アプローズ、アプローズ! 囚人たちの大舞台のレビュー・感想・評価
全63件中、21~40件目を表示
舞台にゴドーは現れない
囚人たちが演じるゴドー待ちが素晴らしい。
退屈しか感じられず、観もしなかった芝居が生き生きしている。
そして最後の頂点で自由を求める奴等がたまらない。
最高の舞台と評したベケットに感激。
実話に基づいているそうですが、私には、映画化した意図が分かりませんでした。
殺人犯を含む囚人たちに、お芝居の稽古をつけて、「役者」として各地で上演させる人間模様を描いていますが、「ラスト20分。感動で、あなたはもう席を立てない!」という華々しいキャッチフレーズは、私には、とても過大に思いました。
お芝居を演じさせることで、囚人たちの人格を矯正して、社会復帰の一助にすることを狙ったようですが、それが「裏目」に出た格好です。
舞台に立ったら役者として、観客からアプローズ(applause、拍手喝采)を受けても、演じ終わったら刑務所に戻って、観客から贈られたプレゼントは全て没収されてしまい、囚人としての扱いの毎日を過ごす。
これでは、「自分たちは何のために、演じているのだろう?」と、囚人たちが、次第に気持ちを腐らせていくのは、仕方が無いと思いました。
実際に、1985年にスウェーデンで起きた事件に基づいた内容だそうなので、その事件の経過を詳しく知りたい方には、関心が有るのかなぁ?と思いました。
事実は小説より奇なり
刑務所で待つ身から、戯曲を演じて自分が変わることで環境も変わる様は観ていて眩しい。
演出家と囚人達のなんとも言えない信頼関係が序盤、中盤、終盤で様々な結果を生んでいる。
エンドクレジットは笑いながら涙が出た。
犯罪者の自意識には、やはり限界があるのだ。
服役中の囚人は自由がほしくて逃げたのではないだろう。
プレッシャーに耐えきれなくて逃げたのだと思う。
しかし、エチエンヌの語る"逃げた言い訳"を聞いている人たちの許容力は素晴らしいと思うし、今の世の中にも、こんな心の余裕がほしいところだ。
そして、この囚人たちが逃げたことを題材にした演劇がつくられ、上演されているという。なんて素晴らしいんだろう。
やはり、犯罪者は犯罪者だけあって、自意識は低い。
大舞台を成功させれば、刑務所を出た後の人生も変わってくるとは思うが、そもそも何かから逃れたくて犯罪を犯しているわけだから、人間はなかなか変わることが できないということだと思う。
ぜひ、劇場でご覧ください!
テンポ良い展開の映画。囚人たちも魅力的。
芝居の舞台の雰囲気もよくでてて、久しぶりに観劇に出掛けたい気分になりました。
ストーリーは実話ベースとのこと。劇中劇「ゴドーを待ちながら」の作者ベケットが、ことの顛末を喜んだとか。ニヤニヤ笑ってる様子が目に浮かびます^_^
エンドロールの写真は、本物の囚人たちですか?!ファッショナブルで、ジャケット写真か何かみたいで、カッコよくてびっくり!
