「少女の本心は猫に隠して」泣きたい私は猫をかぶる 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
少女の本心は猫に隠して
『ペンギン・ハイウェイ』のスタジオコロリドによる長編アニメ第2作。2020年の作品。
長編最新作『雨を告げる漂流団地』が配信されたばかりで、こちらまだ未見だったので併せて鑑賞。
始めは主人公像に好き嫌い分かれるかも。
中学2年生の美代。自由奔放でおかしな言動から、“無限大謎人間”を略して“ムゲ”と呼ばれている。
その良く言って大胆、悪く言ってドン引きな言動の要因は、
行為を抱く同級生男子・日之出への猛アプローチ。
サンシャイン・アタック!…と体当たりしてきたり、皆が見てる中でも恥ずかし気も無く好き好きアプローチしたり、日之出の一言一言にとろけ酔いしれたり、将来日之出と一緒になる事を夢見ている。“日の出見よう”=“日之出美代”として。
さらには“ある方法”で日之出の私生活にも潜り込む。
…って、一歩間違えればストーカー行為。いや、完全アウト…?
で、その“方法”というのがファンタジーで、本作のミソ。
猫の姿になる。
ある時夏祭りで、迷い込んだ不思議な世界。
そこで、人間の言葉を話す巨大な“猫店主”から貰った猫のお面。
それを付けると、猫になれる。
無論、何も代償ナシの善意からではない。ある代償が…。非常に胡散臭い猫のお面屋…。
人間のムゲの姿で接すると、日之出の対応は素っ気ない。ほとほと呆れ、うんざり。
が、猫の姿では…。亡くした犬の“太郎”と名付け、可愛がってくれる。
猫になれて最高~!
いつかあの本当の優しさや笑顔を、人間の時の私にも…。
思いもがけないラッキーな事が。
毛嫌いする同級生男子といざこざ。その時日之出が、庇ってくれた…!
猫にならずともこれで一気に距離が縮む…と、勝手に思い込んでしまった。
気持ちを記した手紙を日之出へ。そしたらいざこざあった同級生男子が横取りし、嫌みったらしく読み上げる。
恥ずかしいのではない。素直なこの気持ちを貶すのが許せない。
ところが…。日之出が手紙やムゲ自体を激しく拒絶。
その口から聞きたくなかった、「お前と俺は違う」「嫌いだ」の言葉…。
思いがけないラッキーな事から一転、ショックな事へ。
ムゲは涙を浮かべながら無理して笑う…。
ウザく、KYなムゲだが、その境遇は複雑。
小学校低学年の時に母親が家を出た。現在は父と、家事手伝いをする女性・薫と暮らしている。
母親代わりの薫。決して悪い人ではない。優しく、いつも気に掛けてくれる。
…いや、寧ろ、それが嫌なのだ。
母親でもないくせに。実の母親は私を捨てて出て行った。
お父さんもお母さんも薫さんも、皆々自分勝手。私の事なんか…。
そこに追い打ちを掛けるように、日之出からのあの言葉…。
もう人間なんてヤだ。ずっと猫で居たい…。
その時、お面がポロリと落ちた。人間のお面。
これが、代償。心から人間で居るのが嫌になった時、猫になるのを条件に、人間のお面(本当の私)を猫店主が貰う。寿命の半分も一緒に…。
まだ本当の気持ちを伝えていなかった。取り戻す為に、“あちらの世界”へ。
ムゲが居なくなり、親友・ヨリちゃんや家族は探す。
日之出も気付く。本当の気持ちを…。
不思議なタイトルの“泣きたい私は猫をかぶる”。
でも実際見ると、その意味を知る。
泣きたい私=本当の自分の気持ち。猫をかぶる=偽りの感情で隠す。
自分の本当の気持ちを伝えるのが苦手。知られるのが怖い。
だから正反対の感情で表してしまう。
不器用で、繊細な心の持ち主の女の子。
美しい柔らかみのあるタッチの画で、感傷的な内容かと思いきや、ファンタスティックでユーモアもある。
でもそれが、シリアスなのかファンタスティックなのか、どっち付かずの印象も。
ムゲのキャラ像もさることながら、日之出の感情の変化、ムゲの人間のお面を被ったあるキャラの心変わりなど、ちょっと唐突過ぎ。
時が来ればムゲは人間の姿に戻れず、猫の姿のまま。人間の言葉すら忘れてしまう。クライマックスの一番の見せ場の筈が、今一つ盛り上がりに欠ける。
画は綺麗だし、少年少女を主人公にしたちょっぴりの切なさと爽やかさの青春ファンタジー。
良作ではあるが、面白味やイマジネーションは『ペンギン・ハイウェイ』に及ばず。