キネマの神様のレビュー・感想・評価
全280件中、101~120件目を表示
予告編で期待し過ぎてしまったかな... ストーリーはとっても良かっ...
予告編で期待し過ぎてしまったかな...
ストーリーはとっても良かったのですが、ベテラン陣の演技が?って感じでした。いろいろと大変な時期に最後まで撮り切るのは苦労も多かったかと思います。
主人公に共感し切れなかった
昭和世代の人たちが観たら、男はこれぐらいの方がカッコいいよ!ってなるんでしょうか。
若い頃あれだけ映画に情熱を注いでいた青年が、年を取るとギャンブル依存、酒依存、友達が経営する映画館で盗みを行ったり、孫に金を要求したり最低な人間になっていて、脚本賞を受賞しても「なんでコイツが」って気持ちになり共感できませんでした。
でも、若い頃も同じ人を好きになった友達に対して最低なことを言っていたので昔からクズだったのかもしれません笑
良いところは映画の撮影所やそこで働く人々を通じて昔ながらの雰囲気を味わえたこと。
出演者の演技がみんな良かったこと。
RADの野田洋次郎も及第点の演技をしていました。
僕ならあんな良い奥さんと孫がいたら、もっと真っ当に生きますね。
滑らかな演技が心地よかった
過去のシーンの丁寧な言葉遣いが非常に心地よく、いい時代の雰囲気を満喫した。淑子ちゃんに恋しちゃう2人とか銀幕女優の麗しさ、見ているだけでうっとり。
良いキャスティングとあまりにも素敵な演技に、現在のシーンにちょっと興醒めしたのは残念。
心に響かず
気合いが入り過ぎて、若干空回っている気がしました。
映画への熱い思いなのか、家族愛なのか、夫婦の愛なのか、
どれも心に響かなかったです。
また、数多の有名な俳優さんが、ちょい役でも出演されていて、
その豪華なドヤ感が、反って気が散るというか…
なんだか、終始入り込めずでした。
また、若い部門の皆さんが、なんだか、山田洋次監督の雰囲気に合っていない気もしたし…。
そうだなぁ…テレビドラマみたい!
沢田研二さん、やはり声が、とても良いなぁ…と聞き惚れておりました。
いい映画でした。
さすが山田洋次監督。
いい映画でした。
見終わったあと、自分も妻を幸せにできているだろうか?考えてしまった。
昭和のよかったところは、いまの若い子にはわからないかもしれないが、懐かしく、いまのコロナの状況考えたら幸せな時代だった。
俳優は年配の人はもちろん、永野芽郁の可愛らしさ、菅田将暉の若さ、北川景子の美しさ、みんなよかった。
ただ志村けんで見たかったと少し思った。
自然に涙が出て、笑えていい映画でした。
みなさんにおすすめです。
早く映画館が人で賑わいますように
前日に音楽番組で菅田将暉とRADWINPSの歌を聞いて、映画を観たくなりました。こんな時ですがこの映画は映画館とテレビで見るのでは印象が違うのではないかと思った次第です。田舎の映画館で朝イチなら大丈夫かなと見てきましたがお客さんは散らばって5名でした。仕方ないですが寂しい感じですね。なんとかこの時期を堪えて欲しいです。
沢田研二さんは難しい芝居だったろうと思います。寄せつつ自分なりにの芝居だったのかなぁ。真似ではなく志村けんさんがどこかにいるような空気。最初感じた違和感も知らないうちに主人公に引き込まれました。劇中で沢田研二さんが歌う場面でグッと来ました。いちばん後ろの席でよかった。というか近くに座ってる人は誰もいないわけですが、映画のシーン同様、両隣の席はバッ点が貼られ、今を描いた作品ということがわかります。
出汁が染み出して料理を覆いつくす。
裏側にあるものなんですよ。
味わうべきものが。
ただそれが裏側にとどまらずに、にじみ出るように前面に出てきて、ついには映画を覆いつくす。
そんな映画だと思いました。
ちょっと何言ってるかわからないかもしれないですが笑。
演出とか、キャラクターとか、その演じさせ方とか、その辺はコテコテの山田節かと思います。
