「志村けんさんへの追悼と惜別の映画」キネマの神様 グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
志村けんさんへの追悼と惜別の映画
原作とはまったく違ってました。
ゴウの過去も、歩が映画好きなことも。
歩の後輩もアメリカの伝説の映画評論家も『ニュー・シネマ・パラダイス』も出てきません。
あくまでも個人的な感覚ですが、原作は市井に生きる映画ファンからの視点、映画ファンにとっての神様の仕業としか思えないような出会いや場所や出来事を描いていました。それに対してこの映画はいわゆる映画人(映画製作に関わる人たち)からの視点、映画人にとっての神様を描いているように見えました。
良いとか悪いではありません。
原作者の原田マハさんは前者の立場から、山田洋次監督は後者の立場から描きかった。それだけの違いなのだと思います。
元々の脚本が、志村けんさんの不運で不幸な出来事やコロナ禍の影響で、どの程度書き直されたのかは知る由もありませんが、作品を製作中の山田監督はじめ関係する方々の心中はどれほどの無念や諦念や悔しさに苛まれたのか、どういう形で公開に繋げるか、そもそも公開することが許されるのだろうか、そんな様々な思いで苦悶し続けたのだろうと想像します。
そして、この映画の製作再開の時には志村けんさんへの惜別と追悼の思いが自然と求心力になったのは想像に難くありません。
そのゴウが映画人としての夢をまさに夢のように叶えて旅立っていく物語は志村けんさんの姿と重なって見えて感動的です。
ただ、原作で描かれたような、市井の映画ファンとその家族のリアルな現実と夢が織りなしていく高揚感とある種のカタルシスに一度酔ってしまった人(私のことです)にとっては、まったく別の世界の別の物語になってしまい、気持ちを整理するのに少し時間がかかりそうです。
逆にスクリーンの中に入っちゃう映画のほうが多いのかな?
『カイロの紫のバラ』のパターンは今後も繰り返されるんでしょうね。『今夜、ロマンス劇場で』もそうだったし、好きな俳優に会えるパターン。女性はこのパターンで、映画に入っちゃうのは男の子パターンだったりして・・・
かなり意識していらっしゃるなと感じましたよね。
私は原作未読なので違和感はありませんでしたが、市井の映画ファンとか、神様みたいなものも確かに感じられず、「キネマの神様」も、劇中に登場する作品のタイトルということ以上の何かとは受け取れませんでした。
こんにちは。
私は原作を読んでいなかったので、違和感は感じませんでした。が、主役の急逝と、撮影中断の影響は隠しきれなかったかな、とも思いました。けれども、山田監督を始めとした製作陣や、役者さん達の現況下で頑張っている姿は伝わって来ました。
talismanさん
暑い日が続きますね。熱中症対策とコロナ感染防止の観点からも映画館はとても優れていると思います。映画の神様のおかげかもしれません。
原作は読み手によって、感情移入する人物や場面が違うと思いますが、私は歩の立ち位置と視点が大好きでした。
ゴウのだらしないけどユーモア溢れる人物像もまた魅力的だし…、と語り出したら止まりません。お勧めします。
原作を読まれて映画化されることを楽しみになさっていることをグレシャムさんがレビューで書かれていたのをよく覚えています(記憶違いだったらごめんなさい)。映画は見ていませんが、原作から読んでみようかな。