「観客に、スパイの妻たれと呼びかけている映画だと思いました」スパイの妻 劇場版 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
観客に、スパイの妻たれと呼びかけている映画だと思いました
スパイの妻〈劇場版〉
2020年公開
第77回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門銀獅子賞(最優秀監督賞)受賞
編集
2020年にNHK BS8Kで放送されたテレビドラマを劇場用映画として公開されたものです
物語は1940年の神戸で始まり、1945年の神戸で終わります
スパイの妻というタイトル
スパイは誰?
もちろん蒼井優の演じる主人公の聡子の夫、高橋一生が演る福原優作のことです
まず8K で撮影されたドラマであることに注目したいと思います
超精細映像でこの物語を撮ることの意味を感じました
役者達には、戦前の映画の役者のような言葉遣いと話し方をさせています
美術セット、小道具、衣裳も緻密に再現されています
つまり、監督の意図はその時代をできるかぎり、あたかもタイムマシンのようにその時代を切り取ってきたかのような作品にしたかったのだと思います
そうすることによって、観客がこの世界が、21世紀の現代と地続きであることを実感できる効果を得ようとしたのだと思います
夫の優作は偶然手に入れたという日本が満州でやっていた非人道的な生物化学兵器の人体実験の実態という国家機密を米国に持ち出そうとします
そうすれば、第二次世界大戦への参戦を渋る米国を対日参戦に向かうように米国世論を誘導する事ができるだろうといいます
米国と日本が戦えば必ず日本は敗れ、戦争は終わるのだと
この時点では日本と米国は戦争はしていません
ご承知の通り1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃で始まったのですから、この時点での日本の戦争とは、日中戦争しかありません
日中戦争で日本を敗戦に追いやるために米国を日中戦争に参戦させるのだという意味にとれます
彼はコスモポリタンを自称して、忠誠を誓うのは国ではなく万国共通の正義だと言います
コスモポリタンとは、戦前の日本では単に世界を股にかけ、外国と交際の広い人というような国際人を意味しませんでした
インターナショナルも同様です
それは、国際的共産主義活動家を意味していたのです
左翼の方々が今も地球市民と自称されるのはその名残でしょう
そもそも戦前の日本では共産主義活動は悪名高い治安維持法によって非合法とされていましたから、国際的共産主義活動家とはスパイとイコールで結ばれる存在なのでした
優作はどこの国のスパイなのでしょうか?
イギリス?アメリカ?ソ連?
史実ではゾルゲ事件という一大スパイ事件が1941年にあり、日本がソ連を主敵とする北進論からアメリカと衝突する南進論に日本の最高戦略を誘導したソ連のスパイ団の摘発がされています
ゾルゲはドイツ人ジャーナリストの身分を隠れ蓑にして朝日新聞記者の尾崎秀実などを手先に引き入れて政界と軍部のかなりの上位層に食い込んでいたのです
また、史実でも、日本をアメリカと戦争させて敗戦に追いやるように米国世論に盛んに働きかけていたのは当時の中国でしたから、中国?
あのノートやフィルムも中国の用意したものだったのかも知れません
でも、それはどうでもいいことです
そんなことは本作の主題ではありません
おそらく監督の狙いは、このような情報を得たとき、私達21世紀の観客に、あなたはコスモポリタンとして優作のような行動をとるのか?当初の聡子のように「それでは売国奴ではありませんか!」となじるのでしょうか?と問いかけているように思えました
聡子はこう結論をだしました
「あなたがスパイなら、私はスパイの妻になります」と
物語は妻として夫を愛していつもそばにいたいという聡子の想いをメインに後半は進展しますが、聡子なりに非人道的な行為を糾弾したかったのも確かでしょう
クライマックスは1945年の神戸大空襲の夜です
既に東京は大空襲で焼け野原になっており、日本は敗色濃厚になっていました
これがスパイとしての夫が望んだ結果だと聡子は理解してこう言います
「これで日本は負ける、戦争も終わる、お見事です」と
あのような非人道的な事を平然とやるような日本は負けるべきだったのだ
それ故に、それをやり遂げた夫への賞賛の言葉でした
そして同胞の日本人を何百万人も殺すことになることを平然とやってのける男が、妻を騙すことぐらいなんでもないことだろうことにもやっと思い至った瞬間でした
貨物船での密航を憲兵隊に密告したのは夫であり、自分が上海に逃れる為の陽動に自分が使われ売られたのだということにも
浜辺で泣き崩れる聡子がラストシーンでした
テロップで聡子と優作が戦後に再会できたかも知れないという淡く甘い期待を観客に与えて、これが劇映画であることを思い返させて映画はおわります
クライマックスの前に野崎医師の面会を受けた聡子にこんな台詞があります
「いいんです。ひどく納得しているのです
先生だから、申し上げますが、私は、一切狂ってはおりません
ただ、それが、つまり、私が狂っているということなのです
きっと、この国では」
これが本作の言いたい事なのだと思います
防衛三文書の改訂が2022年にありました
それは日本が戦争ができる国に変わるための実質的な解釈改憲だったという方もおられるようです
本作が製作されている頃は、ちょうど改定に着手されていた時期だったというわけです
防衛三文書改定に反対する人に非国民、売国奴だとの言葉をぶつける方もいたようです
こういう風潮に警鐘をならしたいという映画だと理解しました
そして観客には、スパイの妻たれと呼びかけていたのだと思います
例え非国民とよばれようとも万国共通の正義に照らして正しいと思うことをなすべきだと
蛇足
今日は2025年8月3日
80年目の敗戦の日はもうすぐです
昨日中国では本作のモチーフとなった731部隊を取り上げた映画が急遽公開が延期になったとのニュースをみました
日中関係悪化を懸念して中国当局の介入があったとの分析がありました
米中対立激化の中、日本を中国側に引き寄せたいとの中国の思惑があるのでしょう
チベット、ウィグルでの非人道的問題、自由の失われた香港の現状、
台湾への軍事恫喝、尖閣諸島への執拗に繰り返される中国艦船や航空機の侵犯
自分には戦前の日本が中国に亡霊となって乗り移ったように感じられて仕方ありません
それでなくてもウクライナ戦争を目撃している私達は戦争が近づいている恐怖を感じるのです
そのロシアも果てしない消耗戦の末にかってのソ連崩壊のように国家崩壊に至る日が近いとも言われています
スパイの妻であれと期待されるのは中国の人々のようにも自分には思えます
しかし中国の反スパイ法は、戦前の日本の治安維持法よりも厳しく、公安警察組織も特高警察や憲兵隊も裸足で逃げ出すほどの苛烈さのようです
日本の薬品会社の人がスパイとして突然逮捕されさて禁錮3年6ヵ月の判決を受けたとのニュースもつい先日のこと
台湾有事のあと
聡子のように「お見事です」と言うのは日本人なのでしょうか?それとも中国人なのでしょうか?