「【”君の瞳にはいつでも、ボクが映っていた・・。ボクは如何にして君の無償の愛に応えたら良いのだろう・・。”現況下、映画界を想う山田洋次監督こそ、キネマの神様である。】」キネマの神様 NOBUさんの映画レビュー(感想・評価)
【”君の瞳にはいつでも、ボクが映っていた・・。ボクは如何にして君の無償の愛に応えたら良いのだろう・・。”現況下、映画界を想う山田洋次監督こそ、キネマの神様である。】
ー 2つの大きな悲しき出来事を乗り越え、今作を届けてくれた山田洋次監督始め俳優さん、スタッフの方々のご努力に感謝を申し上げます。ー
◆感想 ー 物語は過去パートと、現代パートを行き来して進む。ー
・老いたゴウ(沢田研二)が、アルコールに逃げ、ギャンブルに逃げていたのは、淑子(少女時代:永野芽郁、老年期:宮本信子)の無償の献身に堪えられなかったからではないかな・・。
だから、憎まれ口を叩きつつ、金を無心する日々・・。
ー 序盤は、少し切ない・・。ー
・映画は、青年期に舞台を移したところから、輝き始める。
銀幕のスター園子(北川景子)が、助監督のゴウ(菅田将暉)や淑子と交流する姿。
固定カメラで、静的画を撮る事に拘る監督(リリー・フランキー:このマルチな才能を持つ方は、本当に上手い。)の姿。
ー 銀幕の北川景子さん、美しさが倍加している。銀幕の魔法だろう・・。あの監督は小津監督をイメージしているのかな・・。すると、眼の悪い園子は、高峰さんかなあ・・、などと勝手に推測しながら鑑賞。ー
・ゴウの意外な気の弱さ、映写技師のテラシン(野田洋二郎)との交流と、淑子を巡っての相手の気持ちを思いやる二人の姿。
ー 矢張り、映画監督って、胆が据わっていないと、厳しいのだなあ。優しい心を持つ人を描かせたら、天下一品の山田洋次監督の良さが出ている。ー
・現代パートでゴウの孫が、お爺ちゃんの脚本の良さに気付き、二人で(と言うか、孫主導で)脚本を再構成するシーンも良い。そして、その脚本が見事に・・。
ー 代理で授賞式に出席した、ダラシナイ父親に手を焼いていた娘(寺島しのぶ)が、父から渡された手紙を読み、途中で涙で絶句するシーンは、実に沁みた。観ているこちらも涙が出たよ。ー
<年老いたテラシン(小林稔侍)が、夢を叶え、経営していたミニシアターで、銀幕のスター園子と再会するシーン・・。
山田洋次監督が、現況下で苦戦する映画界、ミニシアターの現状を慮って執念で製作した、映画愛溢れる作品。>
◆舞台となったミニシアターが、川越スカラ座だったのも、嬉しかった。「ミニシアターのある街へ。」を読んでみるとするか・・。
NOBUさんこんばんは。コメントありがとうございます。献身すぎる愛は居たたまれなく重荷になることもありますね。
もし。キネマの神様の映画が完成していたらゴウは晩年も映画監督をしていたのでしょうか。
名画座のトイレをあんなに汚く描かなくてもいいのになぁ、と思いました。
イメージが悪くなっちゃうのでは、とちょっと心配です。
エンドロールにも出てきた飯田橋ギンレイホールはいつも二本立てでちょっとだけ古い映画をかけてくれるので、見逃した映画を観るのに良いんですよね。
トイレも普通にきれいです。
あ、レビューへのコメントになってないですね😅
すみません。
無償の献身に耐えられなかったからですね。腑に落ちました。
身内に借金を繰り返す者がいて、母が苦労したのを見てきたものですから、つい厳しくなってしまいました。
山田監督 映画の神様 本当にそう思います。