キネマの神様のレビュー・感想・評価
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3つの視点
ジュリー73歳(役中は78歳)。
宮本信子76歳、小林稔侍80歳。
菅田将暉28歳、永野芽郁21歳。
(私は48歳)
往年のスターと現在のスターがコラボするなんとも
不思議な映画。
70代以上の人は映画の黄金時代に想いを馳せながら。
自身の若かりし青春時代と現在の姿にノスタルジア
を感じ涙する。
20代の人たちは憧れのスターの輝く姿を観たいから。
そして劇としてのスターの姿と昔話としての30年代
を他人事として受け止める。
お互いに交わることはないであろうそれぞれの思い
を監督は意図してこの作品を作ったのだろうか。
そして両方を自分事(若かったあの頃ともうすぐ見え
てくるすぐ先の未来)として気づきモヤモヤする我ら
の世代。
実はこの映画はこの3つの視点によって見え方が
変わる。
それにしても永野芽郁の行く末が宮本信子になること
への違和感が全くなかった。キャスティングの妙。
でも菅田将暉からジュリーには絶対ならないな苦笑
主人公に共感し切れなかった
昭和世代の人たちが観たら、男はこれぐらいの方がカッコいいよ!ってなるんでしょうか。
若い頃あれだけ映画に情熱を注いでいた青年が、年を取るとギャンブル依存、酒依存、友達が経営する映画館で盗みを行ったり、孫に金を要求したり最低な人間になっていて、脚本賞を受賞しても「なんでコイツが」って気持ちになり共感できませんでした。
でも、若い頃も同じ人を好きになった友達に対して最低なことを言っていたので昔からクズだったのかもしれません笑
良いところは映画の撮影所やそこで働く人々を通じて昔ながらの雰囲気を味わえたこと。
出演者の演技がみんな良かったこと。
RADの野田洋次郎も及第点の演技をしていました。
僕ならあんな良い奥さんと孫がいたら、もっと真っ当に生きますね。
滑らかな演技が心地よかった
心に響かず
いい映画でした。
早く映画館が人で賑わいますように
前日に音楽番組で菅田将暉とRADWINPSの歌を聞いて、映画を観たくなりました。こんな時ですがこの映画は映画館とテレビで見るのでは印象が違うのではないかと思った次第です。田舎の映画館で朝イチなら大丈夫かなと見てきましたがお客さんは散らばって5名でした。仕方ないですが寂しい感じですね。なんとかこの時期を堪えて欲しいです。
沢田研二さんは難しい芝居だったろうと思います。寄せつつ自分なりにの芝居だったのかなぁ。真似ではなく志村けんさんがどこかにいるような空気。最初感じた違和感も知らないうちに主人公に引き込まれました。劇中で沢田研二さんが歌う場面でグッと来ました。いちばん後ろの席でよかった。というか近くに座ってる人は誰もいないわけですが、映画のシーン同様、両隣の席はバッ点が貼られ、今を描いた作品ということがわかります。
出汁が染み出して料理を覆いつくす。
裏側にあるものなんですよ。
味わうべきものが。
ただそれが裏側にとどまらずに、にじみ出るように前面に出てきて、ついには映画を覆いつくす。
そんな映画だと思いました。
ちょっと何言ってるかわからないかもしれないですが笑。
演出とか、キャラクターとか、その演じさせ方とか、その辺はコテコテの山田節かと思います。
なんて、そんなにたくさん山田監督の作品見てるわけでない自分が言うのもおこがましいにも程がありますが、、
「肝臓によくないってね」と言いながらお腹をポンポンと叩いてみせるとか、「熊手で草集めて」って言いながら熊手を使う仕草してみせるとか、もうなんか、見てると古臭いなーって。
「昔の映画に出てくる食堂の看板娘」というジャンルの見本のようなヒロインもね~、なんかこう、見てると体がむずがゆくなってくるというか・・・。
ただもう監督は80代後半でいらっしゃるので。
自分の中にあるものを誠実に描こうとすると、こうなってしまうんだと思う。
その誠実さはハンパないと思うし、それを形にするエネルギーもとんでもないと思います。
細部にこだわり抜いた画面から伝わってくる、オーラがある。
でも本当に伝わってくるのは、その向こうにあるもので・・・。
ふと気が付くと、強烈な切なさが画面から発生られている。
あれ?さっきまでやっぱ古いなーとか思いながら見てたはずなのに、、いつのまにか登場人物たちの夢や、愛や、悲しみが、すっかり見ているこちらのまわりを覆っている。
そう、愛とか、夢とか、そんな言葉にすればするほど薄っぺらくなるものの、言葉の本当の意味するところというか、そういう普遍的なものを、なんていうか、もっとストレートに大事に思ってもいいんだって、言ってくれているような。
強く、強く言ってくれているような・・・。
見終わる頃には、そんな気持ちになっていました。
沢田研二の演技もそうでした。
最初は、やっぱり志村けんで見たかった!と普通に思いました。
声が良すぎて不自然だし、笑える感じじゃないし、誰か別のコメディアンにでもやらせた方がよかったんじゃないかという気もしました。
それで、志村けんだったらどうだったろう、と頭の中で置き換えながら見ていたのですが・・・・。
そうすると、不思議と違和感がないのです。
しゃべり方、表情、仕草に、驚くほど志村けんを感じました。
自分の中の志村けんを、心に描きながら、本当に彼になりきって演じていたのではないでしょうか?
