ヒトラーに盗られたうさぎのレビュー・感想・評価
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たくさんの「さようなら」
ジュディス・カーの『おちゃのじかんにきたとら』は大好きな絵本です。親から与えられたのでなく、自分が親になって息子に買ったもの。といっても、絵本に疎いので、子どもの年齢に合わせて毎月絵本を送ってくれる長崎県の素晴らしい本屋さん「童話館」のサービスを使った。毎月送られてくる絵本は日本のもの、外国のもの、絵もお話も美しくて面白くてちょっと怖いのもあって、一番楽しみにしていたのは私だった。 だから、この映画を見た。こんな子ども時代を過ごした人だったのか。 お腹をすかせたとらが突然お家に来て、そんなとらに何でも食べさせて飲ませてあげるママと娘。パパがあの「帽子」かぶって帰宅。でもとらが全部たいらげたから、夕食もつくれません。何にもないならレストランに行きましょう、とパパ。いつとらが来てもいいように準備しておくママと娘。でもとらはもう来なかった。一番最後のページはとらが沢山の「さようなら」を言ってる絵。その意味が、この映画のおかげでよくわかりました💧 ユダヤの人々と子どもたちの逞しさと前向き志向、教育に重きを置く生き方が目の前に本当に繰り広げられた。ラテン語が勉強できる学校に行くこと、年号だけ覚えるのは歴史の勉強じゃないよ、パパもそこでナポレオンについての本を読み直す、どんな絵でもいいよ。そして豊かな文化ー音楽と演劇と絵画と文学ーに溢れていた20年代のベルリン。トーマス・マンのサイン本まであるなんて、アンナの父親の一生も知りたくなった。 それにしてもスイスドイツ語はすごかったw。アンナの挨拶が標準ドイツ語なのに笑われて!連邦レベルでの女性の参政権が認められたのが1971年である国=スイス。当時、共学でも男女別々に遊んで、歩く場所も異なってたってわかる気がする、というか、活発で賢い、都会っ子のアンナがどんなに戸惑ったか! 行った先々の最初の食事がチーズというのも笑えた!スイスもフランスもチーズが美味しい国なのに。でもエスカルゴさえ食べられるようになって逞しくなっていくのが(マックスえらい!この子は頭がいい!)移民や亡命者なんだと思った。 カロリーネ・リンク監督は、子どもと親の関係を描くのがすごく上手い。特に、娘と父親に焦点をあてたら右に出る人いないと思った。この映画、そして「ビヨンド・ザ・サイレンス」。 追記 子どもを育てることで、自分のこれまでをなぞることができた。子育てで自分の子ども時代をもう一回体験できたことを、この映画でなぜか思い出した。
悲壮感のないヒトラー映画。
祖国ドイツから避難するユダヤ人一家の自伝みたいだけど悲壮感は一切なし。逃亡先のスイスでもフランスでも極貧にはなるがこれなら恵まれた生活だったのではないか。情勢を早く判断するとこんなにも流れがかわるのかと…。前向きなラストも良かった。
ある家族
鑑賞前は、少女の眼を通して悲惨な戦争を描いた作品かと思いきや、全く肩透かしをくらった内容だった。これといって危険な目や戦争そのものを描いてはおらず、ましてやナチスさえ出てこない。ちょっと面食らってしまった。あまりにもストーリーが平和過ぎて。かと言って、それ程、退屈せずに済んだのは脚本が良かったからかな?流浪の民といった言葉がピッタリ当てはまる、ある家族を描いた作品でした。
とってもいい映画でした・・・
