アーニャは、きっと来るのレビュー・感想・評価
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森のくまさん🎵 子熊とアーニャ 親熊とベンジャミン
羊飼いの少年ジョー(ノア君)が山の中で出くわした熊。母親グマが子熊をかばって出てきたのでした。最終的に母熊は鉄砲で撃たれ、村はちょっとしたお祭り状態。ノア君の愛犬の牧羊犬は母親熊と対峙してくれて(すごい演技)、その隙にノア君は村に逃げ帰れたわけですが、愛犬を探しにひとり山に戻り、怪我をした愛犬をみつけます。そこへ子熊を抱いて現れたのが、ベンジャミンでした。ベンジャミンは内緒だから誰にも言ってはいけないと口止め。そう言われると気になって、ベンジャミンを尾行して家を確認。後日、羊のお乳を瓶に入れて、そっとベンジャミンの納屋に入り、子熊に飲ませてやろうと、シャベルに注ぐと、傍らに小さい子供の靴が落ちていて、小さい女の子が藁の中からひょっこり。ベンジャミンに見つかって・・・・この場面重要ですね。
ジョーは賢い子、状況判断ができるし、万引きはダメよと言われると、あっ、このおばさんは優しいとガッテンして、ちゃんと万引きする。えー、悪い子?この時代だもの。おおめにみてあげましょうよ。駄菓子屋で、居眠りするふりして、お金のない子にお菓子あげちゃうお婆ちゃんみたい。私の経験では、マトが当たっても難癖つけて賞品くれないお祭りのテキヤやクジが当たっても難癖つけて子供相手に大人げない駄菓子屋のおじさんが多かったけど(今でも夢に見て、ぶっ殺したくなりますw)。ステキなお店のおばさんでしたね。そこへはいってきたのは駐留しているドイツ小隊の伍長(トーマス・クレッチマン)。おばさんはなんとかして、ご機嫌を損ねないようとタバコを二箱差し出す。観ているこちらがハラハラするのに、子供相手に少しは疑問を持ちながらも、優しいクレッチマー。 ジョーは抱えきれない食料品を落としてしまうがお駄賃はハチミツと聞いて、
「ハチミツ食べたいなー」
プーさんかよ❗
なんかいいですよね~
クレッチマンの上司は中尉のアタマツルツルの役者さんで、最後のほうで、ジョーの知恵遅れの兄を射殺してしまう。クレッチマンのくれた双眼鏡を兄にあげたジョー。クレッチマンは上官に逆らえないけど、うつむいてしまう。この場面だけが悲しい場面で、ナチスの兵隊さんはピレネー山脈の麓の村に派遣されて故郷を思いだし、そんなにあこぎなことはしない。そうですよ。日本だって、戦争中に派遣されたところで、のどかな現地の人との交流は温かく、現地の人にむしろ一兵隊であること同情される人が多かったらしいですね。ナチスでもこんなに自然豊かで、きれいな村に派遣されたら、優しい気持ちでいたいと、人間だもの、願うと思いますよね。
ベンジャミンは戻って来なかったけど、アーニャは戻ってきた。ベンジャミンは母熊で、アーニャは子熊だったと思うと涙が止まりません。
ジャン・レノとアンジェリカ・ヒューストンのいるあのきれいな村に行きたくならない人はいないと思います。
原作が児童文学なので、アタシのIQにジャストミートでした。
アーニャの話では無いですな
スピルバーグ監督作品の「戦火の馬」がやたら面白かったので同じ作者の原作とあり鑑賞。
オープニングで、おそらくナチスの収容所に連行されそうになる父親と幼いアーニャ。
父親の機転で叔母?の家で落ち合おうとアーニャと意図的に離れ離れになる。
おー、これはなんとも切ない。その後の展開に期待や!と前のめりになったがその後、ラストまでアーニャは全く出てこず、違うストーリーになる。
ナチスドイツに狙われるユダヤ人の幼子達をかくまいスペインへ逃すべく家族の物語となる。
この手の映画の独特の見つかる見つからないの攻防となるあたりは緊張感があって見応えある。
しかし、どーやって幼かったアーニャは叔母?の家に着くとベンジャミンは考えたのか?