それは、成功していたと思います。
後半は、沢田研二演じるゴウちゃんを見て、何も考えずに普通に笑うことができていました。
もう普通に面白かった。
そしてそれ故に、強い思いを感じました。
亡くなってしまった志村けんの代わりを務めるという状況もひっくるめて、この沢田研二の演じたゴウちゃんは、志村けんが演じたらこうなっていただろう、というのとはまた別の、特別な魅力があったと自分は思います。
新型コロナの状況をあえて挿し込んだのも・・・・、確かに、あのラストシーンで、空席に貼った×印が邪魔に思えないではなかった。
ただこれは、どこまでも現実から逃げてるわけではないってことでしょう。
夢のような、言ってみれば絵空事ばかり描いてる映画の世界であっても、いつもそこに映し出そうとしているのはどこまでも、我々が笑い、泣き、悩みながら生きている現実の世界で・・・・、だから山田洋次監督の映画は、演出とかテイストとか全然好みじゃなくっても、いつも何か「こちら側」に立ってくれているような気がする。
だから新型コロナも、なくても全然成立したとは思うけど、あったらあったで、作品に確かに意味を与えていたと思う。余分な要素と思えるようなものですらも、逆にそれがなかったら違う作品になってしまうと思えるような、すべての要素がつながって、その裏側にある思いを訴えかけてくるような映画でした。
気がついたらそれに飲み込まれて、至福の時を味わっていました。
エンドロールの最後の「志村けんさん、さようなら」という文字が、「ちゃんと作り上げましたよ、この作品」と、どこか誇らしく報告しているようにも見えました。
今を切り取る
キネマ、家族、笑い…人生には神様が宿っている
山田洋次の長い映画キャリアに於いて、これほど苦難の末に完成させた作品は無いだろう。
コロナによる政府の緊急事態宣言で撮影が一時中断。さらに、公開も延期。
しかし、最も心痛/痛手だったのは、言うまでもないだろう。
山田洋次×志村けん、見たかった。メチャクチャ見たかった。不謹慎な言い方かもしれないが、死ぬほど見たかった。
人情劇の名匠と永遠の喜劇王の初コラボ。
想像しただけでワクワクする。笑える。泣ける。しみじみさせる。
作品の公開を楽しみにしていた。
が…。
山田洋次が製作段階で“主演俳優”を失ったのは、これで2度目。
製作すら危ぶまれたが、両者に縁ある人物が救世主となってくれた。
沢田研二。
かつて志村けんと沢田研二は同じ事務所に所属しており、度々共演。確かにその昔、2人が共演したコントかバラエティーを見た記憶がある。
そして、沢田研二が現在の妻である田中裕子と出会うきっかけとなったのが、『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』。
単なる“代役”ではない。
沢田は2人に選ばれたのだ。
それこそ、“キネマの神様”がこの映画を見捨てないでいてくれたようだった。
いつもながら前置きが長くなってしまったが、感想を。
79歳のゴウ。
酒やギャンブルに溺れ、多額の借金を抱え、妻・淑子や娘・歩に見放されている。
老境になって人生どん底。
しかし、そんな彼にもかつては華やかな夢があった。
映画を愛し、実際映画撮影所で助監督として毎日忙しく働いていた。
今は映画館主で当時フィルム技師の親友・テラシン、当時食堂の看板娘だった淑子、そして銀幕スターの園子と青春を謳歌していた。
いよいよゴウも自ら書いた脚本で初監督する日がやって来るのだが…。
原作は原田マハのベストセラー小説。
が、かなり脚色されているという。
これまたいつもながら原作は未読なので、映画を観てから原作のあらすじをサクッと調べてみたら、確かに。
映画ではゴウが若き頃書いた脚本で再び人生開くが、原作では映画批評ブログ。
いやそもそも、原作では若き頃の助監督時代エピソードはナシ。
それらや甘酸っぱい青春、家族物語は映画のオリジナル・ストーリー。
何より原作の主軸だったというゴウと“ローズ・バット”と名乗る人物との映画批評バトルと友情が丸々カット。
原作とは別物。本作は結構賛否両論目立ち、特に原作ファンから難色示されている。
評価も分かれるが、原作未読で、山田作品ファンの自分からすれば、安心安定の感動作だった。
定番のダメ男。
振り回される家族。
変わらぬ“山田一家”。
夢に溢れていた若き頃。
ノスタルジックな日本映画黄金時代へ。
落ちぶれた現在とあの頃が交錯して展開。
人生と家族、映画への愛を、ユーモアを交え、涙としみじみと、謳い上げている。
山田組初参加の菅田将暉。活気溢れる若者役がやはり巧い!
