シンプルな情熱のレビュー・感想・評価
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恋の真実は変わらない
恋の終わりはいつもいつも
立ち去る者だけが美しい
残されて戸惑う者たちは
追いかけて焦がれて泣き狂う
1977年(昭和52年)にリリースされた中島みゆきの「わかれうた」の一節である。古い感覚や価値観のことを「昭和だ」といって否定されたり揶揄されたりすることがあるが、中島みゆきの歌に限っては、古さを少しも感じない。ましてや「昭和だ」といって否定されることは決してないと思う。時の風俗や流行り廃りを超えたものがあるからだ。
ヒロインのエレーヌを演じたレティシア・ドッシュは2018年に日本公開された映画「若い女」ではなかなか見事な演技を披露していた。「若い女」では、価値観の揺れ動く時代にあって、変わってゆく価値観に流されつつも、前向きに強く生きていく女性を演じたが、本作品ではシングルマザーにもかかわらず恋に堕ちて見境を失くしてしまう中年女性を好演。
当方は男なので、女性の性欲がよくわからないが、恋多き女性とそうでない女性がいるのは確かだと思う。男性が一様に性欲があるのに対して、女性は性欲の強い人とそうでない人、性欲がまったくない人がいる。性欲の強い女性が恋多き女性なのだろう。そして恋多き女性は、性欲が満たされる間はひとりの男に入れあげ、その男から満足が得られなくなったら別の男を求める。男性は複数の女性と同時に関係を持つことが平気だが、女性の殆どはそうではない。浮気をするのは男性の割合が多いのはそのせいだ。妊娠しないからだろう。
本作品のエレーヌはかなり性欲が強い方で、オルガスムスのためには予定も変更するし、息子のことも放ったらかしにする。アレクサンドルはそれを解っているから、じらしてエレーヌの感度を上げる。逢うのもじらすが、性交時も、キスをしたいエレーヌをじらして唇をなかなか合わせない。エレーヌはキスを求めて口走る「Je t'aime, Je t'aime」。アレクサンドルはそんなところに満足するが、そぶりも見せない。恋のテクニックだけがアレクサンドルの矜持なのだ。スケールの小さい男である。
恋は性欲だが、同棲や結婚をして人生を共にするには相手への尊敬が必要である。男を尊敬できない自分に気づいたとき、未来への展望は幕を閉じ、同時に恋も終わる。男は女が自分から離れようとしていることに気づいて、漸く、尊敬される男を演じようとするのだが、時は既に遅い。
中島みゆきの歌詞はいろいろな受け取り方があるだろうが、立ち去る男と追いかける女という図式ではなく、立ち去る女がいる一方で、残される女たちがいるという意味だと思う。女が立ち去るときは、相手への尊敬を失くしたときだ。尊敬できない相手とのつき合いをやめるのは潔い。だから美しい。尊敬できるかどうかわからないが、与えてくれるオルガスムスがほしい女たちは追いかけて焦がれて泣き狂うという訳だ。だからみっともない。
中島みゆきが25歳のときの歌である。中島みゆきは自分もみっともない女たちのひとりとしてこの詞を書いたのだろう。本作品のエッセンスは中島みゆきの歌詞に集約されているように思う。40年以上の時間の差と、日本とフランスという場所の違いがあっても、中島みゆきが看破した恋の真実は変わらないのだ。
ご注意ください!ぶらぶらさせているだけです
人物描写ほとんどなし。出会いのきっかけもわからん。 わかるのはセルゲイ君はロシア大使館にお勤めで、仕事は警備。スパイの匂いをちょっとさせるが、タトゥーあんなにいれて、目立ちすぎでしょ。
セルゲイ君は無表情で、お芝居感ゼロ。
セックス描写も全然エロくない。
気の利いた会話やピロートークもない。
禁断の逢瀬といった感じゼロ。
普通の不倫より盛り上がりなし。
予告編で充分です。
シンプルな情事です。
バツイチ奥さんはフランス文学の講師の設定だが、ボードレールがなんとかとか、短い内容のない台詞だけで、学生のリアクションもイジリもなし。普通の隣の奥さん(好きなタイプの女優さんだったのにもかかわらず)。失恋した感じの役作り感もゼロ。8ヶ月後の復活の理由も不明。子供はイケメンで可愛いけど邪魔。
8ヶ月後の方が自立した男女としてヤレたという感覚は芽生えたらしい。奥さん少し成長したのかな 純文学なんだよね~
昔の小説の映画化らしいが、はっきり言って現代版での映画化はインパクト弱い。そもそも、携帯がない頃の話だから、だって、マッチングアプリしちゃうのなんか、イージー過ぎるのよ。
ぶらぶらしたものは二度ほど写ってましたが、フランス映画のアレはみんな魚肉ソーセージみたいな画像処理してますなぁ。R18プラスはお約束?