かくまう側のそれぞれの人達とドイツ軍の伍長と中尉の物語でしたね。
反戦の英雄として讃えたい
主役が数日前に鑑賞した映画「エイブのキッチンストーリー」と同じノア・シュナップだが、本作品は「エイブ・・」とは国も時代もまったく違っているので、抵抗なく鑑賞できた。ただ、フランス南部が舞台なのに話す言葉は英語というのが少し変な感じがしたが、時代劇が現代語で演じられるようなものだと納得することにした。
物語は長閑な村にナチスドイツ軍がやってきてユダヤ人を探して処刑しようとしている中、純朴な羊飼いの少年が隠れているユダヤ人と子どもたちを救おうとするドラマである。主人公ジョーを演じたノア・シュナップはやっぱり上手い。観客はジョーの不安と恐怖を共有し、その勇気ある行動にハラハラすることになる。
ドイツ軍の中には、戦争に疑問を持ちユダヤ人の弾圧はナチスによるマッチポンプであることをジョーに告白する将校もいて、ジョーは戦争の理不尽を少し理解する。戦時中の日本人がそうだったように、ドイツ人の中にも反戦思想の持ち主もいたはずだ。戦時中は国家主義から敵国と敵国民を同一視してしまうが、我々が日本人とスガ政権を同一視してほしくないのと同じくらい、どの国にも反体制的な人々はいるし、いたはずだ。
ライフルを墓地に隠す伏線は最後に回収される。障害者だったジョーの友だちは反戦の英雄として村の人々の記憶に残ったことだと思う。決してハッピーな結末ばかりではないが、それもリアリティだ。ナチスドイツという圧倒的な暴力を前にして屈することなく耐え抜いた村人たちと、勇敢に行動したジョーも、やはり反戦の英雄としてその生き方を讃えたいと思う。
日本でナチスドイツの役割を果たしたのは特別高等警察だ。精神の自由まで奪おうとした理不尽な暴力集団である。反戦の国民にできるのは表立って反対して殺されるか、面従腹背で生き延びるかだ。押し殺した怒りが戦後の復興のエネルギーになったのは間違いない。国家よりも個人の幸福が優先される世の中に漸くなったのだという時代だった。
しかし最近では再び個人よりも国家が優先されるような風潮が蔓延しつつある。トランプのアメリカ・ファーストがその一番手だ。アメリカ・ファーストは、アメリカンピープル・ファーストではないことに、当のアメリカ人が気づいていないフシがある。日本人も「美しい日本」が日本国民のことでないことに気づく必要がある。第二の関東軍、第二の特高を生まないためにはナショナリズムの陥穽に嵌まらないことだが、東京オリンピックを未だに期待している人々が多いのがかなり不安である。
【多くの人々の良心】
ユダヤ人をナチスから救うために手を差し伸べた人々の映画の物語としては、シンドラー、杉原千畝、ワルシャワ動物園の飼育員、映画「家へ帰ろう」のポーランド人の仕立て屋に続くものになるのだろうか。
シンドラー、杉原千畝は個人名も残り、本人が望んだか否かに関わらず、名前が後世に語り継がれる存在になるのだろう。
しかし、本当に多くのユダヤ人を匿ったり、救ったのは、名も無い個人…多くの人々、そして、その良心であったのだと思う。
この物語は、ピレネー山脈を超えてスペインにユダヤ人を逃した、フランス国境の人々の物語で、ナチスの中にも、ユダヤ人の収容所送りに葛藤を覚えるものがいたことなどを散りばめ、ナチスを単に憎悪の対象としないような描き方をしている。
昨今の敵味方を明確にして、憎悪を募らせる方法に変化が訪れているのだろうか。
コロナ禍で、ヨーロッパの民族主義的ポピュリズムは、後退しているように思える。
中国依存を強めようとしていた、イタリアの極右連立政権は、コロナ対応に疑問の残る中国との関係を見直さざるを得なくなった。
また、欧州連合の経済対策や大規模な復興基金、欧州中央銀行の金融緩和の方が、復興や景気回復には、信頼に足ることがコロナ禍で明らかになり、これらは、欧州各国の共通認識になりつつある。
コロナ禍を乗り越えるための解決策は、発展途上国も含めて感染者を減らすことだが、それにはワクチンの広い利用も含めて、国際協調は必須だ。
また、宗教対立による紛争や、中国やロシアなどの民族弾圧も見過ごさない国際的協調が広がることを祈りたい。
とてもよかった
ナチスの中尉は人間味のある人で、敵なのに単純に割り切れない気持ちになる。国境とは言えあんな僻地に派遣されるナチスは相当暇だったのではないだろうか。子どもに洞窟暮らしをさせるのはつらい。普段人種問題は身近にないので、このようなテーマの作品はSFのようだ。
音楽と綺麗な風景の映像は良かった!
