キネマの神様のレビュー・感想・評価
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ジェネレーションギャップなのか?
全く良さがわかりませんでした。基本映画ドットコムのレビュー(星評価)と相違がないくらいの感想を持つ私なのですが、ここまで懸け離れたのは初めてです。
他の人のレビューを批判つもりはありませんが、共感しようにも出来なかったのでジェネレーションギャップなのではと思いました。(20代学生
)
もう時代に合わないのかもしれない
山田洋次監督の映画にある独特の昭和らしさ(昭和臭さ)がとても時代遅れに感じました。家族を蔑ろにし、借金を作って博打を打っている老人にロマンやシンパシーを感じる時代は既に終わっています。
しかも、昔の映画作りの年代が1940年代あたりの設定に見えるのですが、コロナ云々の件から「現在」の設定は2020年…年齢計算が合いません。
登場人物は、昔と現在での一貫性が全くなく、現在の淑子と昔の淑子はまるで別人物!宮本信子さんのような上手な女優さんを上手く演出出来ていないのが勿体ないです。
唯一、良かったのは、園子役の北川景子さんでした。
松竹100周年には、思い切ってこれから活躍が期待される若い監督の作品を作って欲しかった!
原作の影も形もない。悪い意味で。
とんだヘボ映画を作ったものだ。やはり山田洋次には誰も文句は言えなかったのだろう。晩年の黒澤明状態。
20代と78歳の間に何があったか描かないと納得しないし感情移入も出来ない。淑子があんなに献身的に接するのはなぜ?過去と現代の行き来する話ではよくある失敗。過去の人物像は強く積極的なのに現代では真逆の設定は受け入れられない。それはゴウにも言えること。脇役のテラシンが一貫していただけにアラが目立つ。どうしょうもない人物なのに東京の中央線沿い(三鷹辺り)に一戸建てありえないだろう。ってツッコミ入れられたからお墓の横に立ってます。ってもっとありえないだろう!実家は寺じゃないんだから。
映画監督を諦める理由も意味が分からないし納得行かないだろ。みんなから慕われてる、人気者ならなんとか乗り切るってのがこの手の映画のセオリーなんじゃないのか?そうやって作って来ましたよね山田監督。
ラストも何だあれ、北川景子が死神って事?
ひどい映画だった。日本映画背負って来た監督が老害で倒れてた映画。
唯一カンテラ役の野田洋次郎は演技が上手かった事が救い。
新鮮味は乏しいが感動
映画製作会社の意思を知れ。
周年記念作品として、満を侍した作品を製作するのには、コロナ禍は大敵となったのだろう。
松竹も東宝も、東映だって、「周年記念作品」を発表してきたが、こればっかりは「コロナ禍なんで延期です。」とはいかない。101周年にはならない。
作り手の会社としての意地もあったろう。どんな時代でも、出来得る映画を撮ろうと頑張ったのだと感じてやまない。
役者の演技がどうのと批評するが、松竹の俳優部の役者で、映画が充分成立する時代が再来していることに、気づいているのか?
