キネマの神様のレビュー・感想・評価
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山田監督の思いも松竹100年もわかりました。ただ内容が詰め込み過ぎのご都合主義過ぎ。結局は凡庸な映画。
主人公の沢田研二(若い時菅田将暉)のギャンブル狂いの設定が異常レベルでまず引いた。今どき法定金利もへったくれも無い街金融に手を出している時点で、もはやキ・・・そんなジジイ滅多にいないから引いてしまった。山田監督が世間知らずでわかってないのだろうけど、普通なら精神病院に監禁レベル。
結局菅田将暉、意外に歌うまいねーという発見だけの映画だった。
だいたい設定も、初監督作品で下痢して、高所から墜落して、映画会社退社して岡山に引っ込むって・・・どんだけ堪え性が無いんだよ。昭和30年代の大人でそんな人日本のどこにもいないよ。皆んな学校出て就職したらその道一筋。それで日本の高度成長は成し遂げられたんだよ。多少の挫折はあっても映画監督まで上り詰めたのだから、その道を進むのが当たり前。永野芽郁の駆け落ちを美しく見せたいのだろけど、現実離れで逆効果。あのねぇ、映画の世界でいくら極めても、途中で辞めてしまっては、他の世界はもっと厳しいんだよ。家業を継ぐみたいなこと言っているけど、世の中そんなに甘く無い。
北川景子、お約束の「美人女優設定」にもウンザリ。山田監督、何にも考えてないねぇ。そもそも野田洋次郎、小林稔侍の、映写技師、のちの名画座映画館主の恋の行方も、後に掃除のアルバイト募集との関連づけもかなり好都合なご都合主義の展開。
それで、主人公のゴウなんで都内に住んでるわけ、それまでの50年以上、何を生業(なりわい)にしてきたわけ????勝手に娘と孫ができているのもよくわからんし、食堂の娘の永野芽郁と結ばれたのはわかったけども、今更昔の脚本で孫と共同戦線、名誉ある賞受賞の上、最後は映画を見ながら大団円って・・チョット昔の映画撮影光景はノスタルジックで良かったけど。いろいろ映画のこと詰め込みすぎ。最後は志村けんの関係もあっての展開だろけど、お腹いっぱいで疲れた。
まあ普通の出来の映画、チョット「蒲田行進曲」レベルには及ばない。時系列が長すぎて、観客側の消耗も激しい。別にサラッと観てるだけなんだけどもお腹いっぱい苦しい映画。
沢田研二が・・・
映画監督を目指し、撮影現場で働く若き日のゴウは、近くの食堂の娘・ヨシコや映写技師テラシンとともに青春を過ごしていた。ゴウの初監督作「キネマの神様」の撮影初日に自分の転落事故で大ケガを負い、撮影中断。作品は未完成となってしまった。挫折を味わったゴウは映画を諦め田舎へと帰った。約50年後、酒とギャンブルの借金でグウタラ生活を送っていたゴウだが、かつて自身が手がけた「キネマの神様」の脚本が出てきて、孫から褒められ、賞に応募する話。
ストーリーとしては時々笑いもあり、山田洋次監督作品だな、という感想。
若き日のゴウ役の菅田将暉は良かったが、現在のゴウ役の沢田研二が下手くそで興醒め。当初、志村けんが務める予定だったらしいが、志村ならピッタリの感じだった。
永野芽郁と宮本信子は良かった。北川景子は美しかった。
家族観?に違和感
夏休みということもあってか、意外と10代、20代の観客も多かったです。
そういう若い世代に響く内容かどうかは正直微妙だと思いました。
ストーリーもベタでしたし、恋愛描写も「お前…好きな奴がいるんだろ?」「鈍感…バカ!」という見てるこっちが恥ずかしくなるようなベタなやりとりが多かったです。
ゴウはギャンブル好きが祟って借金を作り、シングルマザーの娘の歩が自らの退職金を借金返済に充ててくれたのにもかかわらず、また性懲りもなく借金を作り、借金の取り立てが歩の職場に電話がかけたり、家に押しかけたりするまでになりました。
母親の淑子も歩に向かって「あなたも少しぐらい貯えがあるんでしょう?それを返済に充てて」と平然と言ってのけ、それだけならまだしも派遣契約が切られる歩に対し、相手の浮気が原因で別れた元夫に就職の口利きをしてもらえとまで言います。
誤解を恐れずに言えば、いわゆる毒親だと思いました。
ギャンブルやアルコール依存症など問題のある家族を抱える人の為のセミナー講師は
「結局、家族が借金を肩代わりすると本人は甘えてしまうんです。絶対に本人に払わせてください。それでも払わない場合は心を鬼にして離婚して本人に自己破産させる、それしかありません」
とアドバイスしましたが、私も本当にその通りだと思いました。
しかし、最後に改心したのは歩の方でした。
ゴウが賞を獲ると「私は本当にあんな父親いなくなってしまえばいいと思ってた」と泣きながら反省する彼女を見て私は「いやいや、あなたの感覚は正しいよ」と突っ込みたくなりました。
授賞式に行けなかったゴウの手紙の「許しておくれ…」の一言では私はとても許す気にはなれません。
本来なら☆3の評価でしたが、コロナ禍というとても難しい状況の中で映画を完成させたスタッフの皆さんへの労いと、志村さんへの追悼という点を加味して☆3.5としたいと思います。
山田洋次監督作品…、これをどう評価する?
