「もう悲しい絵は描かない」ヒトラーに盗られたうさぎ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
もう悲しい絵は描かない
おじさんの懐中時計を受け取ったアンナが静かに嗚咽するシーンが印象に残る。本作品で一番のシーンだ。主人公アンナ・ケンパーを演じたリーバ・クリマロフスキという名前を覚えておきたい。順調にいけば演技派の女優になれると思う。
映画にはナチスもドイツ軍も登場しないが、強大な権力が個人を追い詰めようとするそこはかとない恐怖感がじわじわと感じられる。行く先々で家族を迎える人々は様々で、スイスではおおらかで親切な大家さんがいて、フランスではケチで差別主義者の管理人や、アンナを平等に扱うフランス語(国語)の教師がいた。住んでいる場所はというと、広大で美しい自然に囲まれたスイスから、人と自動車がひっきりなしに行き交うゴミゴミしたパリの街に変わる。自由で寛容な両親に育てられた賢いアンナは、いい人からも悪い人からも、自然からも都会からも人生を学ぶ。
フランスに移った当初、アンナは言葉がわからないから何もわからないと言う。その通りだ。言葉が違えば、文化も風習も人間関係も、全部違ってくる。外国生れで日本語ができない日本人よりも、日本生まれで日本語が母国語の外国人のほうが日本社会に受け入れられやすい。言葉は文化そのものだ。アンナは言葉を覚えることで文化を学び、世界を学ぶ。
いよいよパリを出発する朝の、管理人のおばちゃんと父の会話のシーンがいい。何を話しているのかアンナからは聞こえないが、父にひと言も言い返すことが出来ず、タバコを投げ捨てて不貞腐れたような顔で扉を締めるおばちゃんの様子から、おばちゃんから受けた数々の非礼に対して、父が丁寧にそしてアイロニカルにお礼を言ったのだろうと想像できる。アンナはそれ以上聞かなかった。
ユダヤ人に故郷はない。あちこちに故郷があると思えばいいと父は言う。人間はもともとボヘミアンだ。今いる場所、それが自分の居場所なのだ。悠久の時間のことを考えれば、人間なんてほんのいっときだけの間借り人に過ぎない。パラパラとめくるマンガのように、人は移動し、時代は移り変わる。アンナは空間を移動し時間を超えてきた。人生はさよならの連続である。
さて次はイギリスだ。フランス語で苦労したアンナは、今度は英語で苦労することになる。「でも大丈夫!」とアンナは言う。ユダヤ人は迫害される。ましてや父親は反体制の批評家だ。パリの管理人から毎日のように嫌味を言われたり、幼いながらアンナにも亡命の苦労があったのだ。しかし、おかげでピンチを凌げる自信がついた。英語なんか楽勝だ。
10歳になったアンナは他の10歳よりもずっと大人である。人生にはいいときも悪いときもある。人間の想像力は時空間を自由に行き来できる。作文も書けるし絵も描ける。しかしこれからは、もう悲しい絵は描かない。