詩的で、美しくて 家族が温かくて。 逆境のなかでも。 お父さんも女の子も、お兄ちゃんもお母さんも 叔父さんも、友達も みんな素敵でした。 ドイツのぬいぐるみってね、 本当に素敵なんですよね。 昔他の子が持ってたドイツ製のくまのぬいぐるみが どうしても欲しくて 輸入してまで取り寄せてもらった幼い頃のことを思い出しました。 友達におすすめしたい作品です。
子供達の折れない心
ナチスドイツのユダヤ人弾圧をテーマにした物語は数多くあるが、こういった形の受難もあったのだと知らされる。 1933年、ユダヤ人で反ナチス派のケンパー一家は、次の選挙でのナチスの台頭を恐れ、いち早く国外脱出を企てる。幼いアンナに持っていく事の許されたぬいぐるみはひとつだけ。後から送ってあげますよ、と、乳母の宥める言葉を信じて、残りを置いて旅立つアンナだが、やがて逃亡先のスイスで、家財は没収され、父には賞金がかけられたと知る。ドイツに帰れるあてもなく、フランスへ、イギリスへと、長引く亡命。私の友達のうさぎは、ナチスの倉庫で大事にしてもらえているかしら? 子供の欺瞞のない視線は、戦争や差別の不条理に率直な疑問を投げ掛け、忍び寄る悪意と疑念に怯える。 本格的な弾圧が始まる前にドイツを離れた家族を追う物語に、他のナチスもの程の直接的な残虐表現はないが、国内に残った叔父からの便りが、じわじわと不穏さを増し、絶望に追いやられていく、ユダヤ人達の苦難を思い巡らさせる。 ましてや私達は歴史を知っている。 国家間の関係悪化を警戒したヨーロッパ各国はあらかた、ナチスの弾圧を初め黙認し、逃亡者が増え始めると、移民問題から入国を拒んだ。キリスト教圏であるヨーロッパでは、ユダヤ教に対する嫌悪や差別も強かった。ユダヤ人達の多くは、収容所移送を免れても、行き場なく彷徨う他なかったのである。 パリはやがてドイツに陥落し、ロンドンは空襲で焼け野原となる。それらを思い起こすと、観客の私達は、ケンパー家族や街の人々の行く末を、祈るように案じざるを得ない。 しかし、本国で築いた地位や収入とのギャップに苦しみ、プライドや慣習に振り回される両親を追い越して、子供達はそのしなやかな若い心と頭脳で、苦難の中を逞しく生きていく。ようやく慣れた居場所を捨てて、一からやり直さないとならないとしても、次の国のチーズの奇妙な味に思いを馳せ、言葉もすぐに覚えるわ、と言い放つ。そして家族は、手を取り合って、終わりのない旅路を進んでいく。 今、時は正に変革の時代。変わる事に二の足を踏み、戸惑うばかりの我々大人は、その柔軟さと勇気を少しばかり分けてもらって、立ち向かう為の心の灯火としたいものだ。
心温まるファミリー映画
背景が迫害なファミリー映画 大体にこにこみれます 主人公が子供でただただ健気に頑張るんだけど糸が切れるとかウワーってなる瞬間があって、その理由と描写がめちゃめちゃ悲しい 自分は犬が忘れられそうにない
アンナが手に入れたものとは?
ドイツ、スイス、パリ、ロンドン が舞台。スイスの広大な山々の景色はため息が出るほど美しかった。 私からすれば憧れの土地を転々とするアンナ。 しかしアンナの引越しはワケが違う。家族と共に言語の異なる地で逞しく、明るく、強く生き抜く。 そんなアンナがヒトラーに盗まれたものはウサギだけではない。家政婦のパインピーだって、ユリウスだって…。だけど、アンナが手に入れたものは?盗まれたものよりも大きいはず。 本作で再認識したことだが、子どもの柔軟性と吸収力は目を見張るものがある。 そして私がもう1人注目したのは、アンナの母、ドロテア。 ドイツにいた頃はお手伝いさんを雇い、夫人として何不自由なく暮らしていた。彼女が子どもを2人連れてスイスに入国するシーンや、パリでの貧乏生活にも屈することなく家族を支えるシーンからは、環境の変化により柔軟に変化し、強く、逞しく、美しく、しなやかに生きる彼女の姿には、勇気をもらえる。 プロレビュアーが書かれているように、withコロナの激動の時代に相応しい、前向きになれる良作ではないだろうか。