すべてはベタである。
どこを切ってもベタ。ベタしか出てこない。
ゴウちゃんが撮影所の門を出る時、警備員とすれ違う。
「ゴウちゃん、ケガ大丈夫か?」
「うん、大丈夫。」
警備員は門を閉めながら、ひとりごとを言う。
「俺の頭にはケガない。」
沢田研二が演じるゴウが倒れる。
「俺、気分が悪い」
…倒れた人が、気分が悪いと自分の状況を説明する…。
すべての演技は、朗読劇のように進んでいく。沢田研二の演技も、まるで一人芝居であるかのようだ。
ゴウちゃんは、博打と酒が好きだが、菅田将暉が演じる回想シーンの中で、博打をしたり、酔っぱらっているシーンは出てこない。
かなり、菅田将暉が演じるゴウと、沢田研二が演じるゴウのキャラが変わってしまっている。
すべて、取ってつけたような演技やストーリー展開になっており、これを何と評価すればいいのだろう。
これだけ有名タレントをキャスティングして、松竹が作っているとなると、駄作ということになるかもしれない。
志村けんがいなくなったからなのか、理由はわからない。
芝居が不自然で、観るものを取り残していく映画だ。
しかし、予告編が一番おもしろい!というパターンの映画ですね。
東村山音頭も、どうだったかなぁ…。上っ面な映画になってしまいましたね。残念でございました。
永野芽郁は私の神様です‼️❓
主人公は、酔いどれで、バクチ好きで、借金で家族を苦しめる鬼畜です。
さらに、不倫までしてます。
さすがに、菅田将暉が演じてるところでは、その片鱗すら有りません。
でも、どうにも共感しかねる主人公です。
しかし、永野芽郁は輝いています、朝ドラ以来です、こんなに引き込まれるのは。
ストーリーは凡庸で、セリフもイマイチです、ヨウジロウの演技もイマイチです。
だから、この映画の価値は、永野芽郁だけ、それでもいいじゃない。
DAIGOの嫁も大根です。
それでも永野芽郁の最高の演技が観れるだけでも、この映画は最高と言えます、是非。
あ、それと、余談ですが、演出かもしれませんが、沢田研二の演技が、志村けんのモノマネなんですよ。
オマージュのつもりなんでしょうが、沢田研二の演技が酷いので、志村けんに失礼だと、感じました。
映画を愛する人に捧げる心に染みる感動作
映画の神様を信じ続けた男とその家族に起こる奇跡の感動物語。この映画の撮影中に度重なる困難と長期中断があったようですが、豪華キャスト陣が一丸となり創り上げている様子がヒシヒシと伝わってきましたし素晴らしい作品になっていると思います。
映画の良さを改めて実感しましたし、映画と共に紡ぐ人生でありたい。映画と映画館を愛する人たちに捧げる心に染みる感動作です。
2021-105
年寄りを励ます作品のはずがあの結末。懐かしい映像ありゃいいのかな。
いくつか個人的な感想など。
〇「挑戦することに年齢は関係ない」と年寄りを励ます作品のはずが、あの結末。
年寄りにとっては、懐かしい映像ありゃいいのかな。
小津安二郎とか原節子とかリアルタイムで見ていた人は今80歳過ぎくらい?
