「国、行政VS市民の行く末を見る」水俣曼荼羅 バリカタさんの映画レビュー(感想・評価)
国、行政VS市民の行く末を見る
ジョニーデップ主演の上映のタイミングで
土本監督の2作品をユーロスペースさんで鑑賞しました。
ジョニーさんに罪はありませんが、やはりドキュメンタリーを
見なければ実情を垣間見ることはできないなと痛感しましたね。
それを見てからの・・・本作です。
6時間を超える三部作。そりゃぁ勇気入ります。覚悟も。
しかし、ただのドキュメント映像を流すだけではなく、
そこには水俣病患者、支援者、周囲の水俣病に対する
視線、考え方などなどの時の経過がもたらす現実と
国、県、行政という顔の見えない当事者との闘いの
徒労感(に等しい)をこれでもかと見せてくれます。
その事実を取り巻くさまざまな立場の多くの方々の
思いと行動が入り乱れ、「水俣病の取り巻く世界」が
描かれます。
笑っちゃう場面、笑うしかない場面、苦笑いする場面、
諦めの笑みを浮かべちゃう場面などなど、さすがの監督の手腕。
飽きさせません。
十分エンタメに昇華できているのではないでしょうか?
多少、監督の想いが前面に出てきたりしますが、長期間取材
していればそういう感情になってしまうだろうし、そこは偏向ではなく
そう考えるよね!僕もそう思いますもん!って視聴者目線な感じです。
そこにスポット当てたいよねっていう。痒いとこに手が届いているのでは?
さらに、よくぞここまで浮き彫りにできたなと、
よくぞ映像利用許可得たなと
よくぞこの人を見つけたなと。
監督の想いの強さとフットワークの軽さを感じます。
時間に臆することなく完成させた監督の想いそのもの
なのかなぁ?
僕は水俣病について詳しいわけではありませんが、確実に
「風化」しているって伝わってきます。
土本監督の映像の中にあった「熱」は限られた方々にのみ
微かにあるだけで、世間や国や行政は、司法すら
熱がなくなっている状況で「対処してる風(ふう)」でお茶濁し。
けど、これって・・・水俣病に限らないことなんじゃぁないか?って
思います。国や行政を相手にした時、一市民は結局は命奪われても
泣き寝入りせざるを得ないのが現実なのではないか?と。
当たり前に正しいことをしても、報われない代償で黙らされる市民。
罪ある者達は首をすげ替え、尻尾を切り責任から逃げ生きながらえる。
国、行政の監視者であるはずのマスコミもニュースバリューなければ
解決していなくても報じない・・・。
そりゃぁ、繰り返されますよね。同じことが。
継続することにはとてつもないパワーが必要。
当事者でない人たちの意識や興味の移ろいは怖いくらいに早い。
こうやって歴史はぼんやりと幕を閉じ、また同じことを
延々と繰り返していくんだろうなぁ・・・。と。
それぞれの立場で必死に生き、働く人々。
目的とメリットが異なるから入り乱れて曼荼羅みたいに
なっちゃうんでしょうね。
なぜ人間として「命を守る」「間違いを認め改善する」の
旗の下に集えないのか・・・・?悲しいけど、現実なんでしょうね。
国や行政に「民衆のための正義の味方」が生まれない限りね。
アフタートークで監督から作中に出てくるお医者様の
現在の状況を伺い、さらに「市民の誠意ある尽力」の無力感を
味わいました。