ギレルモ・デル・トロのピノッキオのレビュー・感想・評価
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ストップモーションが材質の違いを強調できる
『ピノッキオ』という題材はストップモーション向きだ。木の人形と人間を絵で描き分けようとした時、その材質の違いまで描きこむことは難しい。関節を人形風のジョイントにするなどして区別させるわけだが、ストップモーションなら材質のレベルで違いを出せる。その違いが全編に渡って大きな効果を上げている。
材質レベルで異なることが映像から実感できるからこそ、ピノッキオの異質さが際立つ。それ故に、彼が迫害されたり物珍しがられる理由も、人間になりたいという夢も切実に伝わる。ブラックファンタジー的なテイストで政治的風刺を含んでいる点も、ディズニー版よりも原作に近い。
狂乱のファシズム時代を背景にしているのは、現代社会に対する警告だろうか。童話の風刺力という物は時代を超えるのだなと思い知らされる作品だ。
視覚的に楽しく、胸にもグッとくる。デル・トロらしい翻案ぶりに恐れ入った
造形のこだわりが凄いとか、動きが神がかり的に滑ららかだとか、そういう技術的な側面も素晴らしいが、僕がより感銘を受けたのはこの幾度も映像化された物語を完全なるデル・トロ色に染め上げた翻案ぶりだ。冒頭からトレードマークたる無数の「目」が登場する本作は、全編を通じて”松ぼっくり”と”爆弾”という片や生の根源であり片や死の象徴と呼ぶべきものが交互に登場し、さらに”操り人形”というモチーフを暗に示しながら、ピノキオを亡き息子の型にはめようとする父ゼペットとの関係、カーニバル(「ナイトメア」に続き)の人形ステージ、ファシズム下の自由を失った人間という3つの要素を巧みに展開させていく。そして聖堂に据えられたキリスト像とピノキオをやんわり重ねてみせようとする趣向にも意表を突かれるばかり。子供も安心して楽しめる内容でありながら、デル・トロ好きの大人をもしっかりと魅了するこだわりを挟んだ素晴らしい愛の物語だ。
ピノキオで泣く
木目の目立つ素朴な人形のピノキオに惹かれて鑑賞してみた。そういえば、子供の頃のアニメ「樫の木モック」は毎週哀れで可哀そうだったな、なんて思い出したりして。
この映画でもピノキオ父子は色々とつらい目に遭うが、人形やセットからは手仕事の温もりが滲み出ていて癒されるというか、ほっこりして観た。
そして物語の主題は明確だ。限りある命を慈しむこと。戦争をからめたストーリーと美しい映像で、子供にも伝わるのではないかな。(とりあえずおばちゃんはラストでだだ泣きしたw。)
声は豪華な役者さんが参加されているが、特にピノキオ(オリジナル音声)が素晴らしかった。
デル・トロらしさあふれる美しいダークファンタジー
タイトルに「ギレルモ・デル・トロの」とあるように、オリジナルとは違う物語になっている。
とはいえ、デル・トロ監督の作品は好きだし、製作会社の中に「ジム・ヘンソンカンパニー」が入っているからか、「ダーククリスタル」の空気感を思い出させてくれたこともあって、かなり満足度が高かった。。
ゼペットじいさんにはカルロという子どもがいた設定になっている。
カルロは賢くて素直だったが、死んでしまう。
カルロの墓の近くに松の木が生える。じいさんはその木を切り倒して人形をつくった。森から精霊がやってきて人形に命を吹き込み、ピノキオと名づける。このころは1930年代で、舞台となっているイタリアはムッソリーニが支配するファシズムの国になっている。
原作に登場したキツネとネコは登場しない。
かわりに没落貴族のヴォルペ伯爵がピノキオの人生を左右する悪役として登場する。
他にはファシストの市長もピノキオを「不死身の兵士」として戦場に送ろうとする。
本作はキリスト教的な思想が強く出ている。
原作もゼペットじいさんがくじらに飲み込まれて腹の中で生活しているエピソードは、ヨナの物語をそのまま引用しているので、キリスト教的な考え方に基づいている。そう考えるとデル・トロは原作の思想をより強調したとも言える。
冒頭、ゼペットじいさんは教会のためにキリスト像を作る。その教会が爆撃を受けてカルロが死ぬ。磔刑のキリストが強調されるシーンだ。
次に、ゼペットじいさんが木彫りの人形を作り、森の精霊が命を吹き込む。これは、聖書でいうところに三位一体(父と子と聖霊)の構図になっている。じいさんが神で、ピノキオはキリストのメタファーだ。
これは、後半でピノキオがヴォルペ伯爵に焼き殺されそうになるシーンで、念押しのように示されていて、ピノキオは十字架に縛りつけられている。
ただ、この設定だと、ゼペットじいさんが巨大な魚に飲み込まれるエピソードで矛盾が生じてしまう。三位一体の構図でじいさんが神なら、魚に飲み込まれるのはヨナではなくて神自身なのか? 聖書では神が魚を遣わしてヨナを飲み込ませた設定になっていたが。矛盾を解消するためには魚のエピソードをカットするしかないのだが、そうすると原作のピノキオにあったエピソードがほとんどなくなってしまう。
そう考えると、三位一体の構図は無理があったのではないか。
そんな矛盾を抱えつつも本作はいい映画だ。
デル・トロのファシズムへの抵抗というテーマがよく伝わってくる。
操り人形のように政府の言いなりに生きることを求められた時代において、操り人形であるピノキオが自分の意思で強く生きるというメッセージは、いつの間にか独裁政権が増えていた近年の世界情勢にマッチしている。
製作費54億円。
興行収入1,700万円。
この数字が正しいとすると大赤字なのだが、本当だろうか。
「時」の大切さをあらためて感じる
嘘つきとコオロギと猿
親子でぜひ。
華やかそして、はかなげ
精巧に作り上げられたストップモーションアニメは凄い!
「シェイプ・オブ・ウォーター」などアカデミー賞®受賞 メキシコ人監督ギレルモ・デル・トロと、ストップモーションアニメの巨匠マーク・グスタフソン、カルロ・コッローディ著の名作童話。
ここまで精巧に作り上げられたストップモーションアニメは凄い。ストーリーは冒険物語になっているが、原作を大きく超えた映像の世界を作り出し、見るのもを飽きさせない。
ファンタジーの世界の「パンズ・ラビリンス」に通じるものがある。
メイキングの動画もNetflixで配信されていたので、これも見てみようと思う。
これが"デルトロの"ピノッキオだ!
愛するものが多いと言う幸せ
感服
子供向けとやり過ごすには、もったいない。
観る前は、ピノキオってどんな話だっけ?ってのが正直なところだったけど、このストップモーションアニメーションを前にして、過去の記憶を探ることを諦め、この世界感にどっぷり浸りたいと思わせるほどの映像体験。デルトロ版ピノッキオの「良い子」像は、デルトロそのもののようにも思えた。
そもそもが贅沢すぎるキャスティングだけど、いちばんの驚きはスパッツァトゥーラ(猿)がケイトブランシェットだったってこと。機会があればスクリーンで観ることがオススメ。
父と息子の物語
親子の愛の物語り
ゼペットとピノッキオの愛が溢れる映画でした。
2人が本物の親子になるまでの、そして別れるまでの道のりを、ファンタジー色豊かに描いた、素敵で美しいストップモーションアニメーション映画です。
製作から完成までに13年かかった。
と、ギレルモ監督が語っていましたが、
メイキング「ピノッキオ手彫りの映画、その舞台裏」を観ると
成る程、気の遠くなるような手間と時間が掛かっています。
(このアニメーションは製作費が3千500万ドル)
この作品もNetflixの資本力で完成をみました。
私が以前観たピノッキオはテレビ映画だったのかもしれません。
ピノッキオは手のつけられないほどの悪戯っ子!!
ゼペットは手を焼いて振り回されて大騒動!!
そんな負のイメージを抱いていました。
ところがどうでしょう。
「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」は、
心根の優しい父親想いの〈ラブリーボーイ〉
いっぺんに好きになってしまいました。
ミュージカル・アニメ。
ピノッキオがカーニバルの団長ヴォルペ伯爵の策略に引っかかり
(子供ですもの)
借金を返すためにカーニバルに入るとき歌う、
「ミオパパ」
♪チャオ・パパ♪
♪ミオ・パパ♪
♪さよなら、またね♪
♪マイ・パパ♪
ピノッキオ役のグレゴリー・マンの歌声がチャーミングでとても心に沁みます。
ピノッキオやジュゼッペや他の出演者の歌う挿入歌は
とても美しく親しみやすいメロディラインです。
この映画の語り手であるクリケット(コオロギ)のセバスチャン。
ユアン・マクレガーが演じていますが、軽妙で実に多彩で多才なキャラクター。
ケイト・ブランシェットはスパッツァトゥーラという名前の市長の
ペットの猿の役です
ギレルモ監督のピノッキオなら、
「たとえ1本の鉛筆の役でも出たかった」と述べています。
猿ですのでキャガギャガの擬音だけで台詞はありません。
それでもどうしても出たかったそうです。
今までに観たストップモーションアニメの中でも、最高の出来栄え。
映像の美しさは極め付けだし、
夢溢れる異形のモンスターたちは美しくも怪しく楽しい造形です。
イタリアの町の美しさ。
教会の十字架に架けられたキリスト像。
何から何まで目を奪われます。
ピノッキオの顔そのものがなんとも愛らしい。
やはり松ぼっくりを連想しますね。
お約束の“嘘を吐くと鼻が伸びる“設定も健在で、
枝が伸びて茂り小さな葉をつける様は愉快です。
ピノキオといえば「星に願いを」が有名ですが、
その曲がかからないことを忘れているほど満足度が高い。
そして父親を一途に慕うピノッキオは愛らしく健気。
“木の人形なんか死んだカルロに較べたら、厄介な重荷“
とまでゼペットは言います。
深く傷つくピノッキオです・・・。
原作は19世紀の児童文学「ピノッキオの冒険」
とても反戦色が強く、学校に通う事の必要性を強く訴える内容とか。
今作の時代設定は第一次世界大戦下のイタリア。
ファシズム時代でムッソリーニが台頭。
ジュゼッペの息子カルロは戦闘機が機体を軽くするために
投下した爆弾で死んでしまいます。
ジュゼッペの悲しみは大きく、酒浸りで世捨て人。
酔っ払った勢いでカルロの形見の松ぼっくりが大きくなった松の木。
それをを切り倒して、木の人形を作って眠り込んでいると
〈木の精霊〉が魂を吹き込み名前をピノッキオと付けて、
言葉を話すようになる。
〈木の精霊〉を演じるのはティルダ・スウィントン。
後半では〈死の精霊〉の役割も果たして、ピノッキオを2度死から
蘇らせます。
青色にキラキラと輝きスフィンクスを思わせる姿は女神のようです。
声にエコーが掛かっているのと、低音で厳かに話すのでとても神秘的。
カーニバルに入ったピノッキオは、
ジュゼッペの借金を返す約束で、カーニバルのスターになり世界を巡業。
べニート・ムッソリーニの御前で芸を披露するものの、
「ムッソリーニをやり込める歌詞の歌」を歌い喝采を浴びる。
カーニバルの団長ヴォルペ伯爵をクリストフ・ヴァルツ。
ファシストの市長役は監督の盟友ロン・パールマン。
敵役で見応えあります。
今回はじめて知ったのですが、ギレルモ監督のお父様が誘拐され、多額の身代金を
要求されて、その身代金をジェームズ・キャメロン監督が一時的に肩代わりした・・
そんな経緯があったそうです。
そのときの辛い体験が、ピノッキオの父想いの優しさに繋がったのでしょうか?
〈死の精霊〉のおかげで2度も生き返るピノッキオ。
大きな魚の怪物に飲み込まれたゼペットも助かり、
瀕死のピノッキオも〈死の精霊=木の精霊〉に、
《本物の少年》として生きなさい、
とそう告げられますが、人間の少年になったという訳でもなさそう。
この辺の解釈はグレーゾーンだと思いました。
人は死ぬ
いつかは死ぬ。
限りない生を精一杯に生きなさいとのメッセージも。
コオロギのセバスチャンも死ぬ。
ピノッキオは世界周遊の旅に出る。
ピノッキオだっていつかは死ぬ。
エンドロールでコオロギのセバスチャンが、か細い足でステップを踏み
踊ります。
ユアン・マクレガーの歌声も軽やかで、ステップを踏むように伸びやかです。
観た後に愛に満たされるのはギレ・ルモ監督の優しさでしょうか。
至る所に優しさと愛がある。
感動せずにはいられませんでした。
ラストは違うけど良いラスト
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