劇場公開日 2021年8月6日

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「包摂」キネマの神様 nobさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5包摂

2021年8月11日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

「なぜこんなに幸せな気持ちなんだろう?」
観賞後の正直な気持ちだ。

見始めてすぐ、沢田研二さんの芝居が気になった…あぁ、これは志村さんの“リズム“だな、と。他人のリズムで芝居することに少し不安を感じたが、杞憂だった。スピリチュアルが好きな訳ではないが、乗り移っているかのようなその芝居は、最後まで淀みなく続くのである。「なぜこんなことができるのか?」漠然と考えながら映画館をあとにした。

山田監督の映画は若い頃、ピンと来なかった。
いや、今でさえ「こいつは面白いぞ!」といった興奮はない。観賞後、じみーーーに効いてくるのだ。その訳を今回ばかりは知りたくなった。

パンフレットによれば、監督は若い頃は決して、才能豊かで将来を嘱望される存在ではなかったようだ。映画業界に入った理由もありきたりで「飯が腹一杯食えたから」。“高い意識“や“燃える情熱“とは言い難い。

そんな人がたまたま、邦画黄金期の“撮影所という夢の国“に居た。受動的であったからこそ様々な才能の受け皿となり、その血脈を今に伝えているのではないか?また、(その意味で)凡人であったからこそ、誠実であるがために強くはなれない人たち、世間から見れば敗者と呼ばれる人たちに、スポットを当て続けてこられたのではないか?

原田マハさんの原作をキッカケとして本作の仕掛け(構造)を思いつき、喜劇俳優_志村けんさんの主演が決まった時、完成の青写真が監督の中で見えたのではないかと想像してしまう。なぜなら喜劇俳優もまた、人間に対して徹底的に受動的だからだ。

だが、コロナがそれを奪った。

作品の中で志村さんは既に構造の一部、絶対に交換できないピースだったはずだ。昔同じ事務所だったという安易な理由、ましてや知名度などで替えが効くとは思われない。全くの想像で恐縮だが、沢田研二さんも相当迷われたのではないだろうか?

山田監督の作品を見ていると「包摂」という言葉が思い浮かぶ。登場人物やその周りの人たち、つまりその世界は「包摂」でいっぱいだ。ふと…もしかすると撮影現場も?と思ってしまう。過酷な撮影現場に一見不似合いではあるけれど…。

それが大きな流れとなって沢田さんの芝居となり、本作が完成したのだとすれば、それはやっぱりファンタジーじゃないか!と、勝手な想像ばかりが膨らんでしまうのだ。

ともあれ、本作はまるで“映画の缶詰“ 。それもミックスフルーツのように映画好きには色々な味が楽しめる作品だ。リラックスして日常から逃げてしまうのが正しい鑑賞法だと思う。

nob