「英題の意味は聖体祭」聖なる犯罪者 大粒 まろんさんの映画レビュー(感想・評価)
英題の意味は聖体祭
「聖なる犯罪者」などという邦題からして大きな間違いを犯している。罪深い作品かと。
まず、神が彼を赦すのかは赦すでしょう。
赦さないルールを作っているのは罪深い人間だということ。
ただ、彼の行いが聖者かというと、それは明らかに違い、自分が許されたいという、ただのエゴだという事。
聖職者たちは神の代弁者であり聖書の解釈者です。という事は、赦しを求めるものに救いを与える者となります。救いを与えるものが、はなから罪人であっては話にならない。たとえその道を赦されることがあったとしても、最後に彼がした行為そのものが、やはり聖職者にはなれない、ただのエゴという証。
町の人が受け入れたのは、そこの人たちが救いを赦しを求めていたからで、これはどこにでも起きる不運な事故のようなものだということ。自分勝手で嘘つきはどこにでもいるから。
ショッキングな実話からの着想だけれど、映画としてもお話になならないし、ただただ宗教を馬鹿にしているのでしょう。盲目的な信仰心は危険ですよってね。
真理や宗教は世界中でその解釈はまちまちな上、もともと神教と密接に生きる日本人には、その信者でもキリスト教のことを理解するのは難しい。だとしても、聖なる犯罪者などという言葉はふざけ過ぎだと思う。
この間違った邦題こそ、罪が深い問題です。
結局のところ人の信仰心は信じたいものを信じたいように信じてしまいがちで、何か問題があると全ては自分以外のもののせいにする。その弱さが悲しい。
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