「原作の“シネマ賛歌”よりも“シネマ界賛歌”への改変だったが…」キネマの神様 KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
原作の“シネマ賛歌”よりも“シネマ界賛歌”への改変だったが…
散々、この映画の不評を聞き及んでいたが、
それでも、原田マハの原作を読んでいた縁で
鑑賞した。
しかし、「シネマの神様」の意味も違うし、
映画サイトの遣り取り中心話では
映像化は難しいと判断したか、また、
松竹100周年記念の位置付けなので、
“シネマ賛歌”の原作イメージを
“シネマ界賛歌”的に変えたかったためか、
主役や登場人物の設定も違うし、
基本的なストーリーも原作とは全く異なる
内容だった。
この映画化の演出は、「寅さんシリーズ」や
「たそがれ清兵衛」「息子」等々、
たくさんの名作を鑑賞させて頂いた
山田洋次監督だが、
2010年代以降の「母と暮らせば」等では
演出力の衰えを観じさせられていた。
ところが、流石に、過去と現在の
行き来については上手い処理で、
なかなか魅入られる出だしだったし、
ラストの「東京物語」のヒロインが
スクリーンから出て来ることは、
ウディ・アレンの「カイロの紫のバラ」を
思い出させる“シネマ界へのオマージュ”の
一つだろうが、
そのことがゴウの死を表すとの象徴性は
有りがちではあるが納得の出来だった。
しかしながら、例えば、志村けんへの追悼を
エンドロールの中だけで表すのであれば
納得出来るが、
劇中で沢田研二に東村山音頭を唄われては、
不必要に志村けんが思い出され、
あくまでも沢田研二前提での
この作品への没入感を断ち切られてしまう。
あと、全体的な構成として、
ゴウが映画界を去る理由が唐突過ぎるのと、
晩年で脚本で名を上げること、
つまり専門家として
一矢を報いたことは描かれたが、
テラシンへの賞金寄付や、
表彰式での妻娘への手紙の言葉ではなく、
テラシンがゴウに言い聞かせた最後の言葉が
ゴウ自身の口から出るのではなくては、
彼の人間性としての復活を充分に
感じ取れなく物足りない。
あの希望に満ちた若い頃のエンディングが
単なるノスタルジー的に浮いた印象で、
ただただ、ゴウの残念な人生観が
強調されたかのように感じてしまった。
監督の映画界への想いは解るが、
何か空回りしている感じで、
結果的に、鑑賞後の希望に酔い浸れた
往年の山田洋次作品感を得ることは
やはり、出来ないまま終わってしまった。
こんばんは♪
共感とコメントしていただきましてありがとうございました😊
山田洋次監督の観客サービス、
ということですか。でも、
KENZO一級建築士さんのように
不快に思う方がおられたら、
サービスになっていないですね。
監督も志村けんさんの出演を
期待されていたからかもしれませんね。 本当に残念無念です。