【フェミニンで、マニッシュな2人の情愛】
最近は「燃ゆる女の肖像」とか、「アンモナイト」、「スーパーノヴァ」なんかのノン・バイナリーの作品が増えて、大人の男女の恋愛が取り上げられることは減ったような気がする。
そんななかで、この作品は、フェミニンなエレーヌと、マニッシュなアレクサンドルの2人の大人の情愛が綴られる。
最近は見かけなくなったけど、僕の通うジムにタトゥーを入れている女性が複数いる。
腰のところと、背中の肩近くにタトゥーがあった。
それぞれ別人だ。
割と露出めなウェアだし、まあ、意図的に見せているのだと思う。
タトゥーのデザインまで話せないが、この作品を観て、自分も興奮するのだろうかと、ふと考えてしまった。
自分や自分の周りにいないような異質な人に惹かれることは確かにある。
単調で退屈な日々を過ごしていれば尚更かもしれない。
性欲だってかなりある。
息を潜めていているだけだったりする。
ちょっとしたきっかけで溢れるように出てくるのだ。
頭で考えて分かっていても、いとも簡単にモラルを超えてしまうこともある。
そんなことは、実は、ありふれたことではないのか。
僕は、そう思う。
この作品は、セックスシーンが話題だけれど、僕は、さほどでもないと思った。
最近リマスター版がリバイバル上映された「愛のコリーダ」の方が、より性に対して率直でストレートな気がする。
どちらかというと、この作品で印象的なのは、一気に燃え上がるパッションは、割と冷めることが多いという締めくくり方に2つの解釈を残しているところだ。
言葉の通り、激しく興味を惹かれても、理解して、気持ちが冷めていったのだと思う人がいれば、敢えて自ら、そのように思い込むようにしているのだと感じる人もいると思う。
それは、過去の、このような男女の恋愛体験によって異なるのではないのか。
燃え上がるのは「シンプルな情熱」でも、エンディングも観る人々の想いも、実はシンプルではないのかもしれない。
でも、これが、ある意味、後腐れのない大人な情愛かもしれない。
それは、なんかシンプルで良い気がする。
よく恋愛と結婚は違うなんて話をする人がいるが、僕は、そうは思わない。
結婚には恋愛感情は必要だし、セックスもとても重要だと思う。
もっとエッチでも良かったかなと考えて、マイナス0.2かな。でも、四捨五入するから意味なし。
※ ところで、「スーパーノヴァ」のレビューから、所謂、LGBTQ+を含めて、二元論的な男女のカテゴリーに分類されないという意味のノン・バイナリーという表現を使うようにしている。
先般、庵野秀明さんを招いて開催した宇多田ヒカルさんのインスタライブの冒頭部で、LGBTQ+を含めたノン・バイナリーという窮屈じゃない表現があるのを知って、彼女は、これを使うようにしていると言っていた。
これは、表面的には女性(男性)だけど、正確や嗜好が、男性っぽい(女性っぽい)、或いは、中性的な服装をすることが好きだとか、恋愛ではないけれど、異性よりも同性の友人といる方を好むとか、「自分自身に属性の判断が委ねられて」いて、宇多田ヒカルさんも自分はノン・バイナリーだと言っていた。
皆さんはどうですか。
僕は性自認として、かなり男性だけど、小学校の高学年まで、男の友人とベタベタするのが好きだったことを思い出した。
もし、宜しければ、ノン・バイナリーという言葉を使って、気軽に話してみてください。
参考まで。
今年観た映画で最低の作品
シングルマザーで年下の男性と不倫に陥る大学教員の話と言うことで、どのように描かかれるのかと関心を持って観た。冒頭の女性のモノローグが始まって、この映画は駄目だと感じた。原作を読んでいないので、映画だけで判断していけないとわかってはいる。恋に溺れる心情への鋭い演出は全くなく、ストリーをなぞるだけ。ただのセックスの相性が良かった男女を描いただけの映画ではないか。どこに愛と官能が描かれているのか疑問。女優さんは美人だが貧乳で魅力なく、男優もどこが魅力的なんだろう。入れ墨だらけで、腹筋も割れていない。
「あの胸にもういちど」のアラン・ドロンとマリアンヌ・フェイフルスが懐かしい。美人の裸が見れたので2点献上しました。
90年代に読んだ原作に再会できた極上の時間
30年近く前にハマった透明感のある小説[シンプルな情熱]が映画化された。それも、本家フランス🇫🇷映画として、久しぶりに王道のフランス映画に浸れた。
この原作の映画化は不可能では?と、思っていたけど、抜群にドンピシャなキャストだったと思う。
主演女優は、原作者アニー ・エルノーに似た知的な女優で今後注目したい。ポルーニンはこの役に150%ハマり役❣️
いつまででも見ていたかったほど、素敵だった。監督は女性ならではの視点で作ったことに大いに納得した。
恋を盲目的にできる、ということは人生において、誰もができることではないけど、そういう恋に身を焦がせらることは、幸せなんだと思う。この映画に共感できる、できないは、もしかしたらそういう感情を持ったことがある人かどうかで分かれるのかもしれないけど、やはり恋する気持ちは人を豊かにすると思った。なんてソフィスティケートされた映画なんだろう!
