「「物語」か「記録」か」過去はいつも新しく、未来はつねに懐かしい 写真家 森山大道 Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5「物語」か「記録」か

2021年5月24日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

写真に関心の薄い自分は、森山大道について何も知らなかった。
公式HPのコメントに「嘘も真実もない。物語も記録もない」(大森寿美男)とあり、この映画を観るまでは、自分もそんな感じがしていた。
色調をはぎ取った、作り物っぽい写真。写真だけ見ても、“異形”な感じしか得られなかったのだ。

ところが映画の中で、現代の東京を写したカラー写真集「東京ブギウギ」を見て、生々しさと同居する“平凡さ”に驚いた。
現代を生きる自分は、そういう光景が当たり前のようにあることを知っている。
転じて、昔の森山の写真を改めて見直してみると、「嘘も真実もない。物語も記録もない」ではなく、「嘘も物語もないが、真実と記録がある」写真ではないかと思えてきた。
眼光鋭い野良犬にしても、当時は場末には普通に居たのかもしれない。
単に自分が、この映画の中で“復刻”ならぬ“再構築”しようとしている、1960年代後半の“にっぽん”を知らないだけなのではないか。

森山の写真の特徴として、
・粒子が粗い
・ブレ & ピンぼけ
と紹介されたと記憶する。しかしそれだけでなく、言うまでも無く、
・強烈な白黒のコントラスト
があるだろう。

映画の中で、森山が現像するシーンが出てくる。
やっぱり、というか、ネガにはちゃんと微妙な白黒の階調が記録されており、撮影時の露光時間だけの問題ではないのだ。
ナンセンスに長い現像時間で、わざと細かい階調をつぶしている。
だから結局、「光と影」しか残らない。
ということは、この映画で“再構築”された写真集は、ネガから起こし直したものではないのだろうか?

少し前に、映画「ロベール・ドアノー 永遠の3秒」を観た。
ドアノーはパリを撮り、森山は東京を撮る。いずれも、写真家が存在しても、違和感なく完全に溶け込める環境である。
ドアノーは“待つ”人だったようだ。同じ場所で写したい物を探す。
しかし、森山は待たない。軽いコンパクトカメラを持って、歩き続け、そして写し続ける。
自分のような素人目には、ドアノーの写真は「物語」であり、森山の写真は「記録」と見える。
だから、なぜ写真が面白いのかと言えば、東京という街が面白いから、ということに尽きるような気がする。

本作は、一方で御年80歳の森山の姿を追いながら、もう一方で「パリ・フォト」という、世界最大の写真フェアに向けた写真集の制作に密着する。自分は、どちらも面白くて、観ていて飽きなかった。
ただし木材の映像は、“50年”という監督の思い入れが強いためか、長すぎる。
BGMは、ちょっとレトロな雰囲気のドラムの音だけを響かせて、観客の心を煽り立ることが多いが、成功していると思う。
描かれるべきことがしっかり描かれている、引き締まったドキュメンタリーであった。

Imperator