この50年で、映画の中で役者を含む後進の育成を積み上げてきた松竹映画に一定の敬意を表したい。
そして、50周年記念作品が「キネマの天地」であって、100周年が本作だったという映画の歴史のバラストを、150年目に再度敷き詰め直し、時間をかけて記念作品を世に出して欲しい。
原作を知らない人には最高だと思う
僕は原作を知らないので、笑い、感動、泣けるシーンなとが程よくあるし、チラッと腕時計をみせて生活に困っていても売らないで大切にもっていたシーン、現実世界と連動ひた緊急事態宣言、ソーシャルディスタンスなど細やかなテクニックなどもあり最高に良い映画だと思いました。
過去、原作の切り替わりも、数年前にやった寅さんの映画みたくうまくできているなぁと思ったけど同じ監督がやっていたのですね。最高に凄い監督だという事が観ていて伝わってきました。
評価が良くない人の大半は、おそらく原作をみていてそれとは違っていたから評価が低いかもしれないので、全く別作品として観るといいのかもしれません。
僕は面白かったので、今度は母親と2回目をみにまたいく予定です
映画館で観るのに最高の映画です
近年観た映画とはスピード感も演技も違っていて、
実は、冒頭この映画に違和感を感じて馴染めなかったです。
でも劇中語られる映画論のような話をつなぎ合わせると、監督が作りたいものが分かるような気持ちになってきて、徐々にこの映画の昭和感を楽しめるようになりました。
閉館後の映画館で映画を観るシーンの過去シーンから現在シーンの切替。
一瞬なにが起こったか分からなかった。
ここにひとつ映画の神様が宿ってるのかもしれないと思いました。
もしかしたらこの映画全部が映画内映画で、いま自分がいる映画館まで含めて映画かもしれない‥なんて錯覚を覚えました。
「50年前の撮影所」と「コロナ禍の現在」を記録した作品。
50年後に観たらまた違う感想になるだろうと思います。ずっと大切にしたい作品です。
影武者
心温まる良作。
役者は揃っているし、松竹の巨匠が撮った自社100周年の記念映画であるらしい。
なにはともあれ脚本はよく練れていたし。及第点なのだが前半のゴウの若き日と
年老いた姿との交互の流れを観ながら、監督の華やかな時代との不似合いさに
ちょっとお気の毒で、社会派で最近は家族に題材をとった作品が多く、大作はきつか
ったろうと思いました。
最後はよくまとまって、志村さんにあてがきされていた意味がよく分かるシーンが
多く、涙ものでした。沢田さんがキャンペーンにも参加されず、志村さんの穴埋めに
徹したことも素晴らしい。
彼にしたら主役であってもプラスになるとは思えなかった難しい役をよくやりきった
と思います。あくまでも影武者であっても、沢田研二さんの代表作でもある。まだまだ
頑張って下さい。
山田洋次監督の映画愛が溢れる秀作
ミニシアターが愛おしい
コロナ禍に製作、時代を可視化した作品
原作を5年ほど前に読んでます。原作から大きく脚色されていますが、ストーリーが良かったので結果オーライ!ただし尺が長い。このスピードじゃもっと短くていい。
菅田将暉くんも永野芽郁ちゃんも北川景子ちゃん、小林稔侍さんも寺島しのぶさんも宮本信子さんも皆素晴らしい!だけど沢田研二さんの演技はちょっとどうなの、、、?と思うところもあるけれど、、、志村けんさんの意思を継いで引き受けられたとのことだ。
RADWIMPSの野田さんの演技は見てるこっちが緊張するというほどにガチガチの印象w
大活躍な孫の役にはあの「まえだのまえだ」の弟くんだったとは!!こんなに大きくなってたのね。
同じく現在公開中のサマーフィルム同様、本作は映画に携わる人、映画を愛する人たちへのオマージュでもある。キネマの神様はきっといるんだよ。
期待値を上げすぎる題名
キネマの神様
まず語られるべきことは、小説と映画で、内容が全く異なること。
そもそも題名の『キネマの神様』の意味合いさえも変わってくる。
今回の映画において、キネマの神様とは一体何だったのか。
もう少しストーリーを見直しても良かったのではと、1素人の自分の意見。
しかし、なんと言っても永野芽郁のお芝居が良い。
彼女の芝居が本作を支えていると言っても過言ではない。
彼女が若きテラシンを思いやる気持ち
若きゴウに真っ向から意見をぶつける一面
登場シーンの1つ1つの手の動き、目の動き、体の動きが本当に丁寧で、プロアマ問わず、見習うべき、目標にされるべき俳優である。
彼女が実際より大人びて見られることが多いのは、この洗練された演技力が原因であろう。
