の目力がすごい。
昨年観た『マーティン・エデン』の主役の目を思い出しました。
自らも罪を犯した男が、過去の事故で苦しみいがみあう村人たちと共に「赦し」を求めるという、実話系。
キリスト教の「贖罪」理念を学ぶにはよいのかも。
ただ、ラストシーンはちと理解しにくかった。
「そこにいたことを覚え、愛すること」が「赦し」には大事だと自ら気づきながら、「そこにいないこと」を選び続けるところがよくわからなかった。
興味深い実録犯罪映画!
まずは、なかなかの緊張感と人と人の信頼関係、カリスマ性を醸し出し演出した俳優陣と監督に拍手!
特に主演の俳優さん、仮出所直後はまだまだ全然どうしようもないゴロツキ感だったのに、化けてからの展開が妙な説得力あってお見事!!
なりすましの時間が大半で、確かに主人公の個性や経験が存分に発揮され支持を得て発言力も増して行く描写だから割く時間も必要だったのかも知れないが、その分クライマックスは急すぎて残念感が。
もう少しオチに向かう過程に時間を割いた方がサスペンス性が増して更に面白かったのではないかと思う。
しかし、どこまでが実話だか分からないけど奇妙な事件です。
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