「キネマ、家族、笑い…人生には神様が宿っている」キネマの神様 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
キネマ、家族、笑い…人生には神様が宿っている
山田洋次の長い映画キャリアに於いて、これほど苦難の末に完成させた作品は無いだろう。
コロナによる政府の緊急事態宣言で撮影が一時中断。さらに、公開も延期。
しかし、最も心痛/痛手だったのは、言うまでもないだろう。
山田洋次×志村けん、見たかった。メチャクチャ見たかった。不謹慎な言い方かもしれないが、死ぬほど見たかった。
人情劇の名匠と永遠の喜劇王の初コラボ。
想像しただけでワクワクする。笑える。泣ける。しみじみさせる。
作品の公開を楽しみにしていた。
が…。
山田洋次が製作段階で“主演俳優”を失ったのは、これで2度目。
製作すら危ぶまれたが、両者に縁ある人物が救世主となってくれた。
沢田研二。
かつて志村けんと沢田研二は同じ事務所に所属しており、度々共演。確かにその昔、2人が共演したコントかバラエティーを見た記憶がある。
そして、沢田研二が現在の妻である田中裕子と出会うきっかけとなったのが、『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』。
単なる“代役”ではない。
沢田は2人に選ばれたのだ。
それこそ、“キネマの神様”がこの映画を見捨てないでいてくれたようだった。
いつもながら前置きが長くなってしまったが、感想を。
79歳のゴウ。
酒やギャンブルに溺れ、多額の借金を抱え、妻・淑子や娘・歩に見放されている。
老境になって人生どん底。
しかし、そんな彼にもかつては華やかな夢があった。
映画を愛し、実際映画撮影所で助監督として毎日忙しく働いていた。
今は映画館主で当時フィルム技師の親友・テラシン、当時食堂の看板娘だった淑子、そして銀幕スターの園子と青春を謳歌していた。
いよいよゴウも自ら書いた脚本で初監督する日がやって来るのだが…。
原作は原田マハのベストセラー小説。
が、かなり脚色されているという。
これまたいつもながら原作は未読なので、映画を観てから原作のあらすじをサクッと調べてみたら、確かに。
映画ではゴウが若き頃書いた脚本で再び人生開くが、原作では映画批評ブログ。
いやそもそも、原作では若き頃の助監督時代エピソードはナシ。
それらや甘酸っぱい青春、家族物語は映画のオリジナル・ストーリー。
何より原作の主軸だったというゴウと“ローズ・バット”と名乗る人物との映画批評バトルと友情が丸々カット。
原作とは別物。本作は結構賛否両論目立ち、特に原作ファンから難色示されている。
評価も分かれるが、原作未読で、山田作品ファンの自分からすれば、安心安定の感動作だった。
定番のダメ男。
振り回される家族。
変わらぬ“山田一家”。
夢に溢れていた若き頃。
ノスタルジックな日本映画黄金時代へ。
落ちぶれた現在とあの頃が交錯して展開。
人生と家族、映画への愛を、ユーモアを交え、涙としみじみと、謳い上げている。
山田組初参加の菅田将暉。活気溢れる若者役がやはり巧い!
同じく初参加、若き頃の淑子役の永野芽郁が、特筆すべき好助演。
2人とも平成生まれだが、見事昭和人間に成りきっていた。
テラシン役の野田洋次郎/小林稔侍が泣かせる友。
銀幕スター・園子役の北川景子の気品ある美しさと女性としてのカッコ良さも素晴らしい。
原作には当時しない映画オリジナルキャラ、ゴウの孫の勇太。演じた前田旺志郎もまたホロリとさせる。
豪華キャストの好演アンサンブル。
妻・淑子役の宮本信子と娘・歩役の寺島しのぶ。このベテランと実力派も悪くなかったのだが(特に寺島のある場での涙のスピーチはグッときた)…、ちと演技が臭かったかな。
歌手として、アイドルとして、世間の沢田研二の評判は人それぞれ。
昔からお騒がせ。
田中裕子とも不倫の末。
まだ記憶に残る久々のライヴに観客が入らずドタキャン…。
選ばれた事は美談。が、果たして役に合っていたのか、演技力は…?