なんて、そんなにたくさん山田監督の作品見てるわけでない自分が言うのもおこがましいにも程がありますが、、
「肝臓によくないってね」と言いながらお腹をポンポンと叩いてみせるとか、「熊手で草集めて」って言いながら熊手を使う仕草してみせるとか、もうなんか、見てると古臭いなーって。
「昔の映画に出てくる食堂の看板娘」というジャンルの見本のようなヒロインもね~、なんかこう、見てると体がむずがゆくなってくるというか・・・。
ただもう監督は80代後半でいらっしゃるので。
自分の中にあるものを誠実に描こうとすると、こうなってしまうんだと思う。
その誠実さはハンパないと思うし、それを形にするエネルギーもとんでもないと思います。
細部にこだわり抜いた画面から伝わってくる、オーラがある。
でも本当に伝わってくるのは、その向こうにあるもので・・・。
ふと気が付くと、強烈な切なさが画面から発生られている。
あれ?さっきまでやっぱ古いなーとか思いながら見てたはずなのに、、いつのまにか登場人物たちの夢や、愛や、悲しみが、すっかり見ているこちらのまわりを覆っている。
そう、愛とか、夢とか、そんな言葉にすればするほど薄っぺらくなるものの、言葉の本当の意味するところというか、そういう普遍的なものを、なんていうか、もっとストレートに大事に思ってもいいんだって、言ってくれているような。
強く、強く言ってくれているような・・・。
見終わる頃には、そんな気持ちになっていました。
沢田研二の演技もそうでした。
最初は、やっぱり志村けんで見たかった!と普通に思いました。
声が良すぎて不自然だし、笑える感じじゃないし、誰か別のコメディアンにでもやらせた方がよかったんじゃないかという気もしました。
それで、志村けんだったらどうだったろう、と頭の中で置き換えながら見ていたのですが・・・・。
そうすると、不思議と違和感がないのです。
しゃべり方、表情、仕草に、驚くほど志村けんを感じました。
自分の中の志村けんを、心に描きながら、本当に彼になりきって演じていたのではないでしょうか?
それは、成功していたと思います。
後半は、沢田研二演じるゴウちゃんを見て、何も考えずに普通に笑うことができていました。
もう普通に面白かった。
そしてそれ故に、強い思いを感じました。
亡くなってしまった志村けんの代わりを務めるという状況もひっくるめて、この沢田研二の演じたゴウちゃんは、志村けんが演じたらこうなっていただろう、というのとはまた別の、特別な魅力があったと自分は思います。
新型コロナの状況をあえて挿し込んだのも・・・・、確かに、あのラストシーンで、空席に貼った×印が邪魔に思えないではなかった。
ただこれは、どこまでも現実から逃げてるわけではないってことでしょう。
夢のような、言ってみれば絵空事ばかり描いてる映画の世界であっても、いつもそこに映し出そうとしているのはどこまでも、我々が笑い、泣き、悩みながら生きている現実の世界で・・・・、だから山田洋次監督の映画は、演出とかテイストとか全然好みじゃなくっても、いつも何か「こちら側」に立ってくれているような気がする。
だから新型コロナも、なくても全然成立したとは思うけど、あったらあったで、作品に確かに意味を与えていたと思う。余分な要素と思えるようなものですらも、逆にそれがなかったら違う作品になってしまうと思えるような、すべての要素がつながって、その裏側にある思いを訴えかけてくるような映画でした。
気がついたらそれに飲み込まれて、至福の時を味わっていました。
エンドロールの最後の「志村けんさん、さようなら」という文字が、「ちゃんと作り上げましたよ、この作品」と、どこか誇らしく報告しているようにも見えました。
今を切り取る
ほとんどの人が知らない映画が輝いた時代と
誰もが味わっている今のコロナ禍の時代。
その両方のパートから滲む不在の人の雰囲気。
監督の映画に対する思い、記憶。
映画で描かれているそれらのすべてが忘れられてしまうときがくる。
だから今、この映画を観ておかないと