タイトルそのまんまのストーリー(笑)
でもアーニャは最初と最後に少ししか登場せず。
彼女やお父さんへ感情移入する事はく無く感動する事は無かった感じ。
加えて涙も全く無し....
ドイツ軍に監視されたユダヤ人がスペインにどうやって逃亡者するのかがメインのストーリーの認識だったけどちょっと違った。
スリリングな展開やドキドキハラハラなシーンも無し。
本作の表現したかった事も解らず。
この手の作品では珍しくドイツ軍の方が優しい。
人間味があったのは良かった。
特に伍長のおじさんは好感度アップ!
とにかく美しい音楽と綺麗な風景が素晴らしく、そこは評価したいところ。
残念なのはスクリーンサイズが小さめてでテレビで映画を観ている感じ。
劇場で観る良さがあまり伝わって来ませんでした( ´∀`)
主人公の少年とフランス南部の山麓の景色は美しい。物語的には・・・
主人公の少年とピレネー山麓の景色は美しい。
物語の詰めは甘いというかなんというか、そもそも登場人物がいずれも英語喋っていて、住民と占領軍であるドイツ軍が普通に意思疎通するのはありえんでしょ。
感想は以下3点
・ドイツ軍を悪逆非道ではない普通の軍隊と描くのは珍しいですね。むしろ、伍長が優しすぎて不自然に思えるくらい。
・小さな子供たちがどうやって隠れ家まで来たんだろうか・・
・「アーニャは、きっと来る」という日本語題名は、一見映画の中身を表しているようですが、映画の本質的な部分とは関係ないような気がします
(ちなみにアーニャは何才の設定なんだろうか・・・。最後、結構大人びていたように見えたが気のせいか・・)
史実ベースの物語。今週(11/27~)ではお勧めの一本。
今年52本目。
特集・公式サイト通り、ナチス政権のドイツが舞台です。この手の映画は、
1.ヒトラーの賞賛をたたえ、かつ肯定的に取り上げる
(本国ではタブー扱い。日本でも表現の自由はあるが事実上控えられる)
2.a ヒトラーの賞賛はたたえず、ユダヤ人迫害にスポットをあてる
2.b ヒトラーの賞賛はたたえず、ユダヤ人の迫害以外にスポットを当てる
…というもので、2.aがテーマでありつつ、1の話題も入ってきます。
場所はスペインと国境を山脈で接する南フランス。ここからわかる通り、当時のドイツ(分裂後の東西ドイツを別にせず、今のドイツとほぼ同一に扱う。以下も同じ)の兵力を考えても、
1.ヒトラーや側近の執拗なまでのユダヤ人迫害思想は共通テーマではあったが、いわゆる「赤紙招集」で兵士になった一般兵にまで、統一教育は行われていなかったと思われ、また個人の思想の統一も及ばなかった(日本の思想良心の自由に似ますね)
2.そもそも、ドイツからみて南フランスの一つの村という、かなり離れた場所に派遣されたドイツ兵集団の中には(いわゆる「お偉いさん」もそこにはいなかった模様)、「戦争には勝てばいい」けど、あまり現地(ここでは、南フランスの小さな村の住人たち)とモメるのは避けたかった
…という考え方があったと推測され、特に2の事情もあったのか、「もうどうでもいいからモメごとも起こしたくもないし、さっさと戦争も終わればよかったけど、あまりにも仲良くしすぎると上から怒られかねないから、形式的には夜間禁止令等は出しても村人と仲良くもしていたし、形式的にはユダヤ人捜索などは行っていたが、形式的なもでしかなかった」ということがうかがわれます(作品参照)。
このような事情もあり、形式的には村人に対して「かくまっていないか?」と確認をしていたり、形式的に探したりはしていますが、その様態も悪質だったり徹底的になものではなく(ご存知の通り、厳しい場所ではもうそれは熾烈を極めるほどに調べつくされていた)、「1人2人"検挙"してもいいこともないし(どうせ報奨金なんて大したものも出ないんでしょうね)、もう戦争が終わるのを待っていた」(換言すれば、南フランスという「辺鄙な」場所に送られたドイツ軍だからこそ、このあたり「どうでもよかった」「ユダヤ人ではないが、南フランスの住人をいざござを避ける」という事情はあったと推測できる)のでしょう。
