「神の名の下に…」聖なる犯罪者 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
神の名の下に…
『赦し』という概念は、世界のすべてを見ている神(中国の思想からの流れで言えば〝天〟と言い換えることもできると思います)のような超越的存在を意識しながら思索する習慣の乏しい日本人にはとても難しいテーマだと思います。
事件や事故の犠牲者の遺族という立場に置かれた者が、〝加害者〟と見做された人に対して、赦すとか赦せないとかを口にするのは、どこかに現実社会における優位的な人間関係(加害者=赦してもらう側の負い目、被害者遺族=赦してあげた側)を引きずってしまい、後味が悪い。ましてや、そこに認識とは違う真相があるかもしれないとなれば、尚更だ。
しかし、信仰心を背景に説得力のある『神の導き』(神の名の下の赦し)であれば、現実社会での人間関係から生じる感情を一旦離れて受け入れやすくなる。
もちろん、生身の人間である以上、何かのキッカケでまた、恨みや復讐心のような負の感情が湧いてくることもないとは言えないが、一度神の名の下で赦した自分のことを思い起こせば、相手との関係でなく、自身の心との対話にでき得る。神父への告解は、そんな揺れ動く自分の心の調整機能を果たしてくれる。
神父という属性(聖職者)を剥がされた人間(ダニエル)の言葉は、日本のような社会ではたちまち説得力を失うことになると思うが、教会という聖なる場所で発せられたダニエルの諸々の言葉は神のなせる術だったのだ、とミサの場にいた人たちの多くが思うことで説得力が失われずに済んだのだと私は思います。
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