「男もすなる日記といふものを女もしてみむとしてするものなり」水を抱く女 pipiさんの映画レビュー(感想・評価)
男もすなる日記といふものを女もしてみむとしてするものなり
フリードリヒ・フーケの悲恋小説「ウンディーネ」をモチーフに、新たなドラマを描いた本作。
鑑賞中、70年代に漫画の歴史を塗り替えた秀逸な少女漫画家達。彼女らがまだ代表作を放つ以前の、初期作品群のイメージが浮かんだ。
山岸涼子、萩尾望都、木原敏江、青池保子などの幻想文学にも造詣の深い作家達も、デビュー初期は神話や妖精など幻想世界のモチーフを、当時の少女漫画の常識であった恋愛ロマンスと結び付ける事を強いられたから、短編作品達は「少し古い時代の欧州」「神話・妖精・幻想」「悲恋」の要素を含むものが散見された。
本作について、監督は
「フーケの『ウンディーネ』を始め、ロマン主義時代に作られた『神話をベースにした男女の物語』に登場する女性は『男性目線』で描かれている。だからウンディーネの神話に象徴されるような『男達が作った女性像』に『抗えるヒロイン』を作りたかった」と述べている。
なるほど。「『女性目線』にて幻想的なロマンス作品」を、という事だから、24年組少女漫画家達のデビュー初期作品がオーバーラップしたわけか。
ウンディーネ(水の精)でもメロウ(海の精)でも、水に棲む女性型妖精(妖魔)は、男をかどわかし水中に引きずり込んで魂を虜にするものが多い。
本作にて、ヒロインがヨハネスをプールに沈めるシーンは、まさしく彼(か)の水妖のイメージそのもので快哉を贈りたかった。
(人間ウンディーネじゃなくて、妖精・精霊・妖魔の方のウンディーネね。行動の良し悪しは置いといて、本物のウンディーネが男を水に引きずり込む想像上のイメージドンピシャでした。)
しかしながら、やはり男性監督。
インタビュー記事に目を通せば
「かつて湖沼地帯であったベルリンの正史は、水を抜かれて大都市に変貌した200年の間に失われただろう。それを取り戻せる場所として、劇中の博物館を設定した。」
「歴史は過去を破壊し、忘れ、前進し、進歩するもの。ヒロイン・ウンディーネも自己を解放し、進歩する事を願う人物」
「フンボルト・フォーラムは、外見だけベルリン王宮のファサードを装い、中は新しい建築。西側資本主義のレトロ趣味、懐古主義に過ぎない。」
「フンボルト・フォーラムとウンディーネは対極の存在。ウンディーネの中には古いものと新しいものが同じ瞬間に有機的に存在しており、都市というものもまた、そういうものだと信じている。」
いやぁ、女性目線の幻想神話ロマンスにしては、随分と理屈っぽい。しかも、イデオロギーを絡めた都市社会学や都市システム工学なんざ、大抵の女性は語りませんわなぁ(笑)
『土佐日記』よろしく女性目線で描こうとしても、やはり男性監督は男性作品になりますね。
結局、監督は、例えばアンデルセンの人魚姫にも代表されるような「愛を失えば水の泡になって消えてしまう」といった「呪われた悲壮美から、女性を解き放つ」事を目的に、本作を制作したようなのだが・・・。
解き放たれているかなぁぁぁ???
そういう意味なら、ディズニー・リトルマーメイドのアリエルの方が、よーっぽど解放されてて、自由で、革新的で前進しているぞ?
(あーゆーのは退廃的資本主義の表れでダメなのかな?)
「呪われた悲壮美」に捉われているのは監督の方ではないかなぁ?
では、結局、終始付き纏った疑問「ウンディーネの正体」は、本当の水の精・ウンディーネではなく「普通の女性」だったという事なのかなぁ?
幻想美は良く描けていたと思うが、監督の狙いが「悲壮美からの解放」であったのならば、成功したようには見えないというのが正直な感想だ。
(映画ストーリーよりも、住宅都市開発省のガイド内容の方が興味深く、非常に面白かった。もっと聞きたいw
そう言えばベルリンは、統合後ドイツの門として、着けばすぐ列車で離れるし、帰りにちょっとカフェで朝食を取る程度できちんと散策した事がないなぁ。帝政ドイツ時代の話は好きなクセに、未だに頭の中で「旧東側」という意識が払拭出来ない。反省である。)
オマケ話
1. 活字では幾度となく目にしているが、きちんと自然なシチュエーションにて、ich liebe dichと言うのは初めて聞いた気がする(笑)
2.主演のパウラ・ベーアは撮影時25歳だそうだ。う〜む、大人っぽい!
80年代初頭くらいまでは、日本女優も25歳は結構大人っぽかった記憶があるが、最近はねぇ。それとも男性諸氏はいつまでも幼い方が若々しくて良いのかな?
3.救命救急の指導にステイン・アライブが効果的というのは2008年に米イリノイ大学が発見したもの。多くの人は心臓マッサージリズムが遅すぎるが、ステイン・アライブは推奨速度に合致する。ドイツでは救命救急講習会にて本当に指導されているそーな。
本作の使用では1秒につき2000ドルかかったプロデューサー泣かせのシーン。監督がこの曲が好きで、どうしても使いたかったとか。
ビージーズもスタローンもトラボルタもビックリであろうw
pipiさんこんばんは
フォローありがとうございます。
おお、山岸凉子、萩尾望都、懐かしいです。竹宮惠子も読んだな。他にもリラックスして榛野ななえ、泣きながら大島弓子などなど。
高校時代、少年マンガがあまりにもつまらなくて「別冊マーガレット」や「花とゆめ」を授業中に読みふけり、生物の時間に先生から思いっきりぶっ叩かれたきりんです(遠い目)
初期作品は読んでいません。御レビューから想像するに
この映画、まだ男とか女とかよくわかっていない、少女期の終わりの幻想の季節を描いた女流漫画家たちの世界とは異なり、男性監督の実生活・実体験を下敷きにした、生々しい大人の経験からの作風であったと思います。
それだからかな?妙に監督やヨハネスやクリストフにシンパシーを感じて僕のレビューも“私小説的”になってしまいました。失礼しました。(笑)
ちょっと削るかもしれません、ごめんなさい。
こちらこそどうぞよろしくお願いします。
↑NOBU さんもその読書遍歴は相当の方ですね。
今晩は
昨晩、何気なく枕頭に積んである本の中から、山岸涼子さんの”自選作品集 月読”を見つけ、「ウンディーネ」を含め読んだ後(今作を鑑賞した後に読み返していたままだった・・)、何となく、書棚から山岸涼子全集の”海の魚鱗宮”に収録してある”鬼来迎””夜叉御前”と言う、私の中では、山岸さんの作品の中でもベスト5に入る怖い名編を久しぶりに読み、この方は女性の怖い性を凄い描写で書くなあ、と再認識しました・・。
今晩は、もう少し飲んだ後、谷口ジローさんの作品を読んで、安眠します・・。