「クラプトンの薬物中毒は『砂糖』から始まった。」エリック・クラプトン 60’s ヒストリー Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
クラプトンの薬物中毒は『砂糖』から始まった。
クラプトンは好みのギターリストではないし『クリーム』以外は全く聞かない。しかし、日本にはファンが多そうだ。最近たまたま、『砂糖の害』についての医学者の講演を聞いていたら、クラプトンのビデオが紹介されたので、彼の歴史を紐解く気になった。
エド・ブラッドリーがエリックにコケインから中毒になり始めたかと聞く。エリックは砂糖だと。エドが不思議そうに砂糖???と。5−6歳の子供の頃に砂糖が好きで、パンにもつけて食べて、砂糖によって自分の気持ちが変わっていったと。これが最初の中毒で、それからアルコール....などに変わっていったようだ。
そのあとは訳さないが、砂糖中毒は現在の社会の大問題である。加工食品の砂糖の量(コーンシロップ、 フルクトース、果糖ぶどう糖液糖,,,,,,) などあげたらキリがないが、彼の中毒の始まりが砂糖だということに興味を持った。
それで、彼の初期の歴史を紐解き、ここでレビューとしたいと思ったが、やっぱりやめた。ファンじゃないと『わーー』と叫べるような話題が少ない。それに、二時間もあるので、ざっと観賞したい.......ざっと。
それで、このドキュメンタリーの好きな箇所をかく。
Sunny Terry & Brownie McGhee, Robert Johnson, Jimmy Reed, Fats Domino, Maddy Water, T-Bone Walker? Freddie King たちの影響力が大きかったんだね。ブルースの大御所を聞いて学んだんだね。ここで彼に影響力を与えたブルースマンを紹介してくれてありがたい。
インタビューされている人々はヤドバーズのTop TophannやChis Dreja や ブルースブレイカーズのジョン・メイオールなど。
1991年のインタビューでエリックは『16/17歳から20/21歳ごろまで、ギターを真剣に学んだ。酒も飲まなければ、二十四時間家にいて、レコードを聞いて学んだ』と。
ルースターズ( Ben Palmerとの音源を探したいけど? エリックは 2005年のインタビューで、金もなくてこのバンドはプロのバンドじゃなかったけど、一番、好みのあった人達と演奏したかった。これが、そのバンドだと。)、ヤードバーズ、ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイスと歩んでいるわけだが、ブルースブレイカーズを知らなかったし、このブルースが気に入ったので書き留める。それに、もちろん、クリームも。
1)ブルースブレイカーズ を全く聞いたことがなかった。
All Your Love --- John Mayall's Bluesbreakers 1966 これは最高のブルースだね。これが英国での初めてのブルースアルバムだとxxx?が言う。我々は英国のギタリストがブルースをこのように弾くなんで聞いたことがなかったと。クラプトンは厚みのある、暖かい音を醸しだしていると
Topが言う。このような音をエレキで出せるのを聞いたことがなかったと。ここで、落書きにClapton is God と始まったと。ジョンは『クラプトンは恥ずかしがってたと思うが、それを売り物にしょうと思ってなかったと。有名になるより、ブルースプレーヤーとして認められたかった』と。
2)クリーム
No Jazz
最初のギグはマンチェスターのThe Twisted Wheelで、1966年の7月29日だと。ルースターズのピアニスト、ベン・パーマーがロードマネージャーに。
最初のシングルが"Wrapping Paper"(1966 10月)ここで皆が口を揃えて、ブルースバンドの最初のシングルがこの曲? 私もこの曲(下記)は誰が歌ってるのかと思ったほど。クラプトンはこの曲のように人々にショックを与えるようなのが好きだと。
CREAM "Wrapping Paper" French TV 1966
私はサイケデリック調のこのアルバム好きだな。誰かが言ってたけど、ジャックブルースが洗練されていた音楽家だったらしい。歌えるし、Pete Brown との曲作りもできるしね。私はジャックのファンで、彼の力強いボーカルには圧倒されていた。でも、このアルバムは全曲聴いたことがなかった。
C̰R̰ḚA̰M̰-̰F̰r̰ḛsh C̰r̰ḛa̰m̰--1966 Full Album HQ
アメリカ公演は10代の人が客なのでどうこの子達に受けるかが大事だったと。長い演奏は好まれず、クリームの演奏をやめさせろとアメリカのステージマネージャーが言ったようだ。どうしたものかとBen Palmerはスティッグウッド(Robet Stigwood )に相談したら、アトランチックレコードのアーメット・アーティガン(Ahmet Ertegun)を紹介された。アーメットはクリームをクラプトンのバンドだと思っていたようだと。アーメットはエリックにリードボーカルをさせろと。(笑っちゃうね!10代に受けるにはクラプトンが2枚目だと思っていたのかもしれない?)
2番目のアルバムでカラフル・クリーム - Disraeli Gears(1967年)のStrage Brew, 英雄ユリシーズ (Tales of Brave Ulysses)でクラプトンはXXXと共同で曲作りをして成功した。この辺からクラプトンはのしてきたようだ。
ジミー・ヘンドリックとクラプトンを比較している箇所がある。(そりゃ、ヘンドリックスに軍配が上がるのは誰もが周知の通り)エリックとジミーはなんでも演奏できると、でも、ジミーはエキストラ・クオリティーがあると、即興(スポテニアス)演奏は抜群で、クラプトンにはないと。ジミーは革新的で、クラプトンはヘンドリックと演奏することに喜びを感じていると。競争相手としてみてない。ある批評家はヘンドリックスは黒人で、ブルースマンと演奏していて、その素質はすでにある。比べるには不公平だとというような口ぶりだ。
カラフル・クリーム - Disraeli Gears(1967年)
Captured live on November 26, 1968, the British supergroup makes its farewell appearance—now digitally remastered—at London’s Royal Albert Hall.
訳)1968年のロイヤル・アルバートホールでの最後のコンサートで、コンサート全部ではない。リマスターされていると。監督:Tony Palmer
Tubi で貴重なライブを見つけたが皆さんが見られるかどうかわからない。でも、そのDVDを買えるね。リマスター版はなかなかないので、クリームファンだったら最高のビデオ。だから私にとって最高。