これにも賛否両論の声ある。沢田研二には合っていなかった。荷が重かった。やはり、あの人で見たかった。
が、今では山田作品でしか見られなくなった昭和男の哀愁を体現、継承。
男はつらいよ。
沢田研二ならではの“ゴウ”。
そんな沢田を通じて、あの人を見た気がした。
単なるモノマネとかじゃなく、親交あったからこそ知る細かな言動。
披露する「東村山音頭」は、これ以上ないサプライズ、追悼、恩返し。
このプレッシャー難役をよくぞ引き受けてくれたと改めて思う。
ありがとう、沢田さん。
“映画”が題材でもあるので、それが効果的に用いられている。
老ゴウがスクリーンに映った園子を観ていると、その瞳に吸い込まれるように、“あの頃”へ。
また、老ゴウと園子の“再会”。
VFX監修に山崎貴が就き、ファンタスティックな雰囲気も醸し出す。
『東京物語』など邦画往年の名作…殊に松竹名画へのオマージュ演出。
永遠の“映画少年”山田洋次の映画愛を感じる。
ゴウの人生は波乱万丈。その主軸は、映画と家族。
ゴウが映画の夢を諦めたのは、撮影初日の事故。
それもあるが、自分とテラシンと淑子の三角関係もあるのではないか。
淑子に想いを抱くテラシン。が、淑子が想いを抱いていたのは…。
夢や青春の終わり。
でも決して、切なさやほろ苦さだけではない。
間違いなく輝き、夢を全力で追いかけていた。友情があった。
それに、撮影所で働いていたなんて憧れ。銀幕スターと親交あったなんてマジ羨ましい! それこそ、北川景子とお知り合い的な…?
が、それらを全て捨て、田舎に帰り、50年ほどが経ち…。
はっきり言って、ゴウのような老境は歩みたくない。
酒に溺れ、ギャンブル狂い、借金まみれ。
娘に嫌われ、何より苦楽を共にした妻にこんな醜態を見せたくない。
しかし、そんなゴウを救ったのも、映画と家族。
50年前書いた脚本が脚光を浴び、何と思わぬ奇跡が起きる。
そしてそのきっかけが、孫。家族の中で唯一、祖父を見捨てないでいた。
ゴウがその昔書いた脚本“キネマの神様”は本当に面白そう。映画が好きな主婦が大好きなスターが出ている映画を観ていると、そのスターが語りかけてくる…というファンタスティック・ラブストーリー。今なら『カイロの紫のバラ』などありふれているかもしれないが、ゴウが若い頃は斬新。
それ故なかなか理解して貰えなかった。
それくらいゴウは才能に溢れていた。
家族に迷惑をかけ、映画に救われたゴウだが、ラスト一幕で自分でハッピーエンドを書き上げたのだ。
不器用ダメ男の家族への感謝の言葉は、どんな美辞麗句よりも胸打つ。
原作改変のみならず、ステレオタイプの昭和演出、演技、女が泣いて堪え忍び、男がダメわがまま。
どうしても好み分かれる山田作品。
が、映画や時代や世界が常に激変していこうとも、誠実に教えてくれる。
本作では苦しいコロナ禍や閉館余儀なくされる昔ながらの映画館へのエール。
この苦境を乗り越えて、また映画館で映画(キネマ)を。
やはり私にとって山田洋次監督は、ずっと“キネマの神様”なのである。
そして…
さようならではない。
永遠に、ずっとずっとずっと、心からありがとう。
“笑いの神様”志村けんさん。
お騒がせの沢田研二。
もっとも記憶に残ってるのが、金沢にやってきた沢田研二がタクシー運転手を殴った事件・・・ソロデビューした頃のせいかネットにも出てないので忘れ去られた事件ですが、金沢市民なのでよく覚えてますw
そんな俺もタクシードライバー。
乗せたくないw