この映画をよく味わうことはできないかもしれない。
またこの映画についてはパンフレットの購入をお勧めします。
キネマ、家族、笑い…人生には神様が宿っている
山田洋次の長い映画キャリアに於いて、これほど苦難の末に完成させた作品は無いだろう。
コロナによる政府の緊急事態宣言で撮影が一時中断。さらに、公開も延期。
しかし、最も心痛/痛手だったのは、言うまでもないだろう。
山田洋次×志村けん、見たかった。メチャクチャ見たかった。不謹慎な言い方かもしれないが、死ぬほど見たかった。
人情劇の名匠と永遠の喜劇王の初コラボ。
想像しただけでワクワクする。笑える。泣ける。しみじみさせる。
作品の公開を楽しみにしていた。
が…。
山田洋次が製作段階で“主演俳優”を失ったのは、これで2度目。
製作すら危ぶまれたが、両者に縁ある人物が救世主となってくれた。
沢田研二。
かつて志村けんと沢田研二は同じ事務所に所属しており、度々共演。確かにその昔、2人が共演したコントかバラエティーを見た記憶がある。
そして、沢田研二が現在の妻である田中裕子と出会うきっかけとなったのが、『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』。
単なる“代役”ではない。
沢田は2人に選ばれたのだ。
それこそ、“キネマの神様”がこの映画を見捨てないでいてくれたようだった。
いつもながら前置きが長くなってしまったが、感想を。
79歳のゴウ。
酒やギャンブルに溺れ、多額の借金を抱え、妻・淑子や娘・歩に見放されている。
老境になって人生どん底。
しかし、そんな彼にもかつては華やかな夢があった。
映画を愛し、実際映画撮影所で助監督として毎日忙しく働いていた。
今は映画館主で当時フィルム技師の親友・テラシン、当時食堂の看板娘だった淑子、そして銀幕スターの園子と青春を謳歌していた。
いよいよゴウも自ら書いた脚本で初監督する日がやって来るのだが…。
原作は原田マハのベストセラー小説。
が、かなり脚色されているという。
これまたいつもながら原作は未読なので、映画を観てから原作のあらすじをサクッと調べてみたら、確かに。
映画ではゴウが若き頃書いた脚本で再び人生開くが、原作では映画批評ブログ。
いやそもそも、原作では若き頃の助監督時代エピソードはナシ。
それらや甘酸っぱい青春、家族物語は映画のオリジナル・ストーリー。
何より原作の主軸だったというゴウと“ローズ・バット”と名乗る人物との映画批評バトルと友情が丸々カット。
原作とは別物。本作は結構賛否両論目立ち、特に原作ファンから難色示されている。
評価も分かれるが、原作未読で、山田作品ファンの自分からすれば、安心安定の感動作だった。
定番のダメ男。
振り回される家族。
変わらぬ“山田一家”。
夢に溢れていた若き頃。
ノスタルジックな日本映画黄金時代へ。
落ちぶれた現在とあの頃が交錯して展開。
人生と家族、映画への愛を、ユーモアを交え、涙としみじみと、謳い上げている。
山田組初参加の菅田将暉。活気溢れる若者役がやはり巧い!
同じく初参加、若き頃の淑子役の永野芽郁が、特筆すべき好助演。
2人とも平成生まれだが、見事昭和人間に成りきっていた。
テラシン役の野田洋次郎/小林稔侍が泣かせる友。
銀幕スター・園子役の北川景子の気品ある美しさと女性としてのカッコ良さも素晴らしい。
原作には当時しない映画オリジナルキャラ、ゴウの孫の勇太。演じた前田旺志郎もまたホロリとさせる。
豪華キャストの好演アンサンブル。
妻・淑子役の宮本信子と娘・歩役の寺島しのぶ。このベテランと実力派も悪くなかったのだが(特に寺島のある場での涙のスピーチはグッときた)…、ちと演技が臭かったかな。
歌手として、アイドルとして、世間の沢田研二の評判は人それぞれ。
昔からお騒がせ。
田中裕子とも不倫の末。
まだ記憶に残る久々のライヴに観客が入らずドタキャン…。
選ばれた事は美談。が、果たして役に合っていたのか、演技力は…?