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(※) 日本も第二次世界大戦がはじまると、韓国/北朝鮮(便宜上、今の名称)、台湾、中国…に進出しますが、全員が全員残虐行為に走っていたわけではなく、中には中立的立場に接したりした人も多かったようで(下手に抑圧的態度に出て独立活動や襲撃になるなら、いわば「赤紙招集」された一般兵士の中にはもう、とりあえず現地にはいったけど「別に敵意もないからさっさと戦争終わってほしい」と思っていた人もいたと考えるのは当然の話であり、それはここでも該当するでしょう。
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本件はそのような事情があったと推測され、最終的には「史実に着眼点を得た」という史実ネタという映画ですが、さしたる犠牲もなく、日本の高校世界史等でもまずもって取り上げられることもない(大学でドイツ史でも選択しない限り出てこない?)史実を掘り出して映画にした、という点は素晴らしいと思えました。
減点要素は下記の0.2ですが、大きな傷はないと思うので、4.8で5.0まで切り上げています。
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減点0.3:ドイツ兵が南フランスの村で占拠を始めますが、そこで話されているのは英語です。同様に南フランスの村民が話しているのも英語です(ドイツ語でもフランス語でもない)。可能性としては否定はできませんが、かなり高度な語彙も出るので、おそらく史実通りではなく、ドイツ語・フランス語を英語に「吸収」したのだと思います。
それはそれで理解できるのですが、ドイツ兵はまだしも南フランスの村民が英語を流ちょうに話していたと考えるのは難しく、おそらくフランス語でのコミュニケーションであったと強く推認されます。その点は確固たる証拠は取れませんでしたが、常識的にみればそうであり、そう取るのであれば、事実通りに「フランス語での会話」にして、字幕を《○○○》と英語ベースと日本語ベースに二重に翻訳するという「原則」にならってほしかったと思われる点です。
0.1点増:これは映画とはあまり無関係ですが、映画の予告編でも「美しいピレネー山脈の描写…」といった部分は強く感じました。山・山岳の大自然の描写ですね。もっとも本映画はそれがテーマではない(ただし、ピレネー山脈を越えてスペインに逃れるというテーマはある)ものの、そこに美しさはやはりCGだけではなく実写を元にかなり細かく作ったということであり、そこは高く評価しました。
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ノア君と美しいピレネー山脈
今週2本目のノア君主演の映画。ノア君は、やっぱり目の動きがかわいいね。小動物みたい。
この作品は、ナチス・ドイツの極悪非道ぶりが強調される映画とは一線を画している。ノア君演じる主人公のジョーは、ユダヤ人であるベンジャミンと出会うだけでなく、村に進駐してきたナチス・ドイツ軍の伍長とも図らずも親しくなってしまう。頭の中では、敵国である軍人と仲良くなってはいけないと思いつつも、次第に打ち解けていく。伍長は、積極的な平和主義者でもなく、ヒットラーに絶対的な忠誠を誓うような軍人でもない。普通の人間ができうる限りのヒューマニズムを体現することがこの作品のテーマかもしれない。
ユダヤ人であるベンジャミンは、ジョーの「なぜユダヤ人は嫌われるのか」という質問に対して、「ナイル川の氾濫を鎮めるには、生贄が必要なんだ。私は、迫害する側を哀れむ(pity)」と答える。迫害を受ける身でありながらも、人間は時として悪魔的な行動をとってしまうことをジョーに伝える。憎しみを煽ることで自分への支持を強化しようとする指導者が、現代でも存在するのだからこの言葉は重い。
ピレネー越えのシーンは、絶景が続きとても美しい。
雄大な景色と戦争と。
雰囲気は悪くは無いものの
この作品は事前に知っていたわけではないですが
封切り日に何かと言うことで観賞
戦火の馬などの原作で知られる作家の実写化作品
感想としては
・美しすぎるピレネーの大自然
・の割に所々ディティールが甘い
・どうやって子供だけであの村まで?
