おかえり ただいまのレビュー・感想・評価
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ノーベル賞じゃなくフィールズ賞
ノーベル賞には数学賞がないため、フィールズ賞だよと言う恋人の須賀健太。そんな須賀は『ALWAYS 三丁目の夕日』では芥川賞を目指す吉岡秀隆の支えとなっていた。懐かしい。まさかのドラマパートが多かった本作品。東海テレビといえばドキュメンタリーの秀作を世に出しているだけに、ドキュメンタリーパートが少なくて驚いてしまいました。
画期的な試みだったとは思いますが、そのドラマパートが冗長気味であり、要らない部分が多かったような気がします。母親(斉藤由貴)に家を買ってあげるという人生目標を訴えるために子どもの頃のエピソードを入れるというのもややこしくするだけ。犯人側の子どもパートも、事実と合ってないような気がした。がっつり恋人とのエピソードと母親の愛情を描けばいいと思う。
そうは言っても斉藤由貴の涙のシーンにはもらい泣きしてしまったし、ドキュメンタリーでの富美子さんの行動力は目を見張るものがあった。死刑制度の是非を論ずる隙もないほど、被害者寄りの展開は潔くて良かったし、悲しみを乗り越えて「利恵の事件」を風化させない活動を続けているどころは後味も良かった。人生は二つある!
被害者側の気持ちはわかるけど
名古屋闇サイト殺人事件の話。
前半が斉藤由貴をお母さんにした再現ドラマ、後半がドキュメンタリーの構成。
一人娘を殺されたお母さんの無念の気持ちはわかるけど、容疑者3人とも死刑にならず、2人が無期懲役なのが不服だと言ってるのがイマイチ理解できない。
死刑制度の問題や前例主義の量刑の問題を問うているのか、何が訴えたい事なのか、わからなかった。
事件を風化させてはいけないとは思うが、作品の出来としてはイマイチ。
往年の斉藤由貴ファン必見
2020年映画館鑑賞109作品目
前半再現ドラマ
後半ほぼドキュメンタリー
30代を演じるポニーテールの斉藤由貴がかわいい
年上の女優でかわいいと思えるのは彼女だけ
久々にヨーヨー捌きをするのだがファンにはとても嬉しい
演技力も素晴らしい
特に警察で娘の遺体が発見されたことを告げられたあとに泣き出すシーンはもらい泣き
斉藤由貴が鼻水まで出して熱演
100%ドキュメンタリー映画なら観なかっただろう
風化させてはいけない
どんな手を使ってでも1人でも多くの人たちにこの事件を思い出してほしい
それには餌が必要だ
餌無しで魚を釣ろうとしても成果はなかなか得られまい
斉藤由貴は餌なのだ
闇サイトの三悪人を演じた三人が全く無名の役者というのが良い
殺害シーンは車外から音だけでその詳細は描かなかった配慮も良い
よく覚えていないが「殺しちゃいましょう」「そんな感じで」
軽すぎる
人間とは思えない
殺人マシーンだ
死刑判決から無期懲役に減刑した高裁の裁判官の発言もとても血の通った人間とは思えなかった
人を裁く機械だ
森達也のような人間にこそこの映画を観てほしい
2960
悪のネットワーク
ネット社会は、人の孤独化を緩和させるだけでなく、このように悪の芽を集わせ犯罪を拡散させていく。以前ではあり得ないような悪の共感者を集わせる。
このように、世の中の変化に連れて犯罪も進化しているのだ。
なのに司法は、相変わらず、従来の慣例に沿った思考しか持ち得ていないのではないか?
司法はこの旧態依然とした体質は変わらないのだろうか?
私は本件につき、決して不当判決とは思わないが、一審の判決を減軽した理由が腑に落ちないのである。
無難な仕事に終始するのではなく、司法も思考と議論を尽くして欲しいと思う。
当時の報道で概要は知っていたつもりだったけど…やはり事実は重い。色...