うーむ、なんだろ?響かない
絵本未読、モデルの作家さん情報皆無で鑑賞。 ユダヤ弾圧始まる前に亡命した家族の道程を 描いた映画。 それだけなんだよなぁ、残念ながら。 それ以外を受け取ることができませんでした、本作品からは。 うさぎはなんの象徴にも使われるわけではないし、 裕福に過ごしていた家族が、困窮の中でも家族愛を 失わず、心の豊かさを失うことなく、前向きに 生き切りました! ってだけなんだな。真面目に。 俳優陣良かったけど、卑屈な僕には裕福に過ごしてた 家族の生活レベルが落ちていくたびに、状況を理解 しようとしない子供達の我儘が目に余ったり、 結局、裕福だからそれできたんでしょ? みたいな目線で見てしまう。 ドイツから出たくても出られなかったユダヤ人達の 苦労、これから味わうであろう苦難を考えると、 「は?」 な感じなんです。 もちろん、本作品は何らかの苦労アピール話では ないとは思うけど、なんかなー、作家さんの思い出話 ムービーの域を越えてないって思いました。 なんだかなー。
最後には善が勝つ
新聞ラジオでヒトラーの批判をしてきた父をもつ9歳の少女アンナ。選挙でヒトラーが勝ちそうになり、身の危険を案じた家族はスイス、パリ、そしてイギリスへと亡命を繰り返すことに…。 9歳でありながら、やけにませた物言いと振る舞いをみせるアンナ。 亡命先での言葉の不自由や友達との関係に悩まされるも、その性格が幸いしてか、亡命先でもそれなりにやっていけているようだが。。 亡命によるいくつかの別れのシーンが魅力的。 トラブルがありつつも仲良くなった友達。好きだからこそ意地悪してしまう小学生らしい姿。 子供の別れの理由が戦争というのがなんともやるせない。 側転をしてみせる親友。そして最後、こころなしか少し大人びた表情でアンナを見送る「おバカさん」。 哀しくも、確かに彼らを強くさせる別れの経験。 そして何より、家族4人がとても素敵。 まずはお父さん。こんな状況で、子供たちだけでなく、ちゃんと妻にも…そりゃ惚れ直すわ! さらに、母と喧嘩した息子を、なけなしのお金で喜ばせる。 だからこそ、あの家から帰ってきた時の3人を許せなかったのでしょうね。強さと健気さが備わっている感じが◎ そして、ああは言っても、電球の方が大事ということをちゃんと理解している息子にもグッとさせられる。ちゃんと妹も可愛がるし。 何というか、本当にこの家族ならどんな状況になってもやっていけると思えたのが良かった。 風船、届くと良いなぁ。 この作品は実話を基に作られているとのこと。 本当にこんなに大変な思いをした家族は何人もいたんだろうな。。 それでいて、ちょくちょく笑わせてくるポイントがあるというのも本作品の良い所。 欲を言えば、アンナの作文最後まで聞きたかったなぁ。 ユリウスおじさんも魅力的だった。幼きアンナを案じて相手してくれていた所。 分かっていても、吹いてあげれば良かったとアンナは思っただろうか。 彼がアンナに言ったように、最後には善が勝つ。 まさに今後の世界においても、どうかそうであってほしいと切に願います。
大変過ぎ!
