デヴィッド・クロスビー リメンバーマイネームのレビュー・感想・評価
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これこそ、ドキュメンタリーの逸品。
このドキュメンタリーのクロスビーは76歳で、彼の現況と過去を振り返ったストーリー。最近、彼が他界してからバーズやCSNYのドキュメンタリーはかなり観ているので、個人的に知らなかったことや興味のあることだけ書き留める。
映画をみ終えて、正直言ってため息が出た。これだけ、自分をありのままに曝け出すことができるだろうかと。そして、自分がどうにもならない馬鹿者だったことを認めているのだ。何も飾りのないストレートな彼の気持ちを表している貴重な稀に見るそキュメンタリーである。たとえ、クロスビーを知らなくても、赤裸々なドキュメンタリーに驚くだろう。最後の方で、クロスビーが父親のことについてコメントを入れているカセットテープを聞かされるシーンがある。1974年にキャメロン・クロウがインタビューをしたもので、クロスビーは父親は名声や金より、友達が大切だと言っていたと答えている。
このコメントをクロスビーは虚言だったと言っている。父親は友達がいなかったと。キャメロンはあなたの友達はどうしたのとクロスビーに詰める。友達がいないのは現在のクロスビーの状態と一致するのだ。クロスビーはナッシュ、スティルス、ヤング、ジャクソン・ブラウンなどの全ての友達を失ってしまっている。誰も話さないって!(悪く言えば自業自得だ。) キャメロン・クロウのこのツッコミは最高だ。しかし、これに対しての、解決策をクロスビーは「音楽づくり」だと答えてる。(私の理解に間違いがなければ)私は単純だから彼の曲を聴いてみたが和解策の歌詞はなかった(あくまでも私の聴いた曲)。自分のことばっかり。(この人の人生ってきついな!)クロスビーは自分の発言が問題だったことを知っているが、エゴが強く謝罪できない。ナッシュが一番の友のようだったけど。45年間毎日話していて共に活動していたと。でも二年間も話していないと。
(クロスビーは多分謝れず死んでいったかと思う。
この箇所は私の心の中に深い傷を残した。)
このドキュメンタリーと似た形式のドキュメンタリーがある。同じ監督ではなさそうだ。ブライアン・ウィルソン/約束の旅路だ。ウィルソンとクロスビーは全く性格が違う。説明するより観た方がいい。
クロスビーはハリウッドの有名な写真家の息子で、母親は人権に関心があり、彼のお兄さんも音楽家だと。76歳までで2度も、心臓麻痺、八本かなんかステントを入れていて.......延々と続くが、この時、すでに死んでもおかしくはない状態なのだ。死が近いけど、死にたくないって。家が好きだって。それでも、コンサートに出かける。音楽が彼の世界だと。
彼は自分のことを『a difficut cat』 だと認めていて、Big Ego, No Brain , Goofy..........
(しかし、バーズのロジャー・マックギン(Roger McGuinn)のコメントはネガティブのものばかり)。67年のモントレー・ポプでクロビーはJFKの暗殺についてコメントをした。これが気に入らなかったようで、JFKの陰謀についてプロモーションしたいのか? 政治のことばかりで、音楽を十分演奏しないとか....
このアニメの映像から想像すると、クリス・ヒルマン(Chris Hillman)とともにクロスビーをバーズから追い出したようだ。(クロスビーについて何もいいことを言わなかった。不思議な人たちだ。私的な感想だが、ハーモニーとバーズ従来の音とは違った個性を加えたのはクロスビーのおかげさ。それに、1960年の政治はJFKの死だけでなく、公民権運動、学生運動、ベトナム戦争などの米国歴史では最も重要なイベントが揃っていたわけで、『too much politics』だって! 何を言ってるの?)
その後、クロスビーは傷心の旅、セーリングに。
クロスビーはキャメロンをローレル・キャニオンに連れていく。店でみるこの地域に住んでいた人の写真に「自分が住んでいた時の人はいない』とか言いながらジム・モリンソンのことを好きじゃないと言って、What a dork !と。(個人的に、モリソンの大ファンなので、笑いながら見ていた)
クロスビーの生活は女とコカインとヘロインでたくさんの女を麻薬中毒にしたと。(クロスビーは隠さず彼にとって本当のことを言うので、誠にユニーク)
ジョニーミッチェルとはフロリダであって、彼女の才能に惚れ込んだようだ。最初のアルバムをブロジュースしたようだが、いい出来ではなかったと。パーティーで何人も集まり、ジョニーが歌ができたと皆の前で行ったので、クロスビーは歌え歌えと!しかしその内容はクロスビーにさようならの歌だったと(クロスビーの説明の仕方はおかしい。映画を見た方がいい)
クロスビーはジョニーにとってベストの男はグラハム・ナッシュだと明言。
クロスビーはローレル・キャニオンのある家で止まり、ここがOur House を作ったとこだよと。
1969年ここでリハーサルをしたと。その後、ウッドストックになるわけで、ステイルスが壇上で、2番目のギグだよ。ちょっと緊張しているよと。
Woodstock'69
その後、Dick Cavett Show. (19th of August 1969)に出て、空気が良くないでしょ、GM,フォード、クライスラーなどが倒産すれば、空気が良くなると......クロスビーが。(1969年のコメントだよ!)
クロスビーたちはヘンリー・ダールズ( Henry Dilts)の写真館に立ち寄った。 ヘンリーのドキュメンタリーを見たことがあるが、CSNYや ドアーズなどのアルバム・カバーになった有名な人。
テレビのショーで年取っても美声を保っていられるのは神のおかげだとか、ガールフレンドクリスチンが交通事故で亡くなった時のショックについて話している。
個人的に好きな箇所は、1970年5月4日のケント州立大学での警察の発砲事件で四人(?)の大学生が射殺された。ニクソンのカンボジア侵略に反対する学生デモだった。クロスビーは『LIFE』雑誌に載ったこの記事をニール・ヤングのところに持っていったと。ニールは『クロスビーはいつも、何が重要だと言うことを知っていて、そこに焦点を当てる。』ニールを目覚めさせた。そして、ギターを持ってきて、クロスビーの前でこの歌を作ったと。そして、グラハム・ナッシュをスタジオに呼んだ。 これを聴いたら、『全く私の感じたことをニールは歌にあらわしている」とクロスビー。そして、自分の信じていることに,立ち上がることができたと。(クロスビーはバーズにいる時から自分の意見を率直に発言できる人。それが、大金を稼げる仕事を失っても。自分の信じていることに立ち上がるということは人生に置いて大切なことなんだよ。)
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