これにも賛否両論の声ある。沢田研二には合っていなかった。荷が重かった。やはり、あの人で見たかった。
が、今では山田作品でしか見られなくなった昭和男の哀愁を体現、継承。
男はつらいよ。
沢田研二ならではの“ゴウ”。
そんな沢田を通じて、あの人を見た気がした。
単なるモノマネとかじゃなく、親交あったからこそ知る細かな言動。
披露する「東村山音頭」は、これ以上ないサプライズ、追悼、恩返し。
このプレッシャー難役をよくぞ引き受けてくれたと改めて思う。
ありがとう、沢田さん。
“映画”が題材でもあるので、それが効果的に用いられている。
老ゴウがスクリーンに映った園子を観ていると、その瞳に吸い込まれるように、“あの頃”へ。
また、老ゴウと園子の“再会”。
VFX監修に山崎貴が就き、ファンタスティックな雰囲気も醸し出す。
『東京物語』など邦画往年の名作…殊に松竹名画へのオマージュ演出。
永遠の“映画少年”山田洋次の映画愛を感じる。
ゴウの人生は波乱万丈。その主軸は、映画と家族。
ゴウが映画の夢を諦めたのは、撮影初日の事故。
それもあるが、自分とテラシンと淑子の三角関係もあるのではないか。
淑子に想いを抱くテラシン。が、淑子が想いを抱いていたのは…。
夢や青春の終わり。
でも決して、切なさやほろ苦さだけではない。
間違いなく輝き、夢を全力で追いかけていた。友情があった。
それに、撮影所で働いていたなんて憧れ。銀幕スターと親交あったなんてマジ羨ましい! それこそ、北川景子とお知り合い的な…?
が、それらを全て捨て、田舎に帰り、50年ほどが経ち…。
はっきり言って、ゴウのような老境は歩みたくない。
酒に溺れ、ギャンブル狂い、借金まみれ。
娘に嫌われ、何より苦楽を共にした妻にこんな醜態を見せたくない。
しかし、そんなゴウを救ったのも、映画と家族。
50年前書いた脚本が脚光を浴び、何と思わぬ奇跡が起きる。
そしてそのきっかけが、孫。家族の中で唯一、祖父を見捨てないでいた。
ゴウがその昔書いた脚本“キネマの神様”は本当に面白そう。映画が好きな主婦が大好きなスターが出ている映画を観ていると、そのスターが語りかけてくる…というファンタスティック・ラブストーリー。今なら『カイロの紫のバラ』などありふれているかもしれないが、ゴウが若い頃は斬新。
それ故なかなか理解して貰えなかった。
それくらいゴウは才能に溢れていた。
家族に迷惑をかけ、映画に救われたゴウだが、ラスト一幕で自分でハッピーエンドを書き上げたのだ。
不器用ダメ男の家族への感謝の言葉は、どんな美辞麗句よりも胸打つ。
原作改変のみならず、ステレオタイプの昭和演出、演技、女が泣いて堪え忍び、男がダメわがまま。
どうしても好み分かれる山田作品。
が、映画や時代や世界が常に激変していこうとも、誠実に教えてくれる。
本作では苦しいコロナ禍や閉館余儀なくされる昔ながらの映画館へのエール。
この苦境を乗り越えて、また映画館で映画(キネマ)を。
やはり私にとって山田洋次監督は、ずっと“キネマの神様”なのである。
そして…
さようならではない。
永遠に、ずっとずっとずっと、心からありがとう。
“笑いの神様”志村けんさん。
古き良き時代を思って
いい意味でも悪い意味でも、古き良き時代をよく映してると思います。
台詞回しもどこか演技臭く、時代錯誤かもしれない…でもそれがこの時代の映画だった。
現代を描きながら、古い時代の映画を描いてるような。
映画を作った映画、それは現代で現実でもどこか夢のようなうたかたの世界なんだなって。
テラシンが幸せならいいのです(´∀`)
東村山音頭で涙
ストーリーも内容も昭和演出ですが、菅田将暉も永野芽郁も昭和の人になっていてびっくりした。
他にも豪華キャストで、さすが。
沢田研二は好き嫌いが別れるだろうけど、個人的にはあまり、、、とくに、志村けんのように振る舞う所は違和感がある。ただ、志村けんさんの代役として考えると、どの役者も引き受けにくいところ、引き受けてくれたことで映画として完成したので、尊敬と感謝です。
コロナと映画界の話はわかるけど、コロナ演出は余計かな、、、何年も残ってく映画ではないね。
コロナ演出入れられると、病院のお見舞いにムスクがないとか、なぜそこでマスク外すとか、余計なところが気になってしまう。
だからアレン?