・伍長は計画薄々わかってたでよくない?
・観てる側の予想に応えない
・別にそれでもいいけど面白くなってない
など惜しい感じでした
1942年のドイツ占領下のフランスで
強制収容所に送られそうになったユダヤ人ベンジャミンは
幼いアーニャを隙を突いて逃がし南仏のスペインとの
国境付近にある母オルカーダがいる実家で落ち合いスペインへ
脱出するよう約束します
そしてその南仏の村の13歳の少年ジョーは
そのベンジャミンと偶然出会いその計画を知り
やがて村にもドイツの駐留部隊がやって来ますが
計画に協力し誰にも口外せず協力していきます
この村の規模がいまいちわからないんですが
部隊の数は30人もいないのを見るとそこまで大きくなく
村まではおそらく一本道ですがこんな環境でユダヤ人の子供が
どうやって逃げてこれるのかは一切触れられませんが
相当難しいのではと首をかしげながら観ることになります
ドイツの部隊は顔が怖いがジョークが好きな中尉と
穏やかな伍長が上官で駐留する間もジョーらとは比較的
友好的に相対していき
ジョーは父親が捕虜になって帰ってこないこともあり
警戒しつつもその後伍長が娘を空襲で亡くした事に同情し
少しずつ一緒に鷹を見に行くなど打ち解けていきます
しばらく経つと父が突然(ほんと突然)捕虜から帰ってきます
手をケガして働けなくなったからという事でしたが
そんな理由でアッサリ帰ってこれるものなのか?
出稼ぎ労働者と大して変わらないじゃん…
まあそれは良いとして父は働けない事で飲んだくれ
ドイツ兵を憎んでいるため伍長と交流してた
ジョーを「協力者」となじりますが計画を黙っていた
じいちゃんのアンリが全てを話しジョーは逆にドイツに
反抗している事を説明すると
父は今までがウソのように脱出策戦に協力します
そしてある日羊を丘に移動させる行事に紛れてユダヤ人の
子供たちを村人らと協力して脱出させる作戦を決行します
しかしベンジャミンの娘アーニャは未だ現れません
ここでベンジャミンは自分は残って待ち続ける事も示唆します
結局その計画はうまくいき丘の上の小屋に子供を匿えたのですが
そこへ伍長がつけて来て場は緊迫しますが深く詮索することなく
その場を去って行きます
ここもだったらなんでつけてきたんだよって位
大変な行脚なので少しは調べろよと思ってしまいます
この映画伍長の娘が死んだとか細かな伏線は張る割に
回収が結構ボヤけており肩透かしをくうところが多いです
実際伍長はこの計画を察知していたに違いない
ような行動をとっているのですが後にそれを聞くと
何かを隠しているとは思ったくらいの事しか言いませんし
ジョーと同じくらい交流していたユベールが最後に
中尉に銃を向け射殺されたときもそう何もリアクションせず
去って行きます
確かに立場上そうするしかないんでしょうが映画的に
演出がもう少しあってもと思ってしまいました
勧進帳の関所の役人も「わかってて見逃す」からあの話は
感動できるんだと思うんですけどそういうのにこちらが
慣れてしまっているのでしょうか
雰囲気や演出は素晴らしいんですが
なにか舌っ足らずな印象を受ける惜しい作品でした
ヒヤヒヤ
当事者じゃない子供視点
ナチスが侵攻してきた南仏はピレネーの麓の村で、ユダヤ人の子供達を匿いスペインに逃がすべく奮闘する羊飼いの少年と仲間たちの話。
1942年ユダヤ人の強制退去が始まったフランスで、娘アーニャを逃がす父ベンジャミンから始まり、まだナチスの侵攻していない南フランスへと場面を移し進行していく。
まだ、ナチスとユダヤ人のことを良くわかっていない13歳の主人公。