まさに不条理
映画館で鑑賞しました。
実話を基にした物語ということで、映画のストーリーとしては、パンチが効いていない感じもあります。一方、実話だと考えると、逆にここまで服役囚に色々自由にさせてくれた司法関係者たちが凄いな、とも感じます。
服役囚たちに演劇を教えるエチエンヌも単純に良い人というわけではなく、自分のエゴを出してくる感じや、逆に服役囚の普通の人が持っている感情(息子と会いたい等)を描くあたりは、とてもリアルさを感じました。
ただ、公演に行く度にすぐに調子に乗って問題を起こす彼らを見ていると「だから服役するんだよ」という気持ちになったりしました。また、多分それなりに懲罰受けてるけど、また公演に行けるようになっている辺りを見ると、さすがに甘すぎやしないか、と思ったりもするわけです。
最終的に彼らは公演の直前に逃走するわけですが、そりゃそうよね、いつか逃げ出すよねという感じです。
自分の中で感覚が合わないなと思ったのは、服役囚たちが逃げ出して、エチエンヌが一人でこれまでの経緯であったりを話すわけですが、そこで観客から拍手喝さいを浴びます。これは何に対しての拍手だったのでしょうか。逃走するような服役囚たちをこれまでまとめ上げてきた彼に対する拍手なのでしょうか。
また、エチエンヌは拍手を電話越しにカメルに聞かせ、お前たちへの拍手だ、みたいなことを言いますが、こんなこと言えるんですかね、と思ってしまいました。エチエンヌからすれば、自分だけでは到底たどり着けない最高の舞台を体験させてくれた、という気持ちもあるでしょう。しかし、最高の舞台で演技をする彼らを見たかった、俺の演出をこの舞台で発揮させてほしかったという悔しさもあるでしょう。その悔しさを押し殺してまであのセリフをエチエンヌが言えるのでしょうか。服役囚の気持ちを変えられなかった、と完全に諦め、どうでもよくなったから言ったのでしょうか。
色々と疑問点を書き連ねてしまいましたが、自分としては、エチエンヌが舞台上で刑務所長にお礼を言ったところは感動しました。
まあ実話ベースだから
囚人たちのワークショップとして演劇やって《ゴドーを待ちながら》を上演しようって話なの。
最初の上演までは面白いのね。囚人たちが変わっていく感じもあって。
上演依頼が殺到して、繰り返し公演やるんだけど、そこは退屈。
同じことの繰り返しになっちゃうからね。
囚人たちは屈辱的な全身検査をされたりして「酷い」とは思うんだけど、服役中だからね。
そもそも懲役は、執行権を持ってない者がやったら監禁で犯罪だから。それを課されるってことは、ある程度の人権を奪われることだし、しょうがない部分もあるの。
特に、公演後に酒飲んで、全裸で騒いでいるのは、やりすぎ。自由になりたかったら、懲役を全うしろって話なんだよ。
それで、パリのオデオン座から公演依頼がきて、全裸で騒いで懲罰房に入れられたみんなもなんとか集めて、最終公演になんだよね。
『ラスト20分。感動で、席を立てない』って宣伝も言ってるし、ここでガーンと来るのかと思って観てると、囚人たちが全員脱走すんの。ひでえな。
それで、舞台では、演出家が彼らと《ゴドー》を演じることになった顛末を語って拍手喝采受けて、なんか良い話だなあってことになってんだけど、どうなの。
ひどい話だと思うんだよ。
でも、最後に全員脱走するって、なんかすごいなとも思うの。そこまで築き上げた信頼とか、全部、裏切って逃げるんだよね。
刑務所側も、自由にさせすぎた感はあるの。服役囚だからね。罪を償うために服役してる人たちなの。塀の外の人と全く同じ人権を適用したいなら、そもそも服役させてない。
それでも、人を信じて、裏切られて。でも、演出家と囚人のあいだに何かは残って。それを観てる人たちにも何かが残った。そこが、壮絶で、面白いなと思ったよ。人間って面白いね。
受刑者(犯罪者)の社会復帰
受刑者(犯罪者)の社会復帰については法務省もイメージキャラクターを設定したり、啓発・広報に努めているが、運動としては今ひとつ盛り上がっていない。
社会復帰促進の「切り札」の一つが開放処遇なのだが、本作は、その在り方を問いかけているようにも思う。
いずれにしても、服役者達の舞台の成功に、自らの再起をかけるようなエチエンヌ(カド・メラッド)の姿が胸に沁みる。
悲劇ではなく喜劇
昔の手法で作られた映画。黒沢明を思い出す。
レビューに酷評があるが、これは悲劇ではなく喜劇だと考えれば納得出来るところは多い。ラストの音楽も良かった。ラスト自分がやりたかった場所で自身が講演するとこなどは喜劇として見たら笑える場所になっている。見た印象としては面白かった。
事実としては面白いが
囚人たちが最後に逃げ出した心境も、
演出家の苦悩も伝わらなかったので、
何も残らない結果となったのが残念。
そもそも、演出家と囚人たちの絆もそれほど描かれていたとも思えなかったし。
感覚が合わない
刑務所の囚人メンバーが、市井の食い詰めた俳優さんからの演技指導のもと「ゴドーを待ちながら」を練習して、刑期中なのに特例で塀の外のホールで舞台上演する、それが評判を呼びまくった挙句に
チラシに「予想外のラストがあなたを待っている」っていうなんか捨て身極まりない売り文句がおどる、確かにその通りだったけど、それを芸術として讃美する胆力は持ちあわせず
スウェーデンで起こった実話らしいけれども、ヨーロッパのこの辺りの感覚のピンとこない感じ、ビジネスの経験的にもほんと遠いんだよなー
我が国はなんとなく欧米陣営、かつ地理埒外の極東にいて、わかってるけど根元が合わない
どうよ?サミュエル
素晴らしい作品。
実際の囚人たちは、
最初から計画していたのでは?