亡命してヨーロッパを逃げるのはどんなに大変だったのだろうという思いと今コロナで海外行けないので旅行いきたいなぁと全然関係ないことを思ってしまった。。 前向きに生きることの素晴らしさを知る。
もう悲しい絵は描かない
おじさんの懐中時計を受け取ったアンナが静かに嗚咽するシーンが印象に残る。本作品で一番のシーンだ。主人公アンナ・ケンパーを演じたリーバ・クリマロフスキという名前を覚えておきたい。順調にいけば演技派の女優になれると思う。 映画にはナチスもドイツ軍も登場しないが、強大な権力が個人を追い詰めようとするそこはかとない恐怖感がじわじわと感じられる。行く先々で家族を迎える人々は様々で、スイスではおおらかで親切な大家さんがいて、フランスではケチで差別主義者の管理人や、アンナを平等に扱うフランス語(国語)の教師がいた。住んでいる場所はというと、広大で美しい自然に囲まれたスイスから、人と自動車がひっきりなしに行き交うゴミゴミしたパリの街に変わる。自由で寛容な両親に育てられた賢いアンナは、いい人からも悪い人からも、自然からも都会からも人生を学ぶ。 フランスに移った当初、アンナは言葉がわからないから何もわからないと言う。その通りだ。言葉が違えば、文化も風習も人間関係も、全部違ってくる。外国生れで日本語ができない日本人よりも、日本生まれで日本語が母国語の外国人のほうが日本社会に受け入れられやすい。言葉は文化そのものだ。アンナは言葉を覚えることで文化を学び、世界を学ぶ。 いよいよパリを出発する朝の、管理人のおばちゃんと父の会話のシーンがいい。何を話しているのかアンナからは聞こえないが、父にひと言も言い返すことが出来ず、タバコを投げ捨てて不貞腐れたような顔で扉を締めるおばちゃんの様子から、おばちゃんから受けた数々の非礼に対して、父が丁寧にそしてアイロニカルにお礼を言ったのだろうと想像できる。アンナはそれ以上聞かなかった。 ユダヤ人に故郷はない。あちこちに故郷があると思えばいいと父は言う。人間はもともとボヘミアンだ。今いる場所、それが自分の居場所なのだ。悠久の時間のことを考えれば、人間なんてほんのいっときだけの間借り人に過ぎない。パラパラとめくるマンガのように、人は移動し、時代は移り変わる。アンナは空間を移動し時間を超えてきた。人生はさよならの連続である。 さて次はイギリスだ。フランス語で苦労したアンナは、今度は英語で苦労することになる。「でも大丈夫!」とアンナは言う。ユダヤ人は迫害される。ましてや父親は反体制の批評家だ。パリの管理人から毎日のように嫌味を言われたり、幼いながらアンナにも亡命の苦労があったのだ。しかし、おかげでピンチを凌げる自信がついた。英語なんか楽勝だ。 10歳になったアンナは他の10歳よりもずっと大人である。人生にはいいときも悪いときもある。人間の想像力は時空間を自由に行き来できる。作文も書けるし絵も描ける。しかしこれからは、もう悲しい絵は描かない。
ドイツに生まれたユダヤ人絵本作家の自伝
ナチスドイツによるユダヤ人迫害を経験したユダヤ人絵本作家 幼少時の子供目線により静々と描かれる物語、 映像素晴らしく、 家族の絆、 母は強し、 チーズ食いたい。 けど靴下臭いのはちょっと(^-^;
【安住の地は遠く】
ジュディス・カーの家族は、さまざまな意味で幸運だったと思う。 父が最初に向かったチェコも、スイスから家族が移り住んだフランスも、その後、ナチスの占領下に置かれたからだ。 ナチスによるユダヤ人の拘束、収容所送致はナチスが占領したヨーロッパ中に及び、数百万のユダヤ人が虐殺された。 ただ、ユダヤ人に対する偏見や差別は、何もナチスだけに限ったことではない。 この映画でも、ユダヤ人に対する偏見は、大小、そこかしこに描かれているし、欧州中にユダヤ人が広く住んでいたことが窺える。 特に、拠り所の少ないユダヤ人が、如何に教育を大切にしていたのか、フランスのアパートの隣人の嫌味からも知ることができる。 フランスで1890年代に起きたユダヤ人ドレフェスへのスパイ容疑は、偏見や差別に基づくもので、ドレフェス事件として歴史に記憶されているが、これを取材したテオドール・ヘルツルは、この差別に驚愕し、シオニズムを提唱、第二次世界大戦後にイスラエルが建国されるきっかけとなった。 