ベンジャミンやお婆さんに会い、教えられると共に、程なく現れたナチスの諸行を知り、状況を飲み込んで行く。
ユダヤ人や直接それを匿ったり逃がしたりする人ではなく、お手伝いの少年目線であり、悲壮感よりも冒険心が強い感じだったり、子供と接し交流するナチス兵という少し軽目な展開なので、あまりヘビーなのが得意じゃない人には良いのかなという印象。
そういう中では悲しい現実をみせる展開もちゃんとあって、良かったけれど物足りなさもあったかな。
あくまでも、そういうところに置かれた少年が主人公の作品で、そして伍長の本心は…。
それが受け入れられ、読み取れたらかなり良いのではないかな。
【ピレネー山麓の南フランスの村で第二次世界大戦中に行われた”崇高な行為”を静かなトーンで描いた作品。ドイツ人伍長の視点も絡ませて”命の大切さ、戦争の愚かさ”を描いた作品でもある。】
■今作品でのナチス・ドイツ軍は、”残虐な人間性の欠片もない輩達”としては、描かれない。
その代表は、ホフマン伍長(トーマス・クレッチマン:「タクシー運転手・・」で、光州に乗り込んだ記者役が記憶に新しい、ドイツの名優である。)であることは、観れば分かる。
フランス人の村人達への態度もキチンとしており、ベルリンで電話交換手である娘を誇りに思い、ハチミツが好きで、双眼鏡でピレネー山脈の空を舞う鷲を見る事を楽しみにしている、思慮深き男として描かれる。
そんな彼に、ある日娘が連合国の爆撃により命を落とした事が伝わり、彼は深い憂愁の表情を浮かべ、ピレネーの美しき風景をぼんやりと眺めている。
- このホフマン伍長の存在が、この作品を従来のナチス・ドイツを描いた映画とは違う風合を醸し出す作品にしている。
”トーマス・クレッチマンは、良い役者だなあ・・”と思う。ー
◆印象的な事柄
1.幼いアーニャと共にユダヤ人収容列車から逃れ、アーニャを別のフランス人たちが乗る列車に乗せ、自分は姿を消すベンジャミン(フレデリック・シュミット)。
- そんなに、簡単に逃げられるのかい?、と一瞬思うが、ホームの男性が吠える犬を静にさせる姿や、アーニャを受け取る女性たちの姿を見て、”ドイツ国内ではないのだろう・・”と類推する。
当時のフランス人たちが祖国をドイツに蹂躙され、内心は激しくナチス・ドイツを憎んでいた事は多くの書物、幾つかの映画で描かれている。
その思いは、ベンジャミンがオルカーダ(アンジェリカ・ヒューストン:芯の強い老いた女性を好演:流石である)の納屋に隠れている村に住んでいる、羊飼いの家の息子ジョー(ノア・シュナッブ)や祖父アンリ(ジャン・レノ)達のドイツ兵に対する態度からも分かる。
古いライフルをドイツ軍に”預ける”際のアンリの言葉。”ヴェルダンの闘いで使った銃だ!” -
2.ドイツ兵の態度が比較的、温和である事。
ー 彼らが駐留する場所がフランスの片田舎である事も原因の一つであろう。”SS:ナチス親衛隊”などが駐留する必要のない場所なのである。もしかしたら、ドイツの一般市民が一時的に兵士として駆り出されていたのかもしれない。-
3.ドイツ軍に囚われていたジョーの父(ジル・マリーニ)が4年の空白を経て、故郷に戻って来るシーン。PTSDのような症状や、ドイツ兵を見る視線。パブでドイツ兵に絡むシーン。ハラハラするが、ホフマン伍長は相手にせず、部下を連れて静かにパブを出る・・。
そして、ジョーがホフマン伍長と”一緒に山に登っている”事を知り、激怒するが祖父アンリから、真実を告げられるシーン。
又、知的障害と思われるユベールがホフマン伍長に贈った贈り物。
- 何気ない描写だが、ジワリと沁みるシーンの数々である。ホフマン伍長たちがキチンとした人間性を保った人物として描かれている・・。-