松竹が臆面もなく描く、松竹映画とその黄金時代へのラブレター。原作を読んだときの「カイロの紫のバラ」相似感がやはり蘇ってしまう。撮影所などでの小ネタで笑いをとる描写や捨て台詞に、鼻につく巨匠の余裕臭プンプン。
普通に楽しめた
沢田研二が代役と聞いて俄然観る気になった映画。レビューをチェックして出かけたのですが、なんていってもこちら当然の如くジュリー贔屓です。
ジュリーは善戦したと思う。授賞式での手紙のシーンに涙し、その不器用さがジュリーそのものではないかとふっと思った。
松竹映画はあまり、ほとんど見たことがないけれど、男はつらいよシリーズとか、、、と聞くと、松竹らしい映画なのではないだろうか。普通に楽しめた。
さようなら志村けんさん
まず率直な感想を言うと、志村けんさんが出演しているこの映画を見たかった。
沢田研二さんには申し訳ない話ではあるが、冒頭の登場シーンから強くそう思った。
というのも、ゴウの台詞の随所に志村けんさんの言い回しが入っているような気がしてならない。
聞けば原作から大きく改変されているそうなので、脚本を書く際に志村けんさんに当てて書き直されたのは理解できるしその方が良いとも思う。
それをわざわざ直さなかったのは監督の粋な心遣いのつもりだったのだろうか。
このゴウという人物を志村けんさんが演じたらきっとギャンブルに明け暮れるダメ親父の中にちょっとした愛嬌を加えて淑子さんが離婚しないのも宜なることかなといった演技を見せてくれたんだろうな、とあらぬ妄想を随所でしてしまう。
そして永野芽郁さんが良かった。
最初は昭和の言い回しに少し違和感があったものの物語が進むにつれてその違和感もとれていき、こんなに昭和が似合う女優さんはいないだろうなと思った。
これは北川景子さんも同じで往年の大女優といった雰囲気が良く出ていて素晴らしい。
菅田将暉さんも言うまでもなく最高。
そして意外に良かったのが野田洋次郎さん。
自然体な演技で昭和パートの物語を盛り上げるのに一役買っていた。
前田旺志郎さんの演技はロボットのように感じられて不調。
監督の指導の結果なのかどうかはわからないがもう少し感情の起伏があってもいいのでは。
そしてこれはしょうがないことではあるが現代パートに往年の名俳優が出演して昭和パートに脂がノリに乗ってる若手俳優が多く使われているため、最初に映される現代パートで昭和感を感じてしまった。
加えて言及したいのはコロナ禍の描写。
これはこの作品に限らず、他のドラマでも感じることだが、日本のコロナ禍の描写が中途半端すぎる。
コロナ禍を描くなら描くできちんとマスクはしておいてほしい。
そりゃ、家の中のシーンではする必要は無いと思うが、最低限外のシーンではマスクをしておいてほしい。
でないと違和感がものすごい。
これがコロナが終息して10年後に描くならまだしも今現在起きていることを描いているのだからそこは徹底してほしいと思った。
特に病院で見舞客(小林稔侍さん)がマスクをしていないのは思わず「大丈夫か?」と思ってしまった。
途中東村山音頭が出てきた時は思わず泣いてしまった。
さようなら志村けんさん。
キネマの神様
松竹100周年だったんですね
最後のテロップでジュリー事沢田研二さんの名前がトップに出たのでちょっとびっくりしました
沢田研二さんが映画に出たのを観たのは昔の寅さん
以来でそうそうたるキャスティングで心温まる映画
で観て良かったです。
「松竹映画」としては上出来かも~~
「松竹映画」の100周年記念の、山田洋次監督映画としては
ほぼ完ぺきな出来なのではないか!と思います。
ダメ人間の旦那を支え続けた古い日本型女性の典型の奥さんと
奥さんに甘え続けたダメ人間の夫と
そんな母とは到底共感できない娘と、
現代的な視点でダメ人間のおじいさんを見つめる孫。
その4者4様の視点が面白い。
ベテランの宮本信子や小林稔侍ほぼ間違いないし
確かな存在感の寺島しのぶに
若手では1~2の菅田将暉は外れ無し。
北川景子も昭和の美人女優感がはまってて美しいし
朝ドラで注目を浴びた前田旺志郎や野田洋次郎も
みんなしっかりいい仕事してます。
永野芽衣はまるで昭和の少女漫画キャラそのもの!
