「銀幕スタア園子はいずこへ・・・」キネマの神様 kossyさんの映画レビュー(感想・評価)
銀幕スタア園子はいずこへ・・・
松竹映画100周年という記念すべき作品に山田洋次監督はこのテーマを選んだ。思えば大船撮影所50周年記念には『キネマの天地』を作った監督。同じようにして思い切り松竹映画最盛期を偲ぶ内容に仕上げたと感じました。
過去パートでは菅田将暉と永野芽郁、それに北川景子と野田洋次郎が紡ぐ映画への賛歌が懐かしいやら、羨ましいやらで、ワクワクさせられた。映画用語もポンポン飛び出し、彼らの情熱がひしひしと伝わってくる。原作の原田マハの小説では映画批評家としてのゴウの姿があったけど、思い切り映画製作側に振り替えたのも山田洋次らしさがにじみ出ていた気がするのです。
人間関係においても娘と父親をメインにした原作から、ゴウと淑子のラブストーリーを主軸と改変し、アナザーストーリーとして確立。オマージュを捧げた小津安二郎の『東京物語』は山田監督の生涯NO.1の作品だし、自身でもモチーフ(リメイクとも)とした『東京家族』を制作。そして同じく撮影所を舞台とした『キネマの天地』のイメージをセルフリメイクしたかのような映画愛を感じられる内容・・・特にエンディング。原作者には申し訳ないけど、思い切り自分ワールドにしちゃったよ!とどこかで弁明しているような気さえしてくるのだ。
映画とはシーンやカットの集合体であり、ぎこちなさをも感じられる流れは昔ながらの撮影法にこだわってたからだろうか、特にカメラの焦点にこだわるゴウの指示が面白かったし、リリー・フランキー演ずる出水監督のエピソードや4人の青春ストーリーの数々はわざとらしさが際立っていた(良い意味で)。また、細かなシーンにおいて、オマージュは『東京物語』だけじゃなく洋画からも取り入れているような気がしてくるから不思議だ。『カイロの紫のバラ(作品名は出てこないが)』の元ネタもバスター・キートンとか・・・
あれこれ考えてみると、一本の映画はどこもかしこも他の映画と繋がっている。そして銀幕のスタアだって観客と繋がっているのだ。もちろん沢田研二だって志村けんと繋がっているのだろうし、亡きしむけんをリスペクトしながら難しい役作りに挑んだのだと思いたい。終盤におけるコロナ禍の現代を描いているところは脚本の練り直しが余儀なくされただろうし、苦労が感じられる。それでも難産の末に完成した。全編にアフレコ感(言い訳みたいなシーンも)があったのも苦労した証。完璧とは言えない作品ながらも、数ヶ所で涙してしまった・・・クラウドファンディングで寄付できなかった口惜しさとともに。
で、好きなシーンは宮本信子がテラシンの映画館で面接を受けたとき(映画館名“テアトル銀幕”を聞いてるはずなのに、忘れちゃったのね)。そして園子が餞別として渡した金の腕時計を売り払わずにずっと身につけていた淑子の腕。
沢田研二の色んなお騒がせや不祥事は少なからず知ってたつもりでしたが、そんな事もあったんですか…(>_<)
でも、今回志村けんの後を引き継いでくれた事に関しては、漢気を感じました。
随所に出てくるチャップリンのポスター
特に『ライムライト』が多かったように思います
カルヴェロは縁の下の力持ち役
映画制作の方々の殆どが縁の下の方々
チャップリンの顔を見るたびに感慨深くなりました