同じく初参加、若き頃の淑子役の永野芽郁が、特筆すべき好助演。
2人とも平成生まれだが、見事昭和人間に成りきっていた。
テラシン役の野田洋次郎/小林稔侍が泣かせる友。
銀幕スター・園子役の北川景子の気品ある美しさと女性としてのカッコ良さも素晴らしい。
原作には当時しない映画オリジナルキャラ、ゴウの孫の勇太。演じた前田旺志郎もまたホロリとさせる。
豪華キャストの好演アンサンブル。
妻・淑子役の宮本信子と娘・歩役の寺島しのぶ。このベテランと実力派も悪くなかったのだが(特に寺島のある場での涙のスピーチはグッときた)…、ちと演技が臭かったかな。
歌手として、アイドルとして、世間の沢田研二の評判は人それぞれ。
昔からお騒がせ。
田中裕子とも不倫の末。
まだ記憶に残る久々のライヴに観客が入らずドタキャン…。
選ばれた事は美談。が、果たして役に合っていたのか、演技力は…?
これにも賛否両論の声ある。沢田研二には合っていなかった。荷が重かった。やはり、あの人で見たかった。
が、今では山田作品でしか見られなくなった昭和男の哀愁を体現、継承。
男はつらいよ。
沢田研二ならではの“ゴウ”。
そんな沢田を通じて、あの人を見た気がした。
単なるモノマネとかじゃなく、親交あったからこそ知る細かな言動。
披露する「東村山音頭」は、これ以上ないサプライズ、追悼、恩返し。
このプレッシャー難役をよくぞ引き受けてくれたと改めて思う。
ありがとう、沢田さん。
“映画”が題材でもあるので、それが効果的に用いられている。
老ゴウがスクリーンに映った園子を観ていると、その瞳に吸い込まれるように、“あの頃”へ。
また、老ゴウと園子の“再会”。
VFX監修に山崎貴が就き、ファンタスティックな雰囲気も醸し出す。
『東京物語』など邦画往年の名作…殊に松竹名画へのオマージュ演出。
永遠の“映画少年”山田洋次の映画愛を感じる。
ゴウの人生は波乱万丈。その主軸は、映画と家族。
ゴウが映画の夢を諦めたのは、撮影初日の事故。
それもあるが、自分とテラシンと淑子の三角関係もあるのではないか。
淑子に想いを抱くテラシン。が、淑子が想いを抱いていたのは…。
夢や青春の終わり。
でも決して、切なさやほろ苦さだけではない。
間違いなく輝き、夢を全力で追いかけていた。友情があった。
それに、撮影所で働いていたなんて憧れ。銀幕スターと親交あったなんてマジ羨ましい! それこそ、北川景子とお知り合い的な…?
が、それらを全て捨て、田舎に帰り、50年ほどが経ち…。
はっきり言って、ゴウのような老境は歩みたくない。
酒に溺れ、ギャンブル狂い、借金まみれ。
娘に嫌われ、何より苦楽を共にした妻にこんな醜態を見せたくない。
しかし、そんなゴウを救ったのも、映画と家族。
50年前書いた脚本が脚光を浴び、何と思わぬ奇跡が起きる。
そしてそのきっかけが、孫。家族の中で唯一、祖父を見捨てないでいた。
ゴウがその昔書いた脚本“キネマの神様”は本当に面白そう。映画が好きな主婦が大好きなスターが出ている映画を観ていると、そのスターが語りかけてくる…というファンタスティック・ラブストーリー。今なら『カイロの紫のバラ』などありふれているかもしれないが、ゴウが若い頃は斬新。
それ故なかなか理解して貰えなかった。
それくらいゴウは才能に溢れていた。
家族に迷惑をかけ、映画に救われたゴウだが、ラスト一幕で自分でハッピーエンドを書き上げたのだ。
不器用ダメ男の家族への感謝の言葉は、どんな美辞麗句よりも胸打つ。
原作改変のみならず、ステレオタイプの昭和演出、演技、女が泣いて堪え忍び、男がダメわがまま。
どうしても好み分かれる山田作品。
が、映画や時代や世界が常に激変していこうとも、誠実に教えてくれる。
本作では苦しいコロナ禍や閉館余儀なくされる昔ながらの映画館へのエール。
この苦境を乗り越えて、また映画館で映画(キネマ)を。
やはり私にとって山田洋次監督は、ずっと“キネマの神様”なのである。
そして…
さようならではない。
永遠に、ずっとずっとずっと、心からありがとう。
“笑いの神様”志村けんさん。
古き良き時代を思って
東村山音頭で涙
だからアレン?