沢田研二はここのところ、ファンサービスより
自分のやりたい事を優先してるな~と感じてたので
良く出演をOKしたな~
急死された志村けんさんとの絆を感じましたね~
昔ながらの寅さん映画とか、山田監督映画が観たい方には
間違いなくお勧めです。
で、月に8回ほど映画館に通う中途半端な映画好きとしては
時々飲みに行く映画BARのマスターが
(youtubeで映画の感想を配信されてます
「キネマカクテル」theater by Wunder で検索してみてね!)
原田マハの原作を読んでとても感動したそうですが
映画化にあたり監督が山田洋次監督と知って
どうも寅さん的なテイストに落とし込まれそうで心配~
と言っておられましたが、原作ファンの方から観たら
その通りになってしまったかも??
原作と映画は別物と割り切れる方はぜひご覧ください。
最後に、小さな映画館の常連客として
片桐はいりさんが出演していて、
なんかリアルにはいりさんの映画愛を感じて
ジーンとしたわ~
原作とのギャップが大きいです。
原作とのギャップで不完全燃焼ですね。自分が年を重ねて、原作を読んだ共感と感動を期待し過ぎたのかも。個人的には、原作とはかなり変わってしまった感想です。題名を変えてほしかったですね。そして山田監督の映画への思いをもっと出してほしかった。個人的な感想ですが、流れが唐突過ぎて、沢田研二の劣化がイメージダウン、行動と言葉でも映画への思いが伝わってこなかったです。原作が大好きなので期待し過ぎたのかも。
ノスタルジー
山田監督は、89歳だそうだ。その年まで現役で仕事ができるなんて素晴らしい事だ。監督の、松竹全盛期へのオマージュはすごく感じたし、昔の場面を演じた役者達、菅田将暉、野田洋次郎、永野芽郁はキラッキラッに輝いていた。
ことに、北川景子は、あの時代の女優そのものでとても美しく、セリフ回しが当時風で、思わず二度見してしまった。 そして、ちょっと歳上のテラシンが才能あるゴウに、絶対的な感服している感じがよく表れていた。
映画は、過去と現在の対比になっている。輝いていた過去と比べると現在の場面は、多分 監督の頭と同じように微妙にくすんでいた。
その長い時間が端折られている為、現在を演じた役者達がちっとも迫って来なかったのだ。
挫折したゴウをずっと支えて続けたヨシコ像は、ワタシには理解しがたかったし、ある意味共依存夫婦⁈て感じでしっくり来なかったけれど、人生の前半はキラキラで、後の人生は、挫折が元で、くすんで過ごしていた夫婦‥と言う設定だったなら、それは、監督の思惑通り!
山田監督は、ちっとも古く無いのかも‥とも思ってもみた。
取りようによってずいぶん見方が変わってくるかも‥と、皆のレビュー読んで思った。
でも、映画の中でゴウは言っていた。「既存の古臭い映画から脱却して新しい映像を作りたいんだ」と。
映像は、新しく無かった、で、やっぱり全体に古めかしい感じがした。
映像から主人公が出てくる設定は、「今夜ロマンス劇場で」とか、昔のハリウッド映画にもあったなぁと思いながら、エンディング。話題のわりにはなぁー😅と思っていたら菅田将暉の歌。知らなかったけど歌が上手いんだぁとすこぶる感心。
全280件中、101~120件目を表示