「私の断捨離」ハッピー・オールド・イヤー シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
私の断捨離
最近邦画しか観ていないので、海外作で面白そうな作品はないかと探し本作を見つけ、予告を観るとテーマにも惹かれたので早速観に行きました。
作中ではミニマルスタイルという表現をしていましたが、作中にも出てきた日本人が広めた断捨離をテーマとした内容で、今回のレビューは映画の感想というより、本作を観て色々と考えさせられた、私の断捨離感についての話をして行きたいと思いますので、興味の無い方はスルーして下さい。
本作の主人公はデザイナーの勉強を海外でして、本国の自分の実家をリフォームして職場(事務所)として使いたいということでまず家のモノを全て捨てるという作業を行うのだが、まず母親と兄という家族がいて家を出た父親の残したモノまであるが、恐らくタイでは中流以上の家庭でモノが溢れている状態で、この映画で扱っているモノは主人公のモノと今はいない父親のモノの扱いを軸に物語が動いていく。
で、映画ポスターの中に書かれている文章が3つある。
①あなたの捨てられないもの、なんですか?
②借りたまま返していないもの、ありますか?
③ひとの気持ちは、簡単に仕分けられません
まず、この主人公の性格にかなり問題があり、年齢の割に(恐らく30歳前後の設定)モノを持ち過ぎているし、その自分の持ち物を全く整理(大切なモノとどうでもよいモノ)していない。そして人から借りたもモノ(貰ったモノ)も多過ぎるし、それも十把一絡げにして扱っている。
こういう人って、かなりズボラで大雑把な性格と思えるのに感性を必要とする繊細な仕事を目指している矛盾を感じた。
ここから、ちょっと私の個人的な話になりますが、私はかなりの几帳面で整理魔で綺麗好きな性格ですが、モノが捨てられない性格でもあり、家の中はモノが溢れています。なので、所謂ゴミ屋敷的ではありませんが、モノを手放せないあの人達の気持ちが分からなくもないという感じです。なのでこの主人公とは真逆のタイプなのかもしません。
この主人公(当初は)逡巡なく簡単にモノは切り捨てられる性格だけど、モノには人間の気持ちが宿る事の意味を知り、モノを簡単に切り捨てる事は、そのまま人間も簡単に切り捨てている事に気づくという物語構成になっている。
そこで、私も自分自身のことを振り返ると、私はモノは大切にしてはいるけど、人間関係を考えるとかなりクールに切り捨ててきた様に思えてなりません。仕事をけっこう転々と変えたことも関係しているのかも知れませんが、今となっては仕事関係で今も付き合いのある人は全くいませんし、学生時代の関係も続いている人もいません。
なので今の人間関係は、今現在で関わりのある人だけに限られ、それも何時まで継続できるのかの予想も全くつかないというのが実態で、私はモノに対する断捨離は出来なくても、人間関係の断捨離はしっかりと出来ているのだなという結論になってしまいました。
これって、どうなんでしょうね。しかし、これが他者から見た私そのものなのでしょう。
この映画から気付かされたことは、私は③の逆でモノは簡単に仕分けられず、人は簡単に仕分けてしまっている人間だということなのでしょうね。
仏教の根本教理といわれる“色即是空”という言葉が般若心経の中にあり、ウィキペディアで引用すると、
「色(ルーパ)は、宇宙に存在するすべての形ある物質や現象を意味し、空(シューニャ)は、恒常な実体がないという意味。
すなわち、目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)。
仏教の根本的考えは因果性(縁起)であり、その原因(因果)が失われれば、たちまち現象(色)は消え去る。」
とあり、自分の気持ちを変えることが出来れば、色(モノや人間関係)も実存するという事であり、この作品の主人公だけではなく、どんな性格の人間に於いても、このテーマは人生の中の難問中の難問なのかも知れませんね。
追記.
全く関係ない話だけど、主演女優チュティモン・ジョンジャルーンスックジン(長すぎて覚えられない)って若い頃の田中裕子にしか見えないのだけど…