確かにシンプル
セルゲイがとにかくエロくない。ミスキャストだと思う。
で映画は官能的でも扇情的でもない。駆け引きや嘘や裏切りがない。切なさもなく実にシンプル。狙ったのだったら大成功。
本国での立ち位置が軽いポルノだったらお門違いなレビューだろうけど、今時映画館で中途半端な情交見に行く人いるだろうか?凄い期待した一本なので悔しい。昔のフランス映画はもっとウイットがあったと思う
フランスの大御所アニー・エルノーによる小説の完璧な映画化
「昨年の九月以降、私は、ある男性を待つこと以外、何ひとつしなくなったーー」
30年前、「男が求め、女は求められる」という構図を逆転させ衝撃を呼んだ、ノーベル文学賞候補のひとりでもあるフランス文学界の大御所アニー・エルノーによる小説の映画化作品。女性監督ダニエル・アービッド監督が、舞台を現代に置き換え、忠実に映画化。
実力派レティシア・ドッシュによる演技は素晴らしく、セルゲイ・ポルーニンの鍛え上げられた身体は美しい。
好きになった人との会えるまでの胸の高鳴り、会っている時間の短さ、会えないもどかしさ。性的シーンは、不思議なくらいいやらしくなく、観ていて美しかった。
ウォン・カーウァイ監督『天使の涙』でも有名なフライング・ピケッツ「Only You」が胸に響きました、、!
ベッドシーンが多いので一緒に見る人は選びましょう。
人間は愚かだ。先のない恋だとわかっているのに気付けば夢中になってしまう。
恋愛は惚れたもん負け、そして失恋はいつだって時が解決してくれる。過ぎ去って気づく、恋がもたらす多幸感と苦しさは自身を一皮も二皮も剥かせてくれる最高のギフトなのかもしれない。
今この瞬間も世界中のあちこちで“情熱的な恋”の物語がいくつも生まれているのだろう。まぁ、そのおかげで子孫繁栄、こうして私もこの世に存在している。
とはいえ、エレーヌの“情熱”は行き過ぎだ。仕事の論文にも手がつかず、息子の世話も上の空、ほぼ育児放棄で情事に耽るエレーヌ。
母性神話の強い日本人には理解できないことも多いが、フランスでは夫・彼氏>子ども といった構図が普通だ。ただしエレーヌのようにここまで恋にのめり込むと手の施しようがない。彼女の情熱の矛先が他のことに向けば偉業を成せるかもしれないのに。
恋はアルコールと同様、とびきりの快楽と高揚感、時には人生を豊かにしてくれる良薬であることには違いない。ただしどっぷりハマりすぎは猛毒、中毒となりエレーヌのようになってしまうから適量が大切。
だけど恋愛ってアルコールと違い相手のあることだから自分ではコントロールが難しい。スパイスを楽しみながらも客観的に自分を見つめることが大切なのではないだろうか。自戒も込めて。
ストーリー的にはエレーヌに突っ込むところが多い(この人やばい的なw)が、さすがはフランス映画、オシャレで粋で、画は素晴らしい。エンディングで流れるフライング・ピケッツのカバー「Only you」も最高!
そして本作は、男性からの共感は少ないのではないかと。重い恋煩いになった女心を理解する上では勉強にはなるかもしれない。
今恋愛で苦しい思いをしている人、過去にこのような壮絶な恋愛経験をした人、またはメンヘラ気味の女性(失礼w)はめちゃくちゃ共感するだろうし、そしていま絶賛不倫中の人にも是非見てほしい。色々と目が覚めると思いますw
彼と会う時はとびきりお洒落して、彼の趣味に合わせたお洋服買ったり、ここは本当に共感しかなかった!
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