「映画作家と老い」キネマの神様 シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
映画作家と老い
う~~ん、様々な思いはあるけど、個人的に感想が書き難い作品ではあります。
どんな人でも歳はとるのですが、齢(よわい)90の老巨匠監督の作品であり、大好きな監督の作品の中にその老いを感じてしまうと何とも言えない気持ちにはなりますね。今までにも様々な大監督の晩年の作品を観てきて、どんな監督でも変化するのは当然で“変化”だけなら良いのですが“老い”を感じてしまうのはちょっと寂しいです。
まあうちの母親も92歳だし、一般的な90代と比較すると比べものにならないくらい凄いし映画を作るというだけでも超人的なのですが、それでも山田監督は“映画の時代性”をとても大事にしている監督なので、その時代性に対してズレを感じてしまったのはちょっと辛かったです。
本作の場合は今と昔が描かれていて、今のコロナ禍を無理矢理結び付けたかったのか、逆に完全に時代感がズレてしまっていて、時代性を気にするが故のズレと気持ち悪さが残ってしまいました。
物語そのものから何を訴えたかったのかは、私も昭和の人間だし山田洋次ファンなので理解できますが、それだけでなく主役(志村けん)の突然の死や、死に追いやったコロナ騒動など様々な出来事が重なり物語以上の思いが詰まり過ぎたのか、それが逆作用して、物語のシンプルなメッセージが伝わってきませんでした。
前半は山田監督自身の懐古であり、後半はずっと山田監督が描いてきた“馬鹿・風来坊・フーテン”等の世の中からはみ出した愛すべき純粋さを受け入れられる心だけで終わってくれればそれで良かったのですが、妙な時代性が逆にそのテーマを薄めてしまい、むしろ旧作を観返した方がテーマはダイレクトに心に入り染みる事が確認できました。
大体、昔のシーンは1950~60年代と推測できるのに、現在79歳の主人公って時代に10年から20年の誤差が感じられ、いまだにフィルム映写機で昔の映画ばかり上映している映画館の存在って、山田監督の脳内世界であって、どうせ脳内世界の映画なら黒澤監督や大林監督の晩年作の様な作風の方が、観る側も割り切れました。
ということで、ファンであるが故の寂しさを感じてしまった作品となりましたが、まだ監督には作品を今後も作り続けて欲しいし個人的に観続けますが、それは今まで楽しませて頂いた感謝の気持ちとしてであります。
しかし、映画という芸術は特にこの“時代性”が重要であり、他の芸術より作家の“老い”が作品に直結し顕著に作品に現れてしまうので、改めて難しい芸術だと感じてしまいました。
でもクリント・イーストウッドなども同年代監督ですが、彼の作品の場合まだそういうズレを感じないので、そういう意味では凄い存在だと思います。