劇場公開日 2021年8月6日

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「【優しさと想像力/科学について:オッペンハイマーと朝永振一郎】」映画 太陽の子 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0【優しさと想像力/科学について:オッペンハイマーと朝永振一郎】

2021年8月7日
iPhoneアプリから投稿

毎年、8月6日と9日の原爆の日にあわせて、TBSのNews23がシリーズで放送している、綾瀬はるかさんと被爆者の対話で、今年は、高齢になった女性の被爆者の方が、核兵器が無くなるまで、自分が生きてる限り、語り継ぐ活動を続けたいとする一方、若い人にも、核兵器や戦争の恐ろしさを後世に伝えて欲しいし、そのために必要なのは「優しさと想像力」だと話をしていた。

奇しくも、裕之を演じた三浦春馬さんは、生前、「想像力を届けることが役者の仕事」だと言っていたことを、有村架純さんが舞台挨拶で伝えていたのだけれど、観る側、つまり、受け取る側にも、更に想像力が必要であることは言うまでもない。

最近の映画のレビューで、映画のストーリーをなぞるだけでなく、具体的な指摘はなしに、周りにどんどん同調するかのように低評価が増殖していく様を眺めて、これは、ある意味、イジメが広がる構図と似ているなと考えたりした。
決定的に想像力が欠如しているのだ。
せっかく、人間だけに与えられた想像力なのだから、可能な限り駆使した方が良いように思う。

この「太陽の子」は、反戦というだけでなく、科学と国家、そして、人間としての科学者が、どうあるべきか考えさせられる作品になっている。

レビュー・タイトルにあるオッペンハイマーは、原爆の父と言われたユダヤ系アメリカ人の科学者で、本来は素粒子物理学者として、その時は、場の量子論に於ける無限大の問題を研究していたのだが、アメリカ政府にマンハッタン計画の責任者に指名され、類い稀なリーダーシップを発揮し、原爆を完成させることになる。
たが、太平洋戦争後、2度の原爆使用の凄惨さを目の当たりにし、こうした軍事研究からは距離を置き、更に、アメリカ政府の水爆研究に強く反対したことから、政府や軍事研究者から疎んじられ、公職からも追放され、自身や家族が共産思想に傾倒していたことも理由に、晩年はFBIの監視下に置かれるなど、不自由な生活を強いられた。

朝永振一郎は、日本人2人目となったノーベル賞受賞者で、物理学者だが、その業績を知らしめたのは、オッペンハイマーが取り組んで解決に至らなかった無限大の問題を解決していたことだった。
それも、戦時中の、ものも何もかも少ない、荒廃した状況であったにもかかわらずだ。
オッペンハイマーは、朝永振一郎から、戦争で発表の場を失われていたのだが、これを自分は解決していたとの手紙を受け取り、驚き、そして、朝永振一郎の業績発表の場づくりに、その後は尽力することになる。

オッペンハイマーは、若くして癌で他界し、もう少し長生きしていれば、ノーベル賞を受賞していただろうと言われるほどの業績の大きい物理学者だったが、代わりにというわけではないが、朝永振一郎がノーベル賞を受賞する。

朝永振一郎は、戦争よりだいぶ前に卒業しているが、京都大学の学生だった。

科学や技術の発展が、人類にとって取り返しのつかない結果に繋がることは少なくない。

核兵器はそうだし、ガス化学兵器も同様だ。
世界中がインターネットで繋がり、ハッキングもサイバー攻撃も拡大した。
AI搭載のドローンが、兵器を積んで、躊躇なく殺戮をしないとも言えない。

科学の発展は、人類の進歩に貢献するが、一歩間違えば、とんでもないことになりかねないのだ。

科学者は往々にして純粋だ。だが、それは、探究心に歯止めが掛からなくなる要因でもあるように思う。

修が、京都大学から程近い相国寺の天龍図を眺めていた時、何を考えていただろうか。
実験が成功するイメージだったのだろう。
龍の眼は睨め付けるようでもあったが、人はそう簡単には気がつかないのだ。

修が、比叡山から京都に”原子核爆弾”が落ち、爆発する様を観察したいという探究心に対し、フミが、言い放つひとりの人間、母親としての言葉は物凄く重い。

オッペンハイマーが、類い稀な才能とリーダーシップと、探究心と、成功と、取り返しのつかない結果と、後悔と、強い意志と、悲劇と、驚きと、献身をもって、どんな気持ちで過ごしたのだろうか、ずっと考えている。

世界から争い事はきっとなくならない。

だが、悲劇を最小限にするために、僕達は想像力を最大限に駆使して、生きなくてはならないのだと強くて思う。

ワンコ