普通に楽しめた
さようなら志村けんさん
まず率直な感想を言うと、志村けんさんが出演しているこの映画を見たかった。
沢田研二さんには申し訳ない話ではあるが、冒頭の登場シーンから強くそう思った。
というのも、ゴウの台詞の随所に志村けんさんの言い回しが入っているような気がしてならない。
聞けば原作から大きく改変されているそうなので、脚本を書く際に志村けんさんに当てて書き直されたのは理解できるしその方が良いとも思う。
それをわざわざ直さなかったのは監督の粋な心遣いのつもりだったのだろうか。
このゴウという人物を志村けんさんが演じたらきっとギャンブルに明け暮れるダメ親父の中にちょっとした愛嬌を加えて淑子さんが離婚しないのも宜なることかなといった演技を見せてくれたんだろうな、とあらぬ妄想を随所でしてしまう。
そして永野芽郁さんが良かった。
最初は昭和の言い回しに少し違和感があったものの物語が進むにつれてその違和感もとれていき、こんなに昭和が似合う女優さんはいないだろうなと思った。
これは北川景子さんも同じで往年の大女優といった雰囲気が良く出ていて素晴らしい。
菅田将暉さんも言うまでもなく最高。
そして意外に良かったのが野田洋次郎さん。
自然体な演技で昭和パートの物語を盛り上げるのに一役買っていた。
前田旺志郎さんの演技はロボットのように感じられて不調。
監督の指導の結果なのかどうかはわからないがもう少し感情の起伏があってもいいのでは。
そしてこれはしょうがないことではあるが現代パートに往年の名俳優が出演して昭和パートに脂がノリに乗ってる若手俳優が多く使われているため、最初に映される現代パートで昭和感を感じてしまった。
加えて言及したいのはコロナ禍の描写。
これはこの作品に限らず、他のドラマでも感じることだが、日本のコロナ禍の描写が中途半端すぎる。
コロナ禍を描くなら描くできちんとマスクはしておいてほしい。
そりゃ、家の中のシーンではする必要は無いと思うが、最低限外のシーンではマスクをしておいてほしい。
でないと違和感がものすごい。
これがコロナが終息して10年後に描くならまだしも今現在起きていることを描いているのだからそこは徹底してほしいと思った。
特に病院で見舞客(小林稔侍さん)がマスクをしていないのは思わず「大丈夫か?」と思ってしまった。
途中東村山音頭が出てきた時は思わず泣いてしまった。
さようなら志村けんさん。
キネマの神様
「松竹映画」としては上出来かも~~
「松竹映画」の100周年記念の、山田洋次監督映画としては
ほぼ完ぺきな出来なのではないか!と思います。
ダメ人間の旦那を支え続けた古い日本型女性の典型の奥さんと
奥さんに甘え続けたダメ人間の夫と
そんな母とは到底共感できない娘と、
現代的な視点でダメ人間のおじいさんを見つめる孫。
その4者4様の視点が面白い。
ベテランの宮本信子や小林稔侍ほぼ間違いないし
確かな存在感の寺島しのぶに
若手では1~2の菅田将暉は外れ無し。
北川景子も昭和の美人女優感がはまってて美しいし
朝ドラで注目を浴びた前田旺志郎や野田洋次郎も
みんなしっかりいい仕事してます。
永野芽衣はまるで昭和の少女漫画キャラそのもの!
沢田研二はここのところ、ファンサービスより
自分のやりたい事を優先してるな~と感じてたので
良く出演をOKしたな~
急死された志村けんさんとの絆を感じましたね~
昔ながらの寅さん映画とか、山田監督映画が観たい方には
間違いなくお勧めです。
で、月に8回ほど映画館に通う中途半端な映画好きとしては
時々飲みに行く映画BARのマスターが
(youtubeで映画の感想を配信されてます
「キネマカクテル」theater by Wunder で検索してみてね!)
原田マハの原作を読んでとても感動したそうですが
映画化にあたり監督が山田洋次監督と知って
どうも寅さん的なテイストに落とし込まれそうで心配~
と言っておられましたが、原作ファンの方から観たら
その通りになってしまったかも??
原作と映画は別物と割り切れる方はぜひご覧ください。
最後に、小さな映画館の常連客として
片桐はいりさんが出演していて、
なんかリアルにはいりさんの映画愛を感じて
ジーンとしたわ~
原作とのギャップが大きいです。
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