キネマの神様は、ゴウでもなく、ローズ・バッドでもなく、彼女だったのではないだろうか。
キャメラを回せ
沢田研二ですね
志村けんの代役ですが、もともと沢田研二でもよかったんじゃないって思わせるくらい良かったです
もうなんて言ったらいいんだろう 昭和のよき時代も感じられたし、北川景子が昭和の女優らしくてよかった
円山郷直(沢田研二)と孫の円山勇太(前田旺志郎)のやりとりもすっーごくおもしろかった
特にギャンブルの神様の蛇の話
若き日の郷直,菅田将暉素晴らしい・・・見事に昭和を演じてました
撮影所の近くの食堂の娘、淑子ちゃん(永野芽郁)この映画のカギですね
可愛かったです
郷直の娘の歩(寺島しのぶ)もよかったし、テラシン(野田洋次郎)もよかったし、もういいところだらけですね
沢田研二だといわれなければ気づきません
もうジュリーは存在しないのだと思えば、いい役者になられました
掛け値なしに観るべき映画だと思いました
包摂
「なぜこんなに幸せな気持ちなんだろう?」
観賞後の正直な気持ちだ。
見始めてすぐ、沢田研二さんの芝居が気になった…あぁ、これは志村さんの“リズム“だな、と。他人のリズムで芝居することに少し不安を感じたが、杞憂だった。スピリチュアルが好きな訳ではないが、乗り移っているかのようなその芝居は、最後まで淀みなく続くのである。「なぜこんなことができるのか?」漠然と考えながら映画館をあとにした。
山田監督の映画は若い頃、ピンと来なかった。
いや、今でさえ「こいつは面白いぞ!」といった興奮はない。観賞後、じみーーーに効いてくるのだ。その訳を今回ばかりは知りたくなった。
パンフレットによれば、監督は若い頃は決して、才能豊かで将来を嘱望される存在ではなかったようだ。映画業界に入った理由もありきたりで「飯が腹一杯食えたから」。“高い意識“や“燃える情熱“とは言い難い。
そんな人がたまたま、邦画黄金期の“撮影所という夢の国“に居た。受動的であったからこそ様々な才能の受け皿となり、その血脈を今に伝えているのではないか?また、(その意味で)凡人であったからこそ、誠実であるがために強くはなれない人たち、世間から見れば敗者と呼ばれる人たちに、スポットを当て続けてこられたのではないか?
原田マハさんの原作をキッカケとして本作の仕掛け(構造)を思いつき、喜劇俳優_志村けんさんの主演が決まった時、完成の青写真が監督の中で見えたのではないかと想像してしまう。なぜなら喜劇俳優もまた、人間に対して徹底的に受動的だからだ。
だが、コロナがそれを奪った。
作品の中で志村さんは既に構造の一部、絶対に交換できないピースだったはずだ。昔同じ事務所だったという安易な理由、ましてや知名度などで替えが効くとは思われない。全くの想像で恐縮だが、沢田研二さんも相当迷われたのではないだろうか?
山田監督の作品を見ていると「包摂」という言葉が思い浮かぶ。登場人物やその周りの人たち、つまりその世界は「包摂」でいっぱいだ。ふと…もしかすると撮影現場も?と思ってしまう。過酷な撮影現場に一見不似合いではあるけれど…。
それが大きな流れとなって沢田さんの芝居となり、本作が完成したのだとすれば、それはやっぱりファンタジーじゃないか!と、勝手な想像ばかりが膨らんでしまうのだ。
ともあれ、本作はまるで“映画の缶詰“ 。それもミックスフルーツのように映画好きには色々な味が楽しめる作品だ。リラックスして日常から逃げてしまうのが正しい鑑賞法だと思う。
残念でしたね
前半が本当に退屈の一言でした。。ダメじいさんと周りを囲む暗い家族。。リアルではあるのかもしれないけど、何を見せられてるんだろうという感じ。
主役がなんであそこまで挫折したのかもイマイチよくわからず、映画に真剣に向き合ってるともまったく思えない。感情移入しようがない。。
そんな何も努力もしてないおじいさんがいきなり栄誉ある賞を取ってハッピーエンド?ありえないだろ。映画なめんな、人生なめんな。
とってつけたようなコロナのくだりもなにがしたいのかよくわからん。
後半はところどころクスッと笑えるところがあってまだ見られたのですが、これまたそのシーンで大爆笑する客がいたのと、ずーっとなんかガサゴソ音させてる客がいた不快のせいで台無し。
北川景子綺麗、永野芽郁かわいい、以上。。
映画人、コロナに負けじと燃える
