「ドラマチックな要素を排す」劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き あるがままに、水と大地のネコ家族 ぽったさんの映画レビュー(感想・評価)
ドラマチックな要素を排す
心やさしいおじさんである。イワゴーさんは。本人の語りから伝わってくる。
ネコの動きにあわせてカメラも動くが台車に乗って一人で撮ったのか?どうやって?
よくこの瞬間を撮れたな、という場面がいくつかある。ミャンマーで池ポチャしたところとか、同じ柄の牛と仲良くしているところとか。こういう「見せ場」がなければ映画にはしにくい。
飼いネコは1日の9割は寝ており、野良ネコはもっと起きていると思うが、絵になる活動時間が短いネコという種族を撮影するのは大変だ。それに人間の俳優なら何度もやり直しができるが、ネコにやり直しはない。無理にやると「仔猫物語」のように途中で似た個体に差し替えられたり、なめ猫のように醜悪なものになったりする。
喧嘩のシーンは無音で静止画の連続で表現されている。喧嘩は、日頃のんびりしているネコどもが一挙に過活動状態になる絵的に華になる瞬間であるが、この瞬間に遭遇したとき手持ちがカメラしかなかったのかと思ったが、そうではなく、これは多分ビデオだと生々しく刺激が強いから、静止画にしたのだろう。
人間の家族が池の水で顔を洗っていたのは驚いた。水上の住まいなのでツカ柱?が長い。土の上に住めない人たちなのか。そういう人間のドキュメンタリー的な要素は少ないが、人とネコが一緒に寝ている場面には顔が綻ぶ。
北海道の牧場編は、人間との関わりをもう少し入れたほうが物語化しやすく、観客も見やすいものとなる。だが、あえてそうしないと決めたのだろう。ナレーションも感想を短く入れるだけで状況の説明には深入りしない。例えば、足を怪我していてもなぜ怪我をしたのかは説明しない。推測もしない。そういうものとして淡々と受け入れる。わかりやすく安易な物語にすることを拒否したのは潔い。ミャンマー編は日本とはかなり生活が違うので説明的な映像が少し入るが、牧場の暮らしは想像がつくので、人間の生活の説明は不要だ。牧場の人にインタビューすることもしない。人の顔すら殆ど映さず、人はネコにとって環境にすぎないものとして扱われる。
ネコの生活を擬人化して語ってはいるが、根本のところで人間とは違う生き物とみなし、突き放してみている。やさしいが芯がある。
撮影される方は、このおじさんはネコなんか追い回してどういう人なのかと思ったのではないか。
星の点数とかそういうことは関係のない映画である。