4.ベンジャミンが子供たちを村人たちの協力で、隣国スペインに山を越えて、逃がそうとするシーン。
- ドイツ兵が参加しているミサで、いつもより長い話をする牧師。そして、翌日、山小屋に隠れていたベンジャミン達の所にやって来たホフマン伍長とジョーの父との緊張感溢れる会話。
”娘を亡くした”ホフマン伍長が、小屋の中から幼き女の子の咳が聞こえてきた時に取った行動・・。 -
<物語の幾つかの部分の描き方は、やや粗い。
だが、今作が
”大人になったジョーが、当時の出来事を振り返るモノローグで彩られている点”と、
ドイツ軍のホフマン伍長を演じたトーマス・クレッチマンの、
”哀しみを抱えつつも、人間性を保とうとした姿” に魅入られた作品。>
体制の中の倫理観
ナチス占領下の中で、ユダヤ人をかくまったり、助けたりする映画をよく観ている。この映画でジョー(Jo:Noah Schnapp) が親しくなったドイツ軍の下士官に触れてこのレビューを書いてみたい。
現在まだ ユニバーサルな問題である、人間のサガか運命か知らないが、もしかして本質なのかもしれない。『人にされて嫌なことは自分もするな』ということで、人にされて嫌なこ
とだと十分わかっているが、体制のなか(この場合、ナチ政権)のなかで、個人の感情はなしで生きなければならない、そして、その中で生きていく人の罪の意識に深く同情する。
そして、自分の本意を通せず、辛い思いをし、それで、一生、いきていって、死ぬまで、後悔をしている人もいるだろう。辛いだろうね。
この映画を見ながら、イーストウッド監督の、第二次世界大戦における硫黄島の戦いを描いた『硫黄島からの手紙』を思い出した。ここでも、日米双方の視点から描いたといってるし、それがよくわかる。太平洋戦争のなかで敵味方と戦っていたが、国の戦いであっても、人間がいる限り、倫理観はそこに出てくる。大戦の中、自分の意見が揉み消されて、善悪を理解できる人間が生きていくのには葛藤が多すぎる。『硫黄島からの手紙』ではそれが、単刀直入に現れている。
しかし、ドイツ将校(トーマス・クレッチマンThomas Kretschmann)とジョー(Jo:Noah Schnapp )との関係は二人の気持ちの動きをよく見せている。最初、スーパーであって、ジョーは将校を先に買い物させたかったが、将校は寛大な態度で村人の買い物風景を楽しんでいるように待っている。ジョーが買い物袋を落としてしまったところから二人の会話は本格的に始まる。子供好き、人好きな将校はジョーと話すことにより、自分の子供と話しているような気分になるんだと思う。ジョーに対する優しい眼差しは『ドイツ将校』の眼差しではなく、占領下における独裁者の眼差しでもない。人として手を差し伸べている。徐々に、人間関係を築いていってるいくシーンだから好感が持てるし、『硫黄島からの手紙』より、心にジーンとくる。彼の善意はよくわかる。最後、敗戦でドイツ軍が引き上げでも、体制のなかにいる心のある人でも、 ドイツ中尉がフルベルト(ジョーの友達で身障者)を撃ち殺すところを止めることができなかった。
この青年ジョーにとって、ドイツ将校と会話をしたことにより、人生において、敵の中にも心が通じ合える人がいることがわかったと思う。そして、心のある人がこの体制の中で、なにもできないことがあることも。
映画を見終わった後、スペインとの国境にある、レスカンLescunという村を調べた。緑が豊かで、映画のように美しい村だ。ピレニー山脈の麓の閑静な村で観光地にもなっているようだ。