予告編を見て、菅田将暉と永野芽郁が出てるのなら観てみようと軽い気持ちだった。観終わってみると「松竹映画100周年記念」という「看板」は、作品のハードルを上げすぎている気がして、物足りない思いをした人もいるのではないか、と推測した。当初は、志村けんが主役を演じる予定であったが、彼が新型コロナに感染したことにより、沢田研二へ交代した。それでも違和感はなく、彼が演じてよかったと思う(「志村けんに“寄せ”すぎている」というレビューも見受けられたが、別に悪くはなかったと思う。志村けんに「ギャンブルと酒に溺れた78歳のろくでもない爺さん」を演じさせてみれば、それは文句なしだっただろうが)。一時期、世間を騒がせた沢田研二が見事に代役をやりきっていたように見える。今作では、作中に新型コロナの描写が登場し、やや唐突感が否めないが、コロナに負けじと奮闘する映画人たちの密かなる闘志がうかがえる。映画の製作に携わる人々はもちろん、映画を人々のもとに送り届ける映画館の人々に、改めて敬意を表したい。
主演は元から沢田研二でも良かったかも
巷で売れっ子の菅田将暉の作品なんか見たくもなかったが…
まず、ジュリーが志村けんを研究して志村けんになってるんだな。
役作りをしてるんじゃなくて志村けん作りを念頭に置いてるのがわかった。
2人のコント(あわせ鏡やらのボーヤコント)
を知ってる人は尚たまらない。
まえだまえだの弟の普通さも中々。
菅田将暉、こんな奴の作品なんか一生見ないと思ってたけど、この作品に着いてきやがった。
なるほど、中々良かったよ。
顔がイケメンというわけではないが、
抑揚つけた芝居がうまい。
北川景子綺麗やな。今風の顔やけど
吉永小百合のような往年の女優も思わす。
昔のパートが好きなんだ。
あの古い感じが。
三丁目の夕日みたいな興醒めのCGを使うわけではなく、昔の雰囲気良く出せてた。
今井翼ホンマにチョイ役。
志尊淳どこに出てたの?
志村けんファン ジュリーファン ドリフファンは
ぜひ見てやってください!
映画作家と老い
う~~ん、様々な思いはあるけど、個人的に感想が書き難い作品ではあります。
どんな人でも歳はとるのですが、齢(よわい)90の老巨匠監督の作品であり、大好きな監督の作品の中にその老いを感じてしまうと何とも言えない気持ちにはなりますね。今までにも様々な大監督の晩年の作品を観てきて、どんな監督でも変化するのは当然で“変化”だけなら良いのですが“老い”を感じてしまうのはちょっと寂しいです。
まあうちの母親も92歳だし、一般的な90代と比較すると比べものにならないくらい凄いし映画を作るというだけでも超人的なのですが、それでも山田監督は“映画の時代性”をとても大事にしている監督なので、その時代性に対してズレを感じてしまったのはちょっと辛かったです。
本作の場合は今と昔が描かれていて、今のコロナ禍を無理矢理結び付けたかったのか、逆に完全に時代感がズレてしまっていて、時代性を気にするが故のズレと気持ち悪さが残ってしまいました。
物語そのものから何を訴えたかったのかは、私も昭和の人間だし山田洋次ファンなので理解できますが、それだけでなく主役(志村けん)の突然の死や、死に追いやったコロナ騒動など様々な出来事が重なり物語以上の思いが詰まり過ぎたのか、それが逆作用して、物語のシンプルなメッセージが伝わってきませんでした。
前半は山田監督自身の懐古であり、後半はずっと山田監督が描いてきた“馬鹿・風来坊・フーテン”等の世の中からはみ出した愛すべき純粋さを受け入れられる心だけで終わってくれればそれで良かったのですが、妙な時代性が逆にそのテーマを薄めてしまい、むしろ旧作を観返した方がテーマはダイレクトに心に入り染みる事が確認できました。
大体、昔のシーンは1950~60年代と推測できるのに、現在79歳の主人公って時代に10年から20年の誤差が感じられ、いまだにフィルム映写機で昔の映画ばかり上映している映画館の存在って、山田監督の脳内世界であって、どうせ脳内世界の映画なら黒澤監督や大林監督の晩年作の様な作風の方が、観る側も割り切れました。
ということで、ファンであるが故の寂しさを感じてしまった作品となりましたが、まだ監督には作品を今後も作り続けて欲しいし個人的に観続けますが、それは今まで楽しませて頂いた感謝の気持ちとしてであります。
しかし、映画という芸術は特にこの“時代性”が重要であり、他の芸術より作家の“老い”が作品に直結し顕著に作品に現れてしまうので、改めて難しい芸術だと感じてしまいました。
でもクリント・イーストウッドなども同年代監督ですが、彼の作品の場合まだそういうズレを感じないので、そういう意味では凄い存在だと思います。
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