水俣曼荼羅のレビュー・感想・評価
全2件を表示
残念ながら、国が起こした事件を過去の話にしてしまっている。
水俣病は終わっていない。
当該民間会社の愚行や、当該行政の怠慢や、国家の犯罪を訴え、戦う事は今後も続けて行かねば駄目だ。だが、それでも、水俣病は終わらない。なぜなら、行政や民間会社だけの問題ではないからだ。
兎に角、国家に対して『立法』と『司法』で、さらに『深く訴えるべき』だからだ。
さて、この時、謝罪する環境大臣が誰であるか?それが分かると、この時の謝罪が形だけで『眉唾』と分かる。と同時にこう言った運動が『立法に反映されていない』証拠だと思う。
豊洲の地下から毒物が出て来た話は『ほつれた』のか?あれは『六価クロム』と言う物で、発癌物質である。
また、
その後も色々な公害等が絶滅危惧種大和民族を襲っている。
その問題と、これから起こるかもしれない事件(災害)から国民を守る手立てはできているのだろうか?
水俣病は終わっていないと言いながら、この映画を作った制作者側は過去の出来事として、事件を描いている。
同じ有機水銀で新たな事件がおこる可能性は大変に低い。でも、九州◯力の川内で災害が起きて、別の事件(災害)が起き、新たな公害が起こる可能性は大変に高い。
映画製作者や鑑賞者は、対岸の火事位にしか思っていないし、思えない。
追記
ブラックなジョークを一つだけ、水俣病を終わらせるには立法しかない。
その為にはPLA◯75 を成立させる事だね。勿論、国にとってはダヨ。だから、国民にとって『PLA◯75?』となる。
ジョークだよジョーク。
反対意見を持つ人は、『詐病』扱いと『既得権益』を主張するだろうが、納得出来る反対の意見を聞きたいね。この映画に登場する人達は、ほとんど同じ意見の人ばかり。
B型肝炎訴訟とかも簡単には勝てないよ。僕の世代は結構多い。そうであっても国は簡単には補償はしてくれない。訴訟すれば、煩わしいだけ。
原監督による解説と新しい学び
事後講演で監督の原氏が、観処や苦心の経緯を語られた。第1部はいきなり勝訴場面から始まり、その根拠を解き明かしていく。原氏自身、脳の標本が保存されている様子や、専門医の浴野氏がどのように包装し、運んでいかれたのかをみてショッキングだったという。第2部では、患者の生駒氏と関係づくりの末、反応を窺いながら、結婚初夜の心境を語ってもらったところは、賛否あるけれども、あえて踏み込んだという。第3部では、やはり患者の坂本氏の恋愛遍歴について、2年かけて描き方を考え、本人作詞曲の発表舞台の感想インタビューで意外な反応があったところから、関係男性を増やしていったという。マスコミの取材側も、あえて美男男性を送り込むという。タブー視されがちな性の問題発言をあえて入れた箇所として、報告集会での医師の二宮氏の酒や涙混じりでの発言も挙げられた。課題として、患者代表で天皇夫妻と面談した男性の意識の問題を考えたという。また、坂本氏が自立を望み、原氏自身も脳性まひ者の運動を取材した作品をつくっているので可能だと思うが、母親の負い目や支援者たちが手離さない問題があるという。完成後、地元で上映会を開催し、続編を期待されたが、本作のために長い年月を費やしており、「エイリアン」でも、続編は何十倍か面白くしないと成功しないので、簡単ではない、人生に深い影響を受けたと思った作品は3回観てほしいという。
第1部で展開された水俣病原因説のコペルニクス的転換は、わかり易く、NHK スペシャルで普及してほしいくらいである。特に詐病を疑われる未認定患者にとっての福音であったようだ。でも功績者の医師の浴野氏への評価は十分に報われていないようである。脳解剖の許諾を遺族から取り消されたり、原氏とも関係づくりのできたはずの生駒氏から、検査取材を拒否されるという問題を残していた。相変わらず企業城下町で、市民との利害関係が対立し、県知事さえ抑圧が続くという関係は、沖縄米軍基地問題よりたちが悪いかもしれない。ハンセン病とはまひの系統だけでなく、政治的決着の行方さえ異なってしまった。文化庁の助成は受けている。『さよなら CP』『ニッポン国 vs 泉南石綿村』は覚えがあり、後者と本作とはつくり方が似て、少数派を丁寧に描いている。
2回だけ現地見学に行って、その範囲でもわからなかったり、水俣展その他の映画でも掴めなかった情報が大いに得られて有意義だった。これまでワイズマン氏制作の『臨死』の358分が最長鑑賞作品だったけれども、それを上回った。
全2件を表示