トーマス・クレッチマンThomas Kretschmannというドイツ将校を演じた俳優だが。人を大切にする演技が上手でだった。英語も発音がよく、ドイツ語が話せるのと思ったほどだ。ジョー役ノアも英語にアクセントをつけて話していて、ノアの話し方とはまるっきり違う。この映画は英語を使っているのが解せない。(まあ、この小説が英語でかかれているからね。)将校同士がちょっとドイツ語を話したり、村人が片言フランス語を話すだけで、不自然だった。やっぱり、フランス語、ドイツ語で、将校と村人の会話は通訳が入った方が自然な映画になる。正直なところ、この映画の後、英語圏の落人が住んでいる村かと思って、レスカンで使われている言語をしらべたが、英語という情報はなかった。
人間の持つ本能の美しさ
東京国際映画祭にて鑑賞。映画祭で上映するに相応しい非常に優しく美しい作品であった。
ユダヤ人狩をしているナチス支配下にあるフランスの田舎村に住む主人公のジョー。彼がひょんな出会いから森でユダヤ人のベンジャミンと出会う。
ジョーは頭ではユダヤ人と接触を持つ事は禁じられてる事は分かっているが、父親と離れ離れに暮らしていることもあってか父親くらいの年齢のベンジャミンに親近感を抱き、そして彼の優しさに惹かれて関係を築いていく。そして、その後彼のまだ幼い姪や甥らとも出会う。少年少女達とまた同じように接する。
一方村を支配するナチス兵にもユダヤ人の存在をバレないように警戒はするものの、ナチス兵の中尉の優しさ、人間味に惹かれ彼とも親しい関係を築く。決してジョーは中尉の気を逸らすのが目的で関係を築いたわけではない。そこにももしかしたら父親の存在が重なったかもしれないが、一人の友人として親しい関係を築いてたように見えた。これこそ人間の本能であろう。
中尉もまた自分らがやっている事は正しいのか胸を苦しませる。ジョーとユダヤ人が密かに関係を築いてる事は早い内に察してはいた。彼らを直接的に助ける事はできなかったが中尉にできる限りのサポートをし正義を通していたようにも見えた。これもまた人間の本能であろう。
ベンジャミンの姪と甥の多くは国を脱出することができた。残念ながらベンジャミンと一人の姪は捕まってしまう。ナチス兵による村の支配から解放される際にはジョーは友を一人失った。
ベンジャミンが捕まった後に離れ離れになりずっと再会することを信じてきた娘アーニャが村に辿り着きジョー達と合流するところで話は終わる。
全てがハッピーに終わる事はできなかった。この辺りは非常に現実味がある展開ではあったが、この作品はナチス兵を必要以上に悪く描く事もなく比較的優しく見やすい作品に思えた。
ジョーや中尉、そしてベンジャミンらユダヤ人。互いが互いを公に認め合う事、助け合う事ができない時代の中彼らなりにできる精一杯の正義がこの作品では描かれており、それが人間の本能であると共にその本能の美しさを非常に堪能する事ができた。
人間は時に悪魔となる事もある。それが時代や環境だけのせいにするのは違うと思うが、そういった背景が悪魔と化す事も多いだろう。
本来人間の本質、本能というのはジョー達のように美しいものである。そうであると信じたい。
この時代に比べた今はいくらか自由な社会ではあるが、まだまだ社会には誤ったルールやモラルは多く存在する。
人間が持っている美しい本能が誤った社会のルール、モラルに縛られる事なく、存分に表現できる社会をこれからも更に目指して行き優しい社会、世界をつくる事の大切さを改めて感じさせてもらえた。
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