劇場公開日 2020年7月3日

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「人間の本質的な愚かさ」ロード・インフェルノ 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0人間の本質的な愚かさ

2020年7月17日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

 人間は誰も多かれ少なかれ頭がおかしいのかもしれない。本作品に登場する人物はそういう人ばかりだ。揉め事のきっかけは、高速道路での煽り運転である。主人公(と言っていいのか)ハンスは、自分が煽られたら頭に来るくせに、他人の自動車を平気で煽る。反省がないというか、想像力の欠如というか、日本でも同じか。

 他人の頭の中を覗き見ることは出来ないから、何を思い、考えているのかは言葉や表情、あるいは行動で判断される。その判断は判断する主体の尺度でなされる。つまり人は自分を基準にしか物事を判断できないのだ。悪意のある人は他人にも悪意があると思い込む。自動車運転で言えば、もともと悪意を心に抱えている人は、煽られていなくても煽られたと思う。自分が煽り運転をする人間だからだ。そして仕返しに煽り運転をする。要するに性格が破綻している人間なのだ。ハンスも老人も、同じ穴の狢である。

 2013年公開の阿部サダヲ主演映画「謝罪の王様」では何があっても兎に角謝り倒していた。仕事上で謝罪することは割と抵抗なくできるだろう。しかし内心では、仕事だから謝るけどプライベートだったら絶対に謝らないのにと思う人もいるかもしれない。そういう人はつまらないプライドに精神を侵されていると言っていい。だから実生活では謝るべきところで謝ることが出来ない。
 プライベートでも相手が会社の上司だったら速攻で謝るだろう。相手が警察官でも謝るだろう。謝らないのは相手を下に見ているからだ。そこには無意識の差別がある。差別はする方は気にしなくても、される方は敏感に感じ取るものだ。
 ハンスも、妻や子どもたちを下に見る人間である。追い越し車線を法定速度を守って運転する老人のことも、やはり下に見ている。相手がパトカーだったら、煽り運転をする人間はいない筈だ。差別は権力と金銭的な格差に由来するのだ。それは無意識の差別である。ハンスみたいなつまらないプライドの塊の人間は、自分より弱い立場の人間に対しては謝罪が出来ない。自分がそうだから、相手もつまらないプライドの塊だと断じてしまう。プライドは差別意識を源にする愚劣な自尊心のことで、不良連中が大切にする面子と同じだ。親分にはヘーコラするのに、相手が下の立場だと面子を潰したと言って落とし前をつけさせる。クズである。

 煽り運転の顛末を扱った作品だが、人間の本質的な愚かさに迫っていると思う。世の中の大多数をハンスや復讐老人みたいな連中が占めているところに、問題の深刻さがある。その愚かさは、トランプ、プーチン、金正恩、安倍晋三の愚かさにつながっている。精神構造はヤクザや半グレの連中と変わらない。そういう連中が世界の大半を占めているということだ。人類は賢くなれないまま絶滅する運命にあるのかもしれない。

耶馬英彦