ワクチン打っているから映画館に出向くのも平気なのかな。
〇神様は神様でも意地悪な神様ですね。
〇現代編と過去編がありますが、現代編で沢田研二が演じる人物に魅力が全くありません。
応援したいという感情移入は全く感じませんでした。実際、活躍できたのは本人の努力というより〇〇のおかげだし・・
〇(過去編)女優2人はいいですね。名女優役を演じた北川景子からはオーラが漂い、普通の娘役を演じた永野 芽郁が普通の娘ぽくっていい感じです。
(男性主役の菅田はいつもの安定の菅田でした)。
〇挫折した映画助監督を主役にして過去と現在の2つの時代を描いた作品に「今夜、ロマンス劇場で」(2018年)というのがあります。
松竹100周年作品の今作ほど大規模作品ではありませんが、個人的にはこちらのほうが好みです。
これは素晴らしい❗
とてもいいストーリーでした。
後半のキネマの神様の孫とのやり取りは最高でした。
永野芽郁さんの力強い発言は、しびれました。
演技が上達ですね。
当初は、台本にはなかったでしょう、コロナも取り込み、エンドロールの志村けんさんのコメントしびれました。
急遽登板の沢田研二さんさすがです。
是非多くの方にご鑑賞していただきたいです。
う~ん・・・昭和を思い出す・・・
志村氏の冥福を祈ります。
「キネマの神様」
個々の役者の演技について語りたくないです。監督ご自身が映画の中で仰っていますので・・・
やはり、去年コロナによって亡くなった志村さんが演じる予定だったし、ジュリーが演じることになった経緯で前評判も整っていましたね。
観て来ました・・・
ストーリーとか何とかどうでも良いです。
昭和を感じました!何故か、頭はくだらないストーリーと思っているのに、いつのまにか!?入っていきました。
久々にお涙頂戴で涙が・・・オツです・・・
日本映画の黄金時代と現代映画、どっちがいいのだろう?
松竹、東宝、東映、大映と大手各社がしのぎを削って映画を大量に制作し、
映画というものが完全に国民の娯楽の一部として認められていたまさに黄金時代!!
ただ、その分制作陣のこだわりも強く、若き日のゴウのような才能あふれる若者がいても
先輩たちの無駄に頑固なこだわりのせいで、日の目を観ることなく消えていった人も数多く
いるんだということを、教えてくれた作品でした・・・
今の時代なら、youtubeなどで誰にも文句言われず、自分のやりたいことを好きに表現できる場があるので、今の若い子たちは幸せなのかな?!
それとも、厳しい先輩たちに揉まれながら(今ならパワハラかも?)自分自身を成長させてもらえた昔の人の方が幸せなのかな?!
どっちがいいんだろう??
そこは『TOKIO』を歌うところでしょう
大船撮影所パートは、すごくよかった。北川景子は、昭和の映画スター然としていたし、永野芽郁演じる淑子がとにかくキュート。全盛期の撮影所の雰囲気も味わえて至福の時間だった。
リリー・フランキー演じる出水監督は、映像派の監督らしく、俳優の演技に興味がない。この出水監督のキャラクターが面白い。ユーモアたっぷりに俳優をくさしたり、料理屋で思い浮かんだシナリオをその場で演じてみせ、助監督のゴウに筆記させる。この一人芝居が上手いんだよね。
映画への情熱あふれる若き日のゴウと、ギャンブル・借金・酒浸りのダメダメじいさんの落差がありすぎてそのギャップを埋めるだけのエピソードがちょっと足りなかったかな。ただ、全体から見ると些細なマイナス点でしかなく、友情、家族再生の物語としては、とてもよかった。
志村けんだったらどう演じたんだろうと想像しながら、鑑賞したんだけど、緩んだ体型も相まって沢田研二のクズじいさんは、なかなかよかったんじゃない。
歌う場面は、『TOKIO』を歌って欲しかったな。
中身より感じるもの
映画好きとしてお祝いするべく見にいった
松竹映画100周年記念作品
過去から現在へつなぐ1人の男の話
最初は映画に関係ない現在の主人公を追及
そこから徐々に描かれていく回想シーン
過去の映画の作り方
セットや映画村の存在をこうして見てみると
今との映画の違いを改めて感じます
どんどん堕落していく男
その子を追いかけ続けた女
夢を叶えた男の親友
映画の歴史が進むとともに変わっていく人物や新たに出てくる人物
それでも変わらないものは何だったのでしょう
コロナという予想だにしない打撃
そして切り替えられた台本が正解だったのかはわかりません
映画が大好きなたった一度の男の人生
落ちるとこまで落ちたそんな人だったけれども、映画を観終わった感想は結局は主人公は映画の人だったということができるそんな映画でした
物語を楽しみたい方には向いていないかもしれません
それでも100年の重さは感じることができました
映画ってやっぱり素敵
遠い昔からある映画の文化を私は今後も大事にしていきたい
あ、エンドロールまで見逃しちゃいけませんよ
この映画が作られた年が分かるようにしたかったのね。
1年以上予告を観せられての着席。松竹映画100周年記念なんてハードル上げてるけど大丈夫か?
お話としては、今78歳のダメダメ爺さんと家族や友人との関係と、映画監督を目指して挫折した若い頃を、行ったり来たり。
監督はこの作品で何を伝えたかったのだろう?