ただ、ジュディスの父が、フランスの授業で、年代と出来事の暗唱させる試みを蔑むように話す場面は、フランスが、絶対王政から何度か繰り返された革命と国内の分断を若者の記憶に止めようとする教育の試みを批判するようで、どっちもどっちというところはあったように思える。 現在、トランプの大統領選敗退で勢いはやや削がれるのではないかと思われるが、アメリカの白人至上主義や、民族主義を背景にしたイギリス、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、オーストラリアなどのポピュリズムは、ファシズムを想起させるし、日本のネット右翼も同様だ。 フランスの思想家で経済学者のジャック・アタリは、差別は思想ではなくて、特徴に過ぎないと言っていたが、まさに、その通りで、やはり、こうしたことを理解する能力を培う教育は重要だと思う。 そういう意味で、幾度となく偏見や差別を乗り越えて来た、ユダヤ人の決意に似た教育を大切にする姿勢は、普遍的なのだと考えた。
”大好きなものたち”と”無邪気な子供時代”に「さようなら」
ジュディス・カーという絵本作家のことは知らず、本作の事は新聞の紹介記事で知り、観たいと思いました。とても美しい映画です。 1933年のベルリン、ユダヤ人の9歳のアンナの父は演劇評論家でヒトラー批判をしていた為、次の選挙でヒトラーが当選する前に一家は亡命を決めます。兄とアンナが許された持ち物は本2冊とおもちゃ1つだけ。アンナはいつも一緒にいてくれたボロボロのうさぎと新しい犬のぬいぐるみのどちらにするか真剣に悩みます。そして家や家具たちに「さようなら」を言います。可愛がってくれたお手伝いさんや小父さんにも別れを告げました。 一家は助け合って暮らしますが、生活は安定せず、数か国を転々とします。子供たちはその度に新しい習慣や言葉を一から覚えなければならず、お友達ともお別れです。父親は、「新しい事を覚えられる」と励まします。 伝え聞く祖国の状況は悪化の一途で、アンナはうさぎを置いてきた事を後悔します。兄は、「新しい犬だっていいじゃないか。古いうさぎは卒業しろ」と言います。ピンクのうさぎは、無邪気で幸福だった少女時代のアンナです。アンナは、うさぎと大好きな人たちを忘れませんでした。でも、新しい生活も怖くありません。だって、今はまだ知らなくても、私は覚えられるんだから。 最初は子供らしくわがままを言ったりしたアンナが事情を呑み込んでくると次第にわがままを言わなくなる姿は心が痛みますが、悲惨な映画ではありません。子供の感性と前向きな姿勢が素晴らしいです。
チョビ髭と、ソフトハットは可愛すぎ
1933年2月ベルリンで暮らすユダヤ人の4人家族が、ヒトラーが選挙で勝利し、弾圧が始まることを予見して、スイスへ亡命する話。 劇作家にして批評家の父親にある日電話がかかってきたのを機に、父親は急遽プラハへ旅立ち、それを追ってスイスで合流すると母親に言われ亡命生活が始まって行く。 4人家族の9歳の娘アンナがメインに描かれており、持っていって良い荷物は本2冊とオモチャ1つだけ。 泣く泣く追いて来たうさぎのぬいぐるみがヒトラーに盗られたってヤツですね。 文化の違い言葉の違いはもとより、スイス、フランスでは良い仕事がみつからない父親の影響で貧しい暮らしを強いられるけれど、流石子供の順応性は素晴らしい。 時には不満が爆発することはあるもの、不遇な環境と時代背景にありながら、仲良く生きる家族の絆と愛情がひしひしと感じられ、とても温かく面白かった。
ソフトなナチスによるユダヤ人迫害物語。
迫害にソフトもなにもないが。残虐なシーンがないので、G指定だったけど、言葉で語られる行為は残酷であった。 うまく逃げおおせたユダヤ人家族の家族愛?家族の絆?を通してナチスのユダヤ人迫害が描かれていた。
しなやかに逞しく生き抜く姿が印象的
ヒトラーの台頭により、亡命を余儀なくされる家族。ベルリンにはいつ帰れるのか、帰ることはできるのか。言葉や慣習の違い、そして友だち。過酷な生活の中で、少女はたくさんの「さようなら」を重ねる。しなやかに逞しく生きる姿は印象的。 子どもが子どもらしく、子どものときを過ごすことを奪う時代。そのままを肯定し、包み込んでくれる父。子どもたちと一人の人間として接し、会話をする。とても印象的な光景。 どこに行ったって、またチーズから始めればいい。 家族がいる場所、そこがきっと「我が家」になるのだろうと感じた。 ジュディス・カーの絵本、改めて読み直したいな。