当時の報道で概要は知っていたつもりだったけど…やはり事実は重い。色々考えさせられている。ネットで知り合い、全く知らない人を殺そうと簡単に合意してしまう、そして本当に殺してしまう。その過程の不気味さ、闇、みたいなものは、今の社会のどこかにも、多分息づいている。その精神構造の呆れるくらい、哀しいくらいの単純さは、どこから来るのだろう。外か?内か?情愛を受けられない人は、今も昔もたくさんいた筈だ。やはり、それだけに理由を求める訳にはいかない気がする。お母さんの姿に人間の力強さを感じた。人間は自分の思い通りではなくても、現実を受け入れ、折り合いをつけて、力強く生きることが出来ると思いたい。
対岸に在った加害者と被害者
日本の司法のあり方を問い続ける齊藤潤一監督作。今作は事件までをドラマで、そして事件後をドキュメンタリーで構成し『名古屋闇サイト殺人事件』の深層に迫る。
2007年8月24日深夜、帰宅途中の女性が携帯電話の闇サイトで知り合った三人の男に拉致・殺害・遺棄された。
被害者の子供の頃から事件当日までの生活をじっくりと描いた。斉藤由貴、佐津川愛美、大空真弓、浅田美代子という四人の女優たちが幸せの時間を紡いだ。
一方で被害者の命を絶ち主犯となる男の人生を追った。愛情を知らず決して救われることはなかった。
男は被害者をハンマーで何十回と叩打したようだ。
彼は死刑を望み、死刑となった。
世界でも有数の『治安が良い国』とされる日本だが、何の希望もなく壊れてしまった人がどれだけいるだろう。そしてそんな人たちの存在を意識することなく幸せに暮らしている人がどれだけいるだろう。
再現部分が長すぎる。
事件を風化させないためにも映画として残す事の重要性は十分に理解した上で、映画としてのクオリティは低かったと言わざるを得ない。
ドキュメンタリー部分をもっとしっかり扱い、事件や時代を掘り下げたり、被害者の母親の活動に焦点をあてたり、死刑の在り方を問うなど、アプローチの方法はいくつもある。
もちろん、その中で今回の手法を取ったんだろう事は想像できるが、構成の問題かもしれない。
あくまで、映画としての評価で★2
「遺族の応報感情」について考える
死刑制度に関する議論は、イシューが複雑にからみ合っており(死刑の存置か、廃止か)容易に結論を単純化することは危険である。
この作品を観る人によって感じるポイントはさまざまだと思うが、個人的には「被害者遺族の応報感情」について深く考えさせてられることになった。
死刑制度肯定論の根拠のひとつが、「死刑でなければ、被害者が浮かばれない」「遺族の気持ちを考えると死刑もやむなし」と被害者遺族が加害者の死刑を強くのぞむ場合の応報感情(復讐感情といってもいい)にある。
本作品でも被害者の母親が加害者3人全員の死刑を強く要望している点がクローズアップされる。
しかし事件の詳細を読み込んでいくと、遺族の希望通りに3人全員が死刑に該当するかは強く疑問が残る。また、全ての殺人事件の被害者遺族が加害者の死刑をのぞんでいる訳でもない。また、加害者自身が死刑を目的にした殺害におよぶ場合は、逆に加害者の「利益」に資することになってしまう。
残虐な事件と裁判の行方が報道されるたびに、「被害者および遺族の人権はどうなんだ!」と「第三者」が反発するが、そこには当事者の意見は直接反映されることはない。
遺族の応報感情は、個別具体的なものであり加害者の死刑処置によって一律に全てが解決されるわけではない。遺族の感情回復と死刑制度云々と本当に不可分の関係なのかあらためて考える必要があるのではと思う。
前半のドラマ部分は脚本や演技の面で正直あまりいい出来とはいえない。だが、逆にドラマ部分の出来が完璧すぎると、とても直視できるようなものではなかったかもしれない。
あのとき救えなかった子供が大人になって強盗殺人をした
死刑の議論は難しい。
日本の死刑は絞首刑だけだが、外国では電気椅子や銃殺、ギロチンなどがある。先進国では残虐刑が禁止されている国が多く日本もそのひとつだが、イスラム圏の国ではたとえば石打ちの刑などが現在でも行なわれている。下半身を土に埋めて、こぶし大の石を投げつけるという刑だ。死ぬまで投げつけるので、残酷さは相当だと思う。
仮に日本で石打ちの刑があるとして、被害者の家族は石を投げつけられるだろうか。娘を理不尽に殺された母親でも、他人を傷つけることには禁忌の心理が働くから、相手が死ぬまで石を投げつけるのは難しいだろう。では絞首刑の床を抜くスイッチを押せるだろうか。これも普通の人には難しい。
