「ラブホテルも立派な日本の文化」ホテルローヤル 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
ラブホテルも立派な日本の文化
言葉はいつも時代のパラダイムの変遷に引き摺られるように変わっていく。日本語ではイメージが変わって不便になってしまった言葉もある。「保母さん」が「保育士」になるとなんだか畏まってしまうし、「婦警」を使わないと「女の警察官」と言わなければならなくなる。新しい言葉が生まれるのは言葉の本質からして当然だが、旧い言葉も便利なときがある。そしてそれを使うのを咎めようとする風潮はよろしくない。そういった風潮は言葉狩りと呼ばれている。
いつの間にか「スチュワーデス」が「キャビンアテンダント」になってしまい、それが女性の場合は「女のキャビンアテンダント」と表現しなければならなくなった。いちいち「女の」と言う必要なんかないでしょうと反論する人もいるかも知れないが、小説でも日常会話でも、登場人物が男なのか女なのかが重要になることがある。だから今後も「保母さん」や「スチュワーデス」「婦警」「看護婦」を使わせてほしい。
その他にも、ここで挙げることは控えるが、現在では差別用語とされる言葉が日常的に使われていた時代があり、その時代の風俗を表現するには、やはり当時の言葉を使ったほうが雰囲気が出る。それに、言わずもがなだが、差別は言葉そのものにあるのではなく、差別する側の不寛容な精神性にある。言葉狩りをして表現が穏やかになっても、差別そのものは潜行して存在し続ける。言葉狩りには表現の幅を自ら狭くするだけの役割しかない。
さて本作品のタイトルにもなっている「ホテルローヤル」は所謂ラブホテルである。性行為を目的として部屋を借りる施設だ。最近では「ブティックホテル」などと呼ばれているが、その前は「連れ込み宿」とか「連れ込みホテル」などと言われていた。それらよりは「ラブホテル」の方がいい気もするが、その呼称に慣れただけかもしれない。
実家が蕎麦屋や中華屋という有名人はその情報を隠さないが、実家がラブホテルだったらどうだろうか。職業に貴賤はないといいつつも、世の中には尊敬される職業とされない職業があるのは事実である。実家がラブホテルというのはそれだけでコンプレックスになる。
波瑠の演じる主人公は割とステレオタイプだが、育った環境が通常とは異なるだけに、主人公まで異常だったら収拾がつかない。雅代をごく普通の人間に設定したので、物語が安定した。
ラブホテルは外国人観光客には安く泊まれる便利なホテルに映るらしく、コロナ前の渋谷の円山町では結構そういう人たちを見かけた。多分海外にはラブホテルに相当する施設がないのだろう。その用途や目的を教えてあげると面白いかもしれない。ラブホテルも立派な日本の文化のひとつだ。
両親を含めた周囲の人間たちをなかなか肯定できない主人公だが、ラブホテルを舞台に経験を重ね、年月を経るうちに徐々に男女の性愛を理解していく。くっついたり離れたり、信じたり疑ったりしながら、人間は喜んだり悲しんだりして、そして歳を取っていく。ラブホテルにはその人間模様の典型がある。褒められることではないかもしれないが、悪いことでもない。作品としても悪くなかった。