トラを迎えた家族の本当の強さ
絵画にしても文学にしても、受け止める側が自由に解釈して良いと思っています。 でも、時代背景や作者の境遇を知ることで、更に理解が深まる事も確か。 この映画を観たことで、絵本『おちゃのじかんにきたとら』のラストに秘められた、しなやかな強さを感じることができました。 子供は大人が思うほど幼くはない。 大人の気持ちを考えて言葉を飲みこんだり、大人の喜ぶよう騙されているフリをしたり。 世の中の曲がったしがらみが無いぶん、むしろ物事の本質を見抜いていたりする。 帰る家の無い者にとっては、家族が居場所である事を誰よりも理解していて、 思いの詰まった場所に別れを告げてまわるアンナの姿がいじらしいです。 いつかは帰れると指折り数えていたアンナが過去を捨てるシーンは、急いで大人にならざるを得ない瞬間を垣間見た気がしました。 そんなアンナの逃亡生活ですが、アンナだけではなく家族一人一人のプライドや信念、価値観の変化が描かれていました。 家族は亡命した先々で、“食べ物”“言葉”“しきたり(男尊女卑含む)”など、異なる文化に出会います。 現代の日本では、比較的いろんな国の食べ物を口にする機会があるで、いろんな種類のチーズにも免疫があるし、スイスのチーズなんてたまらなく美味しそうに見えますが(*゚▽゚*) 確かに慣れていないと臭いを先に感じて美味しいとは思えないかも? 食べ慣れない人に納豆を出すようなもの?? あと、ドイツのユダヤ人は、クリスマスをお祝いすると知って驚きました。 てっきりドイツの中のユダヤ人は、ゴリゴリ宗教色を前面に出して、キッパリ文化が分かれているのかと思っていたので。 「ユダヤ人を母とする者、またはユダヤ教徒」を“ユダヤ人”と定義するらしいのですが…私なんかだと、その国で生まれて、その国の食べ物を食べて、その国の言葉を話し、その国のしきたりに合わせた生活をしていれば、その国の人だと言えるのではなかろうか?なんて、つい軽々しく思ってしまいますけど…日本なんて無節操にいろんな宗教のイベントで盛り上がってますしね。(^◇^;) でも、双方にとって「ドイツ人のユダヤ教信者」が存在しないところに、歴史の根深さを感じました。 文化の違いを受け入れることで、自らが変わっていけることに気づき、自信をつけた家族は、新天地に“不安”ではなく“希望”を見出します。 亡命の時、母国に後悔を残せば「逃げ」だけれど、異なる国の文化を受け入れる心があれば、逃げではなく「チャレンジ」になる。 努力して積み上げてきたモノを捨て去る強さと、未知の世界を楽しめる強さ… ある日、お茶の時間に礼儀正しい虎がやってきて、自分達の食べ物を全て差し出すことになっても なくした物をいつまでも嘆いたり、取り戻す為に戦うのではなく、発想を転換してレストランへ向かおう♪ 行ったことがないレストランでは何が待っているかわからないけれども、違いを受け入れる気持ちがあれば、特別な冒険になる。 そして。映画の中で、父親が見下していた家庭のお茶の時間におよばれするシーンでも『おちゃのじかんにきたとら』が頭をよぎりました。 さすがにアンナ達はご馳走を全て食べきりはしないものの、物語の中で虎を単純に悪者として描いていないところに、誰しもがいろんな立場になる事があるのを知っている、作者の視線の深さを感じました。 追記:『帰ってきたヒトラー』でヒトラーを演じたオリバー・マスッチが、ヒトラーから逃亡する役なのも面白いです。(^-^)
シネスイッチ銀座のストライク!
10歳の少女アンナ役の、あまりに達者な演技力に脱帽。彼女を発見するだけで、この作品を観る価値がある。公開劇場のシネスイッチ銀座にとっては、ど真ん中のストレート作品。スイッチを愛する観客は大喜びの逸品だろう。 昨年逝去した絵本作家の幼き頃の実話。
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