と、当時考えたりしていたが、
それぞれのその後の、
断片的な情報から類推すると、
ゴドーに関して考えたに違いない、
としか考えられない。
(そんな記憶がある。)
拍手の先には何もない。
賞賛されても、
助けてくれる者、
手を差し伸べてくれる者、
もちろん神様なんて現れない。
劇中でも出てきたが、、、
どうよ?サミュエル、
ゴドーなんて待たないよ。
演劇ファン向けかな
実話らしいし、意外なラストだが、「シャイニー・シュリンプス」とかの方が面白い。偏見も込めてヨーロッパ映画でありがちな、説明なく話が飛ぶパターン?「1年後?あ?いけたん?」みたいな。ラストが響くのなベケットが好きな人とかじゃないかな。誇大広告かな、少なくとも私の涙腺は緩みませんでした。
えっ👀⁉️最後がこれ…
信頼を築くことは大変で、裏切られた時の残念さは計り知れない。最初から人を信じない方が良いと思うけど、信じてしまうのよ…日本人は。中国の教えでは、騙された者が悪いという文化があり、同胞であっても信じないらしいけど…😢
最後の最後でこれは、演出もやりきれない。やはり、自由は素晴らしいということなんだろうけど…
演劇は、本当に矯正や更生に役立つのだろうか?
主人公が、なぜ、囚人たちに本格的な戯曲を演じさせようとしたのかが分からず、映画が始まってから、ずっとモヤモヤしていた。それが、予想外のラストで明かになり、ある意味、そのことも伏線だったのかと納得させられた。
ただ、「待つこと」を知っている囚人たちだったら「ゴドーを待ちながら」を上手く演じられるはずだと思ったという説明は、少し綺麗ごとすぎるようにも感じてしまった。
売れない舞台俳優の彼にとって、演出家として称賛されたいという願望は間違いなくあっただろうし、実際、オデオン座の舞台の上で拍手喝采を浴びたのは彼だったのである。
あの場で、本当は、自分のためにやったことだと、正直な気持ちを吐露していれば、ラストのスピーチは、より感動的なものになったのではないか・・・
それにしても、「自由へ逃避」した囚人たちは、更生することができたのだろうか?
Let us be free.
ヨーロッパの作品は、文学、映画、音楽、舞台、建物、アートなど、波長が合うと、私は心の土台ごと揺さぶられます。
この映画は、まさしくそれで、後半にいくにつれ、私の予想を上回り…最後、映画のキャラに共感してでなく、自分事として泣けました。
こういう、自我を揺さぶる問いを投げてよこすところが、ヨーロッパの文化です。
子ども時代、家庭では、親の決めたルールに従う。
学生の時には、校則を守り、各種行事に参加し、テスト勉強を行う。
社会人になったら、会社で求められる役割を果たす。
結婚し、親になれば、家族が仲良くいられるように心を配る。
社会で生きていく以上、自分のやりたいことよりも、周りから期待される役割を演じることを優先する方が、楽な気がします。
でも、それは、ゆっくりと自分の心を殺す行為なのかもしれません。
オデオン座の公演から逃げだした囚人たちは愚かなのか。
それとも、逃げだす選択肢さえ思いつかない私たちの方が馬鹿なのか。
自由と勝手の線引きはどこなのか。
1回全部リセットして、すべて投げ出して、誰も私を知らない世界に行ってみたら…どんなに息がしやすいだろう。
でも、それなら、今ここで、自分が息をしやすいように行動と環境を変えてもいいんじゃないと思いつく。
他人に迷惑をかけないで、自由を満喫する方法を、今なら見つけられる気がします。
早速、図書館で、「ゴトーを待ちながら」を予約しました。
しばらく、ベケット作品に浸ります。
こういう映画大好き!
娘の言うように主人公はわがままを通してばかり。周りの人が偉いな。
逃げるか逃げないか最後までハラハラ。
ほんとの話しでありながら、いちおうみんな役者なんでしょ。ほんとに囚人に見えました。うまいなぁ。
全63件中、21~40件目を表示