「映画の楽しさを共有することが出来た」キネマの神様 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
映画の楽しさを共有することが出来た
山田洋次監督といえば寅さんシリーズで歴代のマドンナを美しく撮ったように、女優の美しさを極限まで引き出す天才である。本作品の北川景子はこれまでに見たこともないほど美しかった。若い日の淑子を演じた永野芽郁の愛らしさはリアリティを伴って、見た目も可愛いが、それ以上に声がよかった。北川景子の澄んだ声も素晴らしいが、永野芽郁の少しだけキーの低い優しい声は胸に響いてくるものがある。女優の美しさは見た目だけではないのだ。
山田監督のもうひとつの特徴は人情話である。成功者などには見向きもせず、ひたすら巷にいる無名の人を描く。真面目な人もいれば駄目な人もいる。駄目な人にもその人なりの人生がある。決して否定されるべきではないし、むしろそういう人の生き方にこそ、人生の真実が垣間見えることがある。その僅かな光を逃さずに捉えて映画にするのが山田監督の作品なのである。
本作品もその例に漏れず、かつて映画の助監督で苦労した男の、ささやかな人生を描く。志村けんを当て書きにした脚本であることは場面場面で明らかになるが、沢田研二より志村けんのほうがよかったのかどうかは、もはや比べようがないし、比べても意味がない。
主人公の郷直という名前は剛直に通じて、本作品にはシェイクスピアのような性格悲劇の部分もある。頑固なくせに気が小さくてプレッシャーに弱い性格が、男の人生を王道から踏み外させる。そしてそんな男のことが放っておけない優しい女がいる。
本作品には、人生はかくも悲しく、人はかくも滑稽に生きるものなのだという、枯れて達観したある種の諦めがある。そのそこはかとない悲しさを共感すると、映画への愛おしさが募ってくる。
一方では、ラジオを地面に投げつけようとして思いとどまったり、こっそり缶ビールを頂戴したり、寝ているようで寝ていないことで人を驚かせたりと、志村けんのコントを彷彿させるシーンを散りばめて、笑いを取ることも忘れない。
このところの山田監督は、いつも最後の作品のような思いで作っているように思える。どの作品にも涙と笑いと優しさがたっぷりあり、鑑賞後は必ずほっこりする。本作品では特に映画に対する深い思い入れが感じられ、役者陣はかなり苦労したに違いない。同時に勉強にもなっただろうし、山田監督と同じ向きで作品に向き合う楽しさもあったと思う。
当方もまた、映画を鑑賞することで同じ楽しさを共有することが出来た気がする。描かれた現在と過去のシーンを観て、描かれなかった、郷直と淑子の50年という長い年月に思いを馳せる。喜びも悲しみも幾歳月。宮本信子が演じた、老いた淑子の涙がすべてを語っていた。