「三つ子の魂、百まで」とか「初心貫徹」とか、松竹は変わらず一生懸命に映画を作ってますよってね。
それにしても、沢田研二、志村けんに寄せすぎな気が。まさかの東村山音頭までねぇ。
昨年からのコロナ禍って必要だったのかなぁ。
チラッと泣けるところはあったけど、全体的に話が真面目な割に浅くて、残念感強かった。
スクリーンから出てくるのは北川景子じゃなくて綾瀬はるかだよね。
【映画人へのオマージュ】
小津安二郎作品を超えたくて、多くの映画人が、長い間、様々な工夫や努力を重ねてきたんだろうなと思う。
そして、その時、理解されなくても、技術的な問題で脚光を浴びなくても、時代を経て、改めて日の目を見ることだってあるのだ。
この作品は、そんな物語だ。
この作品は、そんな不断の努力を重ね、いろいろな希望を繋いできた映画人へのオマージュであり、そして、コロナで亡くなられた志村けんさんへの哀悼なのだと思う。
ほとんど役者の仕事を引き受けてこなかった志村けんさんが、この役を引き受けたのは、志村けんさん自身が、先人のお笑いを超えようとずっと努力してきたから、通じるところがあったのではないのか。
そんな気がする。
沢田研二さんが、この代役を引き受けるにあたって、相当悩んだと何かで読んだ。
沢田研二さんの場合は、志村けんさんとの友情の他にも、いつもつきまとう、自身のジュリーのイメージを払拭したいという気持ちもあったのだろうと考えたりもした。
映画人も、コメディアンも、シンガーも、そして、多くの人も、何かを超えようと悩んだり、考えたり、工夫したり、努力しているのだ。
映画は、昔の場面は丁寧な言葉遣いで、現代の場面は口語長になって、この対比も、とっても、それらしくて面白い。
モノクロになったら、北川景子さんは、当時の女優さんそのものだし、逆に、昔の女優さんが、現代に蘇っても、実は今風に見えるのではないのか。
そんな風に考えながら観るのも楽しい気がする。
演出でノスタルジーに包まれる人もいると思う。
実際、コロナで一つ空いた隣の席の高齢の女性は、若い頃の恋愛を思い出してか、或いは、夫との苦労話が蘇ってか、ところどころで結構泣いてたし、トドメに志村けんさんへのメッセージが映し出されると、ズズって、鼻もすすっていた。
キネマは、神様が、あり得ないこともたくさん散りばめて、でも、ありそうな気にもさせて、想像力も刺激して、僕は、本当に楽しいものだと思う。
いつもそう思って、映画館に足を運んでいる。
4回涙した(T∀T)
志村けんさんのこともあり、公開されたら観に行こうと決めていた。
原作は未読。
そして、寅さんは2本しか観たことがないが、割と好き。
ここ数か月で観た作品がアクションやバイオレンスものの割合が多かったせいもあるだろうか、本作品では久しぶりにじんわり泣けて心がほぐれた。
観て良かった。
ゴウさんが歌った歌が ‘ あの歌 ‘ だったので、星1つプラスして評価。
志村けんさんへの追悼と惜別の映画
原作とはまったく違ってました。
ゴウの過去も、歩が映画好きなことも。
歩の後輩もアメリカの伝説の映画評論家も『ニュー・シネマ・パラダイス』も出てきません。
あくまでも個人的な感覚ですが、原作は市井に生きる映画ファンからの視点、映画ファンにとっての神様の仕業としか思えないような出会いや場所や出来事を描いていました。それに対してこの映画はいわゆる映画人(映画製作に関わる人たち)からの視点、映画人にとっての神様を描いているように見えました。
良いとか悪いではありません。
原作者の原田マハさんは前者の立場から、山田洋次監督は後者の立場から描きかった。それだけの違いなのだと思います。
元々の脚本が、志村けんさんの不運で不幸な出来事やコロナ禍の影響で、どの程度書き直されたのかは知る由もありませんが、作品を製作中の山田監督はじめ関係する方々の心中はどれほどの無念や諦念や悔しさに苛まれたのか、どういう形で公開に繋げるか、そもそも公開することが許されるのだろうか、そんな様々な思いで苦悶し続けたのだろうと想像します。
そして、この映画の製作再開の時には志村けんさんへの惜別と追悼の思いが自然と求心力になったのは想像に難くありません。
そのゴウが映画人としての夢をまさに夢のように叶えて旅立っていく物語は志村けんさんの姿と重なって見えて感動的です。
ただ、原作で描かれたような、市井の映画ファンとその家族のリアルな現実と夢が織りなしていく高揚感とある種のカタルシスに一度酔ってしまった人(私のことです)にとっては、まったく別の世界の別の物語になってしまい、気持ちを整理するのに少し時間がかかりそうです。
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