死刑は人を殺すことだ。他人の死刑を望むが人殺しはしたくないというのは、沢山の人の本音だろうが、ある意味では虫のいい話である。日本では死刑囚は刑務官が殺す訳だから、人殺しを他人任せにしている訳だ。。これは死刑を望む被害者家族だけでなく裁判官にも検事にも言えることで、人を死刑にするなら自分で執行するくらいの覚悟があって然るべきなのかもしれない。
本作品は簡単に言えば、清く正しく生きてきた女性が見ず知らずの三人組の強盗に殺される話である。母娘ふたりで生きてきた母親は、ひとりを除いて死刑にならなかった判決を不服として死刑を求める署名活動を行ない、30万人近くの署名を集めている。しかし死刑の嘆願に署名した人は自分の手で死刑囚を殺す覚悟があるのだろうか。
母親が死刑を求めるのは無残に殺された娘の復讐のためだけではなく、無慈悲で残虐そのものの犯人たちを再び世に出したくない気持ちもあるだろう。その意味では死刑囚に自ら手を下してその死を確認すれば、二度と外の世界に戻ってくることがないという安心があるかもしれない。能動的に殺すのは誰も気が進まないから、水だけを与えて餓死するのを待つという手もある。人権団体から死刑囚にも人権はあると批判されるかもしれないが、一方的に生命を奪われた被害者の人権にはどのように落とし前をつければいいのだろうか。
被害者である利恵さんの死は理不尽すぎるし、母親である富美子さんがこの事件を風化させたくないという気持ちも判る。戦争の歴史を風化させてはいけないのと同じだ。再び戦争が起きないために努力するのと同じように、利恵さんのような被害者を二度と出さないように努力しなければならない。富美子さんの講演はそれに役立っているのだろうか。
映画の中で少しだけ触れられているが、加害者は社会から追い込まれて加害者となったのである。生れた時は赤ん坊だった訳で、その頃から犯罪者だったのではない。ボーヴォワールの言い方を真似れば、人は犯罪者に生まれるのではなく犯罪者になるのだ。犯罪者が育たない社会を作らなければ、第二、第三の利恵さんが殺されるだろう。
人間に優劣をつけ、優れた者が劣った者の人権を蹂躙するのが今の社会だ。優劣の基準はその時その時の社会のパラダイムである。日本の新しい総理大臣は自助、共助、公助などと言って、自己責任論を徹底しようとしているから、自助が出来ない人間は今後も追い詰められ続けるだろう。犯罪者の誕生である。そして第二、第三の利恵さんが殺される下地となる。そうしないためには他人との優劣を争うことが生き甲斐というこの社会の人間のありようそのものを変える必要がある。オリンピックで金メダルを目指す強者を讃えて応援する反対側には、差別されて人権を蹂躙される弱者がいるのだ。
沢山のテーマが錯綜した複雑で難解な作品である。考えるべきことは山ほどある。あのとき救えなかった子供が大人になって強盗殺人をしたと考えれば、我々の身の回りにも今すぐ助けないといけない子供がいるかもしれない。そこで手を差し伸べるかどうかが、第二、第三の寿恵さんが殺されるのを防ぐことにつながる気がする。
ブックマーク
2007年8月に愛知県で発生した闇サイト「闇の職業安定所」で集った3人の犯人達によって行われた、いわゆる「闇サイト殺人事件」と呼ばれる強盗殺人・死体遺棄事件の被害者の話。
前半1時間強はドラマパートで、事件についての描写や、犯人の生い立ちの描写もあるにはあるけれど、主に、というかほぼ1986年からの被害者と母娘のドラマをみせていく流れ。
86年のヤツはネタですねw
後半はドラマカットを若干差し込みつつの母親の思いを感じるドキュメンタリーと、自首した1人に纏わるドキュメンタリー。
面白いとかそういう話ではないけれど、みていくと当時みた事件の概要の記憶が蘇ってくると共に、あまり知らなかった被害者側の話が興味深く、又、憤りを覚えた。
賢く強い女性だったんですね。
今作の主は犯人達ではないし、犯人達に同情の余地はこれっぽっちもないけれど、犯罪を考える上での一助になるかも知れないし、犯人達の犯罪歴とか、異常に淡白な思想や、バックボーンについてももう少し触れて欲しかった。
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