「【犬を飼うということ。動物を飼うということ。】」犬部! ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【犬を飼うということ。動物を飼うということ。】
松島花さんというモデルさんがいて、自身のインスタグラムに、自分の身の回りのことや、自身の写真のほか、保護犬や、殺処分になりそうな犬の貰い手への呼びかけなどを頻繁に投稿している。
僕は、30年近く犬を飼っていた経験があるので、それを好意的に見ているのだが、”見ていて不愉快だから載せるな”とか、”自分自身のことに限定しろ”という、ややもすれば、攻撃的な書き込みをするフォロワーが相当数いると聞いて、どうしようもない輩というのは、何処にでもいるもんだなと暗澹たる気持ちになった。
この映画の花井の動物病院に嫌がらせのメールを送りつけたり、張り紙するようなやつも、同じだろう。
まあ、松島花さんは美人だし、知的だし、それだけ見ていたいという人がいてもおかしくないが、彼女から感じられる知性や理性は、そうした動物に対する優しさや責任感からも生まれているのだと理解できないのだろうか。
動物を飼うというのは、幸せを感じると同時に、難儀なことも多々ある。
僕が30年近く犬を飼っていたなかでは、東大農学部の獣医学課程で、年に数例あるかないかという病気で犬を亡くしたことがある。
一方、ペアで飼っていた犬に仔犬が4匹生まれて、僕が全部取り上げたこともあった。
最後に出てきた仔は、息をしてなくて、鼻から羊水を取るために、口で吸って助かった。
仔犬の誕生は、喜びの瞬間だ。
4匹のうち3匹は、友人や知り合いに引き取られて、病気などあったものの、皆、それなりに長生きしたと聞いている。
この仔犬達の母犬は、本当に子育てをしっかりしていて、授乳から排泄の多まで丁寧にやっていた。
老犬になりかけたころ、大きな癲癇症状がでて、晩年は寝たきりで、人間でいうと80歳くらいまで生きたが、毎日のお世話は確かに大変だっだ。
ある日、僕が帰宅するのを待っていたかのように、静かに息を引き取った。
父犬は、人間でいったら90歳くらいまで生きた。
シュッとした表情で、大人しい性格は、いろんな人に人気だった。
亡くなる数日前にご飯を突然食べなくなった。
なんとなく、”その”時期が来たのかなと思って、かかりつけの獣医師のところに連れて行ったりしたが、2日後の朝、僕の横で静かに息を引き取った。
亡くなったことを、その獣医師に連絡したところ、仔犬の頃からずっと診てきたので、最後に会えて本当に良かった、ありがとうございますと言ってもらえて、なんか涙が止まらなかった。
生まれた4匹のうち、手元に残した一匹は、ずっと両親と一緒だったせいか、おっとりした性格で、それが表情に出るせいか、子供に好かれる仔だった。
本人は迷惑そうだったが、いろんな人に抱っこされたり、撫でられたりしていた。
この仔は、ガンが再発して亡くなった。
結構な年齢にもなっていたのだが、最後に僕の腕に力を振り絞って飛び込んできて、僕の腕のなかで本当に眠りにつくように静かに息を引き取った。
すごく穏やかな表情で、荼毘にふす時に、皆から眠っているようですねと言われた。
最初に紹介した珍しい病気で亡くなった犬は、ちょっと壮絶だった。
危ないと言われた夜、動物病院の駐車場に車を止め待機していたところ、携帯電話が鳴った。
危篤状態で、心臓マッサージなどしていたが、心拍がどんどん弱くなっていった。
その仔の名前を呼ぶと、心拍が戻るのだが、それを繰り返しているうちに、もう一生懸命頑張ったんだと気が付いて、先生に、涙ながらに、もう結構ですと伝えた。
背中を撫でられながら息を引き取った。
その後しばらく、精神的に立ち直れなかった。一生懸命生きようとしてくれたことを思い出すと、今でも涙が溢れる。
動物を飼うことは、餌代だけじゃなく、定期的に病気のチェックや予防接種も必要で、結構お金もかかるし、継続して面倒をみる責任感とか、病気をしたり、老犬になった時の実際のお世話なども大変だ。
ただ、こうした事を経験して、仔犬の時の可愛さとは異なる、長い時間を共にした愛情が膨らむのだ。
それを感じられるようになったら、本当の意味で、動物を飼うことは幸せなことだと気がつくのだと思う。
そして、それはかけがえのない思い出になるはずだ。
写真や動画も良いけれども、抱っこした時の柔らかさや、顔を近づけた時に感じる甘い匂い、臭かったオナラ、脳裏に焼きついたありとあらゆる表情なども思い出になるのだ。
六郎の死に向き合えなかったことは後悔だろう。
でも、エルモにずっと付き添って欲しい。
そんなふうに、思わせる作品だ。